第一章 旅の同行者たち⑥


「魔女ぉ?」


 ルーカスは呆れたような声をあげる。


「魔女なら倒されただろ。ちょっと前に王都から騎士様一行が来てたじゃねえか。何言ってんだ、アンタ」

「魔女は死んでいないわ。倒したというのはお父様の真っ赤な嘘よ」


 『お父様』という単語にルーカスは眉を顰める。


「……アンタ、誰だ」

「イヴァンジェリンよ。この国の王女。聖女でもあるわ」


 王女の言葉に二人――ではなく、周囲がざわつきだした。リタもまさか、こんなに堂々とイヴァンジェリンが素性を明かすとは思っておらず、驚く。


「主より賜った能力でわたくしは未来を視ました。わたくしと貴方達で魔女を倒す姿をです。この国の呪いを解くためにはわたくしが視た未来を現実にしなければなりません」

「何とも高尚なこって」


 ルーカスは苦々しく吐き捨てた。敵意を剥きだしでイヴァンジェリンを見つめる。


「嫌だよ。地図外アネクメネなんて行くわけねえだろ。他を当たりな」

「報奨は何でも用意すると言っているのに?」

「その代わりに捨てられるような命は持ち合わせちゃいねえよ」


 「帰んな」と言ったきり、ルーカスはそっぽを向いて黙り込んでしまった。――交渉失敗、ということだろうか。王女に声をかけるか悩んでいると、イヴァンジェリンが口を開いた。


「――本当に?」


 彼女はルーカスに一歩近づく。


「本当に、命を捨てられる程の願いはないの?」

「……しつけえな。あるわけねえだろ」

「本当に?」


 イヴァンジェリンの灰色の瞳が真っすぐにルーカスを射抜く。


「わたくしは王女よ。この国で最も地位も権力も財力も持ち合わせている一人よ。わたくしが望めば何だって願いは叶う。貴方の本当の願いだって――ねえ?」


 リタはこの数日で王女の恐ろしさを痛感している。彼女は相手がどう反論しようと、「はい」以外の答えを許さない。どんな手段を使ったって、二人を同行者に引き入れようとする。


 イヴァンジェリンはニコリと微笑んだ。とても美しいが、これは悪魔の笑みだ。


「――王族に仕える医師なら、貴方の妹を救えると思わない?」


 その言葉に、途端にルーカスは顔色を変えた。乱暴に音を立てて立ち上がる。王女は楽しそうに言葉を続けた。


「そうね。医師に無理でも、城で働く魔導士になら可能かもしれないわ。少なくとも、貴方が稼いだはした金で呼べるような医者や魔導士よりよっぽど腕の立つ者達よ。粗悪な薬の副作用で貴方の妹は今も苦しんでいるのでしょう? このままの境遇はとっても可哀想だと思わない?」

「何で、お前がアビーのことを知っている」


 ルーカスは今にもイヴァンジェリンに飛びかかり、首を折ってやろうとでもいう形相だった。直接殺意を向けられた訳じゃないリタでも背筋が震えているのに、イヴァンジェリンは怖がる様子がなかった。


「わたくしが聖女だからよ。それ以上の説明は必要ないでしょう?」


 彼女は今も不遜な笑みを浮かべている。


「そうね。地図外アネクメネについてきてくれさえすれば、成否問わず貴方の妹の一生は保障してあげる。空気が美味しい自然豊かな地で、心穏やかに暮らせるように計らうわ。毎日、美味しい食事が出てきて、温かい寝台で眠れて、お医者様にかかれる環境を作ってあげる。貴方がこの辺りでどれだけお金を稼いだとしても、決して妹に与えることが出来ない暮らしよ。そんな豊かな生活をアビーに送らせたいと思わない?」


 本当に、彼女が聖女というのは何かの間違いではないだろうかと思ってしまう。相手が望むものをチラつかせ、契約を持ちかける。やっていることは本当に悪魔だ。そして、リタもそうだったように、甘い夢を見せられて、その欲求を我慢できる人間はどれだけいるというのだろう。


