第一章 旅の同行者たち⑤


 国境近くにある街、デイバンには二日ほどで到着した。


 本来王都からデイバンまでは四日ほどかかる。しかし、「出来るだけ早く到着したい」という王女の希望で、泊まれるような街も全て無視して夜は野営した。ラルフの魔法がかけられた馬は全く疲弊することがなく、休憩も殆どいらなかったこともあり、彼女の希望通り、行程を半分に縮めることが出来たのだ。


 デイバンから国境を越えるとその向こうに地図外アネクメネがある。そこまでは半日もかからない。地図外アネクメネに近いこの地域には魔獣も多く出没する。その為、この辺りで商いをする人間は護衛を雇うのが常、ということだった。


「さあ、残りの同行者を迎えに行くわ」


 ここまでの道中のうちにイヴァンジェリンも軽装に着替えている。黒い外套を羽織り、深くフードを被れば顔立ちは隠せる。しかし、気品さを立ち振る舞いまでは誤魔化せない。リタは王女の素性がバレるんじゃないかと冷や冷やする。


 同じようにラルフとグレンも着替えた。途中からグレンの手足を拘束していた縄も解かれ、彼はまるで子供のように馬車の隅に蹲っている。逃げ出す気配もなく、諦めたように大人しくしている。


(十二歳なら、精神的には子供か)


 どうしても二十四歳の外見に引っ張られてしまうが、今のグレンは子供みたいではなく、正真正銘子供なのだ。そのことを念頭に入れ、この二日間リタはグレンに対して子供に対するように優しく接した。しかし、精神年齢十二歳のグレンが心を開いてくれる気配は全くない。


「ラルフは馬車を見ていてちょうだい。――リタ、行くわよ」

「あ、はい」


 この二日でイヴァンジェリンの命令に従うことにはすっかり慣れた。先に馬車を下りた王女に続く。


(そうだ)

 

 リタは思い出して、馬車を下りる前に馬車の隅にいるグレンに近づいた。警戒するような視線を向けられる。リタは努めて柔らかい笑みを作った。


「グレンはどうする? 一緒に来る?」


 イヴァンジェリンはよっぽどグレンに怒りを覚えたらしい。この二日間の道中、彼女は殆どグレンをいないのと同じように扱った。ラルフは遠慮がちな性格らしく、心配そうな視線をグレンに向けるものの、直接声をかけることはない。そのため、グレンを気遣う役回りは自然とリタのものになった。


「……行かない」


 グレンの返事は誘いを拒否するものだった。ずっと馬車の中にいては退屈だろうと声をかけたのだが、余計なお世話だったようだ。


「うん、分かった。じゃあ、行ってくるね」


 リタは馬車から下りる間際、ラルフに「後はよろしくね」と一言だけかけた。馬車を下りると、王女と目が合う。馬車を下りるまで時間のかかった下僕を、イヴァンジェリンは責めなかった。


「行きましょう」

「はい」


 イヴァンジェリンはスタスタと歩き始める。リタはその後を従順に追った。



 ❈



 デイバンは王都ほどではないが、栄えた街だった。王女の説明ではこの街は交通の要所らしい。


 この国の南西には雪山の大山脈がある。デイバンから地図外アネクメネとの境目にあるどの国にも属さない無主地の街道を通れば、山脈を越えることなく、南西の国々に向かうことが出来る。魔獣が出るとはいえ、難易度は山脈越えよりは大分低い。大人数の護衛を雇えば、殆ど確実に荷物を運ぶことが出来る。高山病や、雪崩で荷や命を失う危険性がないのだ。護衛を雇う分、商人に出費は増えるが、その分交易品の価格はあげればいい。彼らの懐が痛むことはないのだ。そして、この街にはそんな商隊の護衛を商いとする傭兵が多い。


