第二章 少年の叫び④
最初にグレンと話をしてから、一ヶ月。
来るたびにグレンに「今日のおススメは」と聞かれるようになり、その延長で世間話をするようになった。すっかりリタの中で、グレンは仲の良い常連客の一人になっていた。
リタと会話するようになったからだろう。それまで遠巻きに様子を窺っていた他の常連客や、店員も彼に話しかけるようになった。
「落ち着いて飲みたい」いうグレンの意向に反しているのでは、とリタは内心周囲の変化に冷や冷やしたが、特にグレンは話しかけられることを嫌がる様子はなかった。
こっそりそのことを訊ねると、「俺のこと知らない相手と話す分には別に気にならないよ」と返事が返って来た。――今思えば、「ここなら、俺を知ってる奴はいないから」という発言は、騎士団の実力者である彼に取り入ろうとする人間の相手をするのが嫌だったのだろうと分かる。
それでもグレンは自分のことをあまり話したがらなかった。好きなこと、嫌いなことなんかの話はしてくれるが、素性については全く触れない。訳あり、というのが分かっているからリタも必要以上に踏み込むことはしなかった。
グレンは聞き上手、ということもあり、自然と話す内容は多くがリタの話になる。最近の休日の過ごし方。美味しかったお菓子の話。ご近所さんの噂話。そんな取り留めのないことを色々と話した。
その日も、――そう、確か、話している中で東部の方言が出てしまったのだ。そのことにグレンが反応したので、生まれが王都ではない話をし始めたのだ。
「そう。生まれは東部なんだ、私」
その頃にはリタの話し方もすっかり砕けていた。グレンが「普通に話してくれた方が嬉しい」と言うので、その言葉に甘えさせてもらったのだ。確かにリタは――他の店員もそうだが――他の常連客は知人ということもあり、敬語を使わない。グレンだけに敬語を使うのもおかしいと思ったのだ。
「百人ぐらいの小さな村でね。自然豊かないい場所だよ。グレンさんにも見せてやりたいぐらい」
リタは賑やかな都会も好きだが、緑に囲まれた故郷も大好きだ。木々のざわめき。動物たちの鳴き声。そういうのを聞いていると気分を落ち着かせられる。
ニコニコと故郷の話をしていると、どこか怪訝そうな表情でグレンが訊ねてきた。
「なら、どうして王都に来たんだい?」
それはもっともな疑問だろう。リタは固まった。
(そうだ。故郷の話をしたら、何で王都に来たのかって話に発展するんだ)
完全に失念していた。個人的には人に隠すようなことではないのだが、返って来る反応が大体面倒なことになるのだ。悩んだが、故郷の話をし始めたのはリタのほうだ。説明することにした。
「田舎の村だからさ。結婚も早いんだよ。大体、どの子も十五、六歳で結婚するの」
大体、結婚相手を見つけてくるのは親の役目だ。中にはお互いに好意を抱いているというケースもあるが、そういうのは多くない。殆どが村の中でのつり合いを考えて、結婚相手を選ぶ。そうやって皆結婚してきた。
「でも、私結婚したくなかったんだよね」
そう思ったのは、前世のことを思い出したのがキッカケだった。
それまで、リタは村の風習を当然のことと受け入れていた。十五、六歳で自分も結婚する。相手は村の誰か。特に好きな相手はいないから、きっと親が探してくる。そして、その男の家に入り、家庭を守っていく。それが当たり前だと思っていた。
――なのに、その価値観がある日突然壊れた。
母親に頼まれて洗濯物を干しているときだ。物干しロープにかけたシーツの皴を伸ばしているとき、突然リタは昔のことを思い出した。
こことは全く別の世界。全く違う時代。とっても遠い距離にあっという間にたどり着ける空飛ぶ乗り物があって、とっても遠い場所の人とすぐに会話が出来る道具があって、リタの知っている村よりずっと世界が広がっている世界。
前世の記憶を思い出し、ひどくリタは混乱した。数日は気分が悪いと家に引きこもり、――記憶を取り戻した混乱から覚めると、今まで何も感じなかった様々なことに違和感を覚えた。その際たるが、結婚についての価値観だ。
前世に住んでいた国での成人は二十歳だ。結婚出来るのは女性は十六歳から。でも、二十二歳まで学校に通う人も多く、結婚する平均年齢は確か二十代後半。多くが恋愛結婚で、結婚したくない人は一生独身で生きることも出来る。
十五歳で成人といわれ、多くの少女がそれと同時に結婚をする。結婚相手は親が決めることが多く、好きでも何でもない相手。それからは家庭に入り、多くが一、二年で子供を産む。結婚をしないなんて選択肢はない。
(――私、好きでもない相手と結婚しないといけないの?)