 ルーカスはイヴァンジェリンを睨みつけたまま何も言わない。イヴァンジェリンも笑みを浮かべたまま何も言わない。緊張感が酒場内を支配する。


 それを打ち破ったのはどこか緊張感に欠ける柔らかな声だった。


「ルーカス、いいんじゃない? これ以上ない条件じゃん。王女様に付き合ってあげなよ!」


 ニコニコとした表情をしながら、軽い返事をしたのはルーカスの向かいに座る女――エリスだ。それまで空気だった彼女に一気に視線が集まる。


「聖女様の力ってスゴイねぇ! アビーのことまで言い当てちゃうなんて。スゴイスゴイ!」


 エリスは何とも無邪気な声をあげる。ルーカスが「エリス」と咎めるように名を呼んだ。それを無視し、エリスは「ねえねえ」と座ったまま、イヴァンジェリンの方に近づく。


「他に何が分かるの? 私のことも言い当ててくれる?」


 今度はイヴァンジェリンがたじろぐ番だった。常に空気を支配する立場である彼女を怯ませるなんてすごい。王女は一瞬言葉に詰まったが、「そうね」と口を開いた。


「…………さっきの任務中に失くした短剣は見つからないわ。代わりにわたくしが別のものを買ってあげる」

「えー! すごーい!! よく分かったねえ!! そうなの、気づいたらなくなってたんだよねー! 結構気に入ってたんだけど、代わりの買って貰えるならいっか!」


 見事いい当てられた女傭兵はとても上機嫌だった。花をまき散らすかのような笑みを浮かべ、イヴァンジェリンの手を握った。


「王女様は私のことも雇いたいんだよね? 一緒に魔女を倒しに行ってもいいよ。楽しそうだし!」

「エリス!」


 ルーカスは強く机を叩いた。きょとんとした表情を浮かべたまま、エリスはルーカスを見る。


「やめとけ。死ぬぞ」

「えー、でも、こんなに面白そうな事ってめったにないじゃん? それを見ないってのももったいないよぉ」

「もっと頭を使え。そんな馬鹿みたいな理由で命を捨てるって言うのか!」

「でもー、王女様は未来が視れるんでしょう? 死ぬとは限らないじゃん」


 エリスはニコニコした笑顔を王女に向ける。


「ねえ、王女様が視た未来では私たちは生きて帰れるの?」

「……残念だけど、わたくしもそこまでは視えていないの」


 イヴァンジェリンは一瞬目を伏せる。


「ただ、断片的に視た光景から推察する限り――生きて帰れる可能性は高いわ。わたくしの指示に従う限り、命を落とす危険性は極限まで落とすことが出来る。そのことは約束するわ」

「ほら、ルーカス。死ぬとは限らないよ。生きて帰れる確率のが高いんだよ。それって賭博ギャンブルで勝つよりよっぽど勝率があるってことだよねえ? ルーカスは私がポーカーをするのは止めないじゃん。今回は止めようとするなんておかしいよ!」

「……金を失うか、命を失うかなら、後者を止めようとするのは当然のことだろう」


 ルーカスはぐしゃぐしゃと頭を掻き、唸り声をあげる。また、乱暴な動作で椅子に座ると、忙しなく貧乏ゆすりをした。暫く黙り込んでいた傭兵は苦渋の表情で「それだけじゃ足りん」と吐き捨てた。


「成功報酬も寄こせ。失敗しても成功しても報酬が得られるとなったら、いざって時の戦意が落ちるかもしれねえ。それで命を落としたら俺の矜持プライドも許さねえし、元も子もねえ。傭兵の名に恥じない動きをするために成功報酬も用意しろ」


 それはつまり、成功報酬さえ用意すればルーカスも同行してくれる、という意味だろう。


 ルーカスの説得に成功したことに、リタはホッとする。イヴァンジェリンは表情を変えずに「いいわよ」と頷いた。


「何が欲しい? 何でも用意するわ」


 ルーカスも希望を思いついていなかったのだろう。また考え込み始めた。


「……本当に何でもいいのか?」

「ええ。わたくしに用意できるものであれば」


 「流石に不老不死を授けるとかは無理よ」とイヴァンジェリンは釘を刺した。ルーカスはどこか揶揄うような笑みを浮かべる。


「じゃあ、アンタに一晩付き合ってくれって言ったら、相手をしてくれるのか?」

「いいわよ」


 ルーカスの発言にリタが驚く間もなく、イヴァンジェリンは即答した。思わずリタはまじまじとイヴァンジェリンを見つめた。


「貴方が本当に望むならいいわ。どんな変態的な趣味を持っているかは知らないけど、どんな要求にだって応じてあげる」


 一切の迷いのない返答にルーカスは苦虫を嚙み潰したような顔をした。それから「冗談だよ」と吐き捨てる。


「アンタみたいなガキ趣味じゃねえし、恐ろしくて相手に出来ねえよ。――金だ。金をくれればいい」


 ルーカスの返事をエリスはテーブルに膝をついてニコニコと聞いていた。

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