 そためか、道行く人は男性の割合が多い。しかも、殆どが屈強なガタイのいい男たちだ。女二人で歩いていると意味ありげな視線を向けられたり、声をかけられることもあった。リタはなんとかそれを躱しながら、目的地を目指した。


「どこへ行くんですか?」


 イヴァンジェリンは街の入り口にある地図を確認していた。しかし、一体どこへ向かっていたのかをリタは理解していない。王女は振り返ることなく答えた。


「酒場よ。この辺りで働く傭兵御用達なの。任務を終えた二人もそこにいるはずよ」

「……その二人が、残りの同行者なんですね」

「そうよ。この街でも腕が経つと評判のね。――着いたわ」


 そう言って、王女が足を止めたのは宣言通り、酒場の前だ。リタが働いていた酒場より何倍も大きい。店の前にもガラの悪そうな男たちが集まっている。王女は臆することなく、酒場の戸をくぐった。


「いらっしゃい」


 入ってすぐ声をかけてきたのは中年の店員だった。粗野な風貌の彼は、イヴァンジェリンを見ると一瞬固まった。その美貌に見惚れたのだろう。


「ルーカスとエリスに仕事を依頼したいの。二人はいる?」


 その二人が王女が未来視した同行者なのだろう。店員は何とも怪訝そうな表情な表情を浮かべる。


「あの二人にか? ルーカスは守銭奴だ。高い金額を吹っ掛けられるぜ」

「その分実力は確かなのでしょう?」


 きっと、ルーカスを雇い入れる金額は庶民には大金だろうが、王女にとっては小金だろう。店員の忠告にイヴァンジェリンが怯むことはない。


「ご忠告ありがとう。でも、問題はないわ。二人がどこにいるか教えてくれる?」

「……一番奥のテーブルにいるぜ」


 諦めたように店員は店の奥を指さした。


「ありがとう」


 イヴァンジェリンは冷淡な口調でそう言うと、一番奥のテーブルを目指す。店員とすれ違いざま、リタも「ありがとうございます」と頭を下げる。


 店内は多くの傭兵と思わしき男たちがたむろしていた。彼らは酒場に似つかわしくない若い女二人に興味ありげな視線を送ってくる。周囲と目を合わさないようにイヴァンジェリンの背を見つめていると、彼女が突然立ち止まった。


「貴方達がルーカスとエリスね」


 イヴァンジェリンが立ち止まったのは一番奥のテーブルだ。その後ろから、リタもテーブルに座る客に視線を向ける。


 そこにいたのは二十代後半の男女二人だった。


 男は黒の短髪、焦げ茶の瞳だ。他の傭兵同様体格がいい。胡乱気な目をイヴァンジェリンに向けている。もう一人はウェーブがかった黄緑色の長髪に、黄金色の瞳の女性だ。頬から鼻にかけて大きな切り傷が残っている。戦闘での傷なのだろうか。しかし、その程度では遜色ないほどの美人だった。彼女はきょとんとしながらも、どこか楽しそうな笑みを浮かべている。二人の横にはそれぞれ大剣と槍が置かれていた。


「貴方達に仕事を頼みたいわ。報酬は言い値を払いましょう。何だったら、金銭以外でも構わないわ。宝玉でも、土地でも何でもあげるわ。その代わり、わたくしと共に地図外アネクメネへ向かってほしいの」


 その言葉を聞いて、男――ルーカスは信じられないようなものを見たとでもいうように目を見開いた。暫くポカンとイヴァンジェリンを見ていたが、突然堰が切れたように笑いだした。店内に男の笑い声が響く。王女は何も反応せず、ただルーカスが笑い終えるのを待つ。


「面白いこと言うな、嬢ちゃん。一体どうしたらそんな冗談を思いつくんだ?」

「冗談ではないわ。わたくしは本気よ」


 イヴァンジェリンはどこまでも落ち着いている。


「“地図外アネクメネの魔女”を倒したいの。その為には貴方達の力が必要よ」

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