リタはちょうど今、十五歳。
そろそろ縁談も来るだろうと言われていた。母親には花嫁修業の仕上げとばかりに家事を教わり、父と山に向かうことも殆どなくなっていた。少し前までのリタは「優しい人が旦那さんになるといいな」なんて呑気に考えていたのが、今は信じられない。
前世のことを思い出したちょうど一週間後、父親が縁談を持ってきた。
どうやら、村では美人と評されるリタに数人の求婚者が現れたらしい。話し合いがまとまり、村長の息子が結婚相手として選ばれた。
小さな村だ。村長の息子――チャドのことはよく知っている。昔から謎の視線を送ってくる割に話しかけてもニヤニヤと笑うだけでその場を立ち去っていく。その様子が酷く不思議だった。
――だが、今のリタには理解出来る。チャドはリタのことを異性として見ていたのだ。そして熱心に視線を送ってきていた。あの青年がリタの夫になる。
真っ先に嫌悪感を抱いた。好きでもない男と結婚しないといけない。子供を作り、家庭を守らないといけない。そんなの耐えられないと思った。
リタは泣いて両親に訴えた。「チャドと結婚したくない」と繰り返し繰り返し懇願してくる娘に、両親は酷く困惑していた。
村は狭い。問題を起こせば村での肩身は狭くなる。両親としてはこの縁談を破談にすれば、後々遺恨が残る。
それでも父はチャドと縁談をなかったことにしてくれた。
「王都に住む知り合いがリタを気に入った」と嘘をつき、リタを王都に送り出すことにした。
村長の息子との結婚話を破談させた以上、リタには村で新しい結婚相手を探すことも出来ないし、居場所もない。父の判断はきっと正しかったのだろう。
そうしてリタは父の古い友人の親戚だという酒場の女将のもとで働くことになった。独身の彼女は結婚を拒否したリタを温かく迎え入れてくれた。そして今、リタは後々両親に送ろうと、貯金に励んでいる。
「田舎の村じゃ結婚しない女の居場所はないからね。こうして王都に出稼ぎに来てるわけ」
まだ知り合って間もない相手に全ての事情を説明するには話が重すぎる。そのため、リタはあえて何でもないように軽い口調で説明をした。その会話に加わってきたのはコリーンだった。
「ねえねえ、グレンさんからも言ってくださいよぉ。リタさんも早くいい人見つけた方がいいって」
この世界の常識で云えばリタは変わり者だ。男性ならともかく、女性が一人で生きていくのは難しい。そのため、リタの身の上を心配して、「いい人を探したほうがいい」と言ってくる人は多い。コリーンもその一人だ。
今年十五歳のコリーンも既に結婚の予定が決まっている。その相手は幼馴染だという。一年後に結婚する予定で、それまで結婚資金を少しでも貯めたいと酒場で働いている。
「そんなんじゃ行き遅れちゃいますよって」
コリーンは無邪気な笑みを浮かべている。しかし、リタは胸が苦しくなるのを感じた。
彼女の発言は善意だ。コリーンもリタのことを想って言ってくれているのは分かる。
でも、今のリタにはその価値観が受け入れられない。女性が男性に頼らないと生きていけないなんて古いと思ってしまう。前世の記憶が、その価値観が、深く今の考えに影響を及ぼしているのだ。どうしても、昔を思い出す以前の自分に戻れない。
きっと、この国の常識を受け入れて、親が決めた結婚相手と夫婦になることを善しと出来れば、リタはこんなに苦しまないですんだ。幸せかどうかは分からないが、「こういうもの」と全てを受け入れて生活が出来た。
今の自分の欠陥品だ。こことは別の、あるかどうかも分からない世界の常識の影響を受けている自分は半端者なのだ。結婚の話になると、そのことを突き付けられているようで酷く苦しい。
