第二章 少年の叫び①


 その後――当然の事ながら――酒場にはこの街の役人が姿を現した。王女を自称する女が出没したのだ。通報を受けた彼らとしては無視できなかったのだろう。


 中年の役人はどうやらイヴァンジェリンの顔を知っていたらしい。王女を名乗る不届き者を捕まえに来たつもりが、実際に本物の王女がいたのだ。最初は「一体何のつもりだ!」と偉そうな態度だった役人が、王女と目を合わせた瞬間顔色を青くし、「こ、これはこれは、王女殿下ではございませんか」と低姿勢でゴマすりを始めた変わり身の早さはある意味素晴らしかった。


 イヴァンジェリンはこの街で一番上等な宿の一番高い部屋を男女別用に二部屋借りた。そして、「役人かれらと話があるから」とラルフを連れて、役場へ向かってしまった。出発は明日という雇い主の希望を叶えるため、ルーカスとエリスは買い出しに向かった。宿屋に残されたのはリタとグレンだけだ。


 宿屋は街の小高い丘にある。そのため、三階の部屋からは街の景色が一望出来る。


 デイバンの建物はどれも茶色の壁に、真四角のよく似た造りの建物ばかりだ。町を囲う塀の向こうに、リタたちが目指している地図外アネクメネがある。リタは窓枠に腰かけ、日が沈むのを眺めていたが、ふと思い立って立ち上がった。


 部屋の隅にはグレンが蹲っている。今リタがいるのは男性陣用の部屋だ。グレンを一人で放っておくわけにもいかず、リタはこっちの部屋で過ごしていたのだ。グレンの隣に膝をつくと、リタは笑顔を作る。


「皆戻ってこないね。先にご飯食べてよっか」


 そろそろ食事の時間だ。イヴァンジェリンたちもルーカスたちも戻らない。宿を出ていくとき、何を頼んでもいいと許しは得ている。リタとグレンの二人分だけでも先に用意をしてもらおうか。


 膝に顔を埋めていたグレンが少しだけ顔をあげる。灰色がかった薄茶色グレージュの髪の合間から、緑の瞳が覗く。


「……いらない」

「でも、お腹はすいてるでしょう?」

「すいてない」


 リタは困り果てる。


 ここに至るまでの道中、グレンはその図体に見合わないほど少食だった。日持ちする保存食ばかりだったので口に合わないのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。


(どうしようか)


 イヴァンジェリンはこのままグレンを地図外アネクメネへ連れていくつもりだ。また暫く――というより、長い期間、ろくな食事をとれないだろう。今日ぐらいはしっかり食べておいたほうがいい。


「そうだ」


 名案を思いついた、とリタは勢いよく立ち上がる。突然のことに驚いたようにグレンがこちらを見上げた。リタはにこりと笑う。


「待っててね。食事用意してくるから」


 部屋を開けて長時間グレンを一人きりにさせるのは不安だが、どうしても思いつきを実行したい欲求が強い。リタは窓を閉め、三階の廊下にいた従業員に「連れが黙って出ていかないか様子を見ててほしい」と頼むと、一階まで階段を駆け下りた。

 


 ❈



 それからリタが部屋に戻ったのは一時間後のことだった。


「お待たせ! ご飯できたよ!」


 グレンは最後に部屋を出たときと変わらず、部屋の隅で蹲っている。日は完全に落ち、室内は真っ暗だ。


 リタは食事を乗せたトレイをテーブルに置くと、部屋に幾つも置いてある灯に火をつけていく。部屋が明るくなったのを確認すると、リタはトレイをグレンのすぐ横に置いた。


「シェパーズパイ! グレン、これ好きでしょ?」


 リタが持ってきたのはいつもグレンが酒場で頼んでいたメニューだ。宿屋のオーナーに頼み込み、厨房を間借りしてリタが酒場の味を再現したものだ。作り方は以前、ダンに教えてもらっている。


「ちょっと、お店の味には劣ると思うけど、美味しく出来たと思うよ。食べてみてよ」


 美味しい匂いのおかげか、またグレンは顔をあげた。しかし、怪訝そうに皿に乗った料理を見る。


「……別に好きじゃない。そんな食べ物、知らない」

「あれま」


 失敗した。どうやら、十二歳のグレンはシェパーズパイを食べたことがないらしい。先に今のグレンの好物を確認しておけばよかった。


「じゃあ、グレンは何が好き? 明日の朝、用意してもらおうよ」


 その質問にグレンは黙り込んでしまった。


(……答えたくないのかなあ)


 今のグレンにとって、リタは知らない相手だ。十二歳ならまだ思春期。繊細なお年頃だろう。ずけずけと踏み込まれるのは嫌なのかもしれない。


 諦めて話題を変えようとしたとき、グレンが口を開いた。


「好き嫌いはしちゃいけないんだ。何でも食べなきゃ、立派な騎士になれない」


 リタは数度瞬きをする。それから苦笑いを浮かべる。


「ええと、そうだね。好き嫌いをすると大きくなれないって言うけど――でも、それは好きなものばっかり食べて、嫌いなものは食べないのは良くないって話でしょ? 好きな食べ物とそんなに好きじゃない食べ物くらいあるでしょ?」


 かく言うリタも好き嫌いはある。鶏肉料理と果物が好きだが、アスパラが嫌いだ。あの歯ごたえと味は前世でも好きじゃなかった。


「食べ物を好きとか嫌いとか考えているうちは跡継ぎに相応しくないって言われた。お祖父様じいさまのように、好みなんて言わずに何でも食べなきゃ駄目なんだって」


 その言葉に思わず、リタはグレンの腕を掴んだ。途端に彼は怯えた表情を浮かべる。リタはそのことに気を割く余裕はなかった。


「ねえ。それ、誰に言われたの?」


 じっとグレンを見つめる。グレンは暫く固まっていたが、また視線を逸らされた。


「みんな」


 ――みんなって誰だ。


 リタは考える。イヴァンジェリンは以前、グレンは殆ど家の外に出たことがないと言っていた。それであれば思いつくのは家族や使用人などだろうか。


「そんなの心理的虐待じゃない!」


 反射的にリタは声をあげていた。グレンは怪訝そうにこちらを見る。


「シンリテキギャクタイって、何」


 その言葉にリタは頭を押さえた。――そうだ。前世でいう中世くらいのこの世界には虐待という考えはまだない。基本的に子供は親の所有物であり、子供自身の考えを無視しても問題にならない場所なのだ。リタは自棄になって叫ぶ。


「良くないって意味だよ! いいじゃない、何が好きで何が嫌いでも! グレンは食事のとき、嫌いなものを残してたの?」


 グレンは瞬きも忘れたようにこちらを見ている。


「残してない。時間はかかったけど、ちゃんと食べた」

「なら、いいよ! 嫌いなものも好き嫌いなく食べて、グレンは偉い! 私が褒めたげる!」


 リタはそう言って、グレンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「それにもうグレンは立派な騎士だから多少の好き嫌いは許されるわよ。貴方、いっつもこればっかり食べてたのよ。平気平気、大丈夫だって」


 好き嫌いをしていて立派な騎士になれないなら、酒場で――リタがおススメを教えるようになってからは改善されたとはいえ――いつも同じメニューを食べていたグレン本人はどうなるのだろう。明らかに彼の言う『好き嫌い』を大人になった彼はしていた。


 グレンは嫌そうにリタの手を払う。精神的には子供でも、身体は立派な大人だ。乱暴に振り払われた手は大分痛かった。鋭い視線がこちらを射抜く。


「――お前、こないだウチに忍び込んできた奴だろ?」

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