前世のことなんて思い出したくなかった。そうしたら、自分はきっと親に迷惑をかけることもなく、普通の田舎娘でいられたのに。
ただ、元々前世の自分も結婚願望がなかったわけじゃない。今、リタが結婚したくないと思っているのは偏に村長の息子との縁談の件がトラウマになっているからだ。あと数年もしたらもしかしたら――とも思わなくないが、今はそこまで考えたくない。
リタはコリーンに笑みを向ける。その笑顔は乾いたものだが、天然なコリーンは違和感に気づかないでくれた。グレンに故郷の話を振ったことを後悔する。
穏やかな声が響いたのはそのときだ。
「いいんじゃないのかな」
誰の声かはすぐ分かった。リタはグレンを見た。彼は真剣な表情だった。決して、誤魔化しで言葉を口にしたようには見えなかった。
「したくないことはしなくていいと思うよ。リタさんの人生なんだから。好きなようにすればいいんだよ」
リタはその言葉に反応を返すことが出来なかった。
今までたくさんの人に「結婚したほうが良い」「考えを改めた方がいい」と諭された。リタの気持ちを尊重してくれたのは両親と酒場の女将ぐらいだ。まさか、酒場の客の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
リタは純粋に嬉しかった。そんな言葉を言ってくれる人がいて。しかし、コリーンは真逆の感想を抱いたらしい。
「そんな無責任なこと言っちゃ駄目ですよ!」
彼女はそう言って、今度はグレンを窘め始めた。
女の子にとって結婚の必要性、重要性がどういったものかを熱く語り始める。グレンは苦笑いを浮かべながらも、コリーンの話に耳を傾けていた。リタは怒りの矛先がグレンに向いたことで、その場を逃げ出す。内心、グレンに謝りながらだ。
リタは他の客の注文を取り、食事を運んでいる。暫くすると気がすんだのか、コリーンが戻って来た。ぷんぷん、という音が聞こえそうだ。
「グレンさんの言うこと真に受けちゃ駄目ですからね」
まだ、コリーンは話を終わらすつもりはなかったらしい。リタは内心、逃げられなかったかと息を吐く。どんなお説教が始まるのか、と覚悟していると――彼女が口にしたのは思ってもない言葉だった。
「グレンさん、リタさんに気があるんですよ。だから、他の人と結婚して欲しくなくて、あんなこと言ってるんですって」
流石にその発言には唖然としてしまった。
若い男女が二人親しげに話していればそういった野暮な噂が流されることもあることは知っているが、よりにもよってそんなことを言われるとは思ってなかったのだ。
コリーンが「リタさんのこと好きならさっさと口説いてくればいいのに」とぼやく。リタは「あはははは」とコリーンの発言を笑い飛ばした。
「グレンさんが私に? ないってない。コリーンの勘違いよ」
「でも、あの人いつもリタさんを呼び止めるじゃないですか。私の手が空いててもですよ?」
「そんなの偶々でしょ? 私が近くを通りかかっただけよ」
まだ仕事にぎこちなさの残るコリーンより、リタの方が仕事が早い。そのため、リタの方がコリーンより客から話しかけられることが多い。グレンからは好意を仄めかすような言葉も一切出ていない。絶対にコリーンの勘違いだ。
「グレンさんも困るから、変な噂は流さないでね」
念のため、釘を差すと、コリーンは不満そうに「絶対にあってるのに」と呟いた。
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