第一章 旅の同行者たち③


 翌朝、リタは王宮を後にし、ダンの家を訪ねた。


 彼は商家の四男坊だ。食料品を始め、様々な商品を近隣の店に卸している。


 店先で働く男性に声をかけ、ダンを呼んでもらうように頼む。男性は二階へ姿を消し、少しすると慌てた様子でダンが階段を駆け下りてきた。


「リタ」


 彼は驚いた様子だったが、リタの顔を見るなり、ほっとしたような笑みを浮かべた。


「良かった。心配してたんだよ。大丈夫だった?」

「うん、まあ。そのこともなんだけど、ちょっとダンにお願いがあって……少し時間貰える?」


 店先には従業員や、客の姿もある。そちらに視線を向けると、ダンが「外に行こっか」と提案してくれる。人目をはばかることを察してくれたらしい。


 二人は店が立ち並ぶ商業区域を抜け、人気の少ない川沿いへ向かった。川べりの芝生に腰かけ、リタは昨日ダンと別れてからのことを説明した。


「そっか。それは驚いたね」


 ダンは言葉と裏腹に落ち着いた様子で言った。


「それで本当に王女殿下の旅に同行するの?」

「……うん」


 昨日、リタはイヴァンジェリンの頼みを中々受け入れられなかった。しかし、今は違う。


 今朝、久しぶりに昔のグレンとのことを夢に見た。


 あの頃、まだリタはグレンに恋愛感情を抱いてはいなかった。でも、グレンは出会った頃から何も変わっていない。ずっと、リタが好きだったグレンのままだった。


「私、ショックだったんだよね。グレンに『お前なんて知らない』って言われて」


 彼の反応は記憶喪失として当然のもの。しかし、言われたリタは傷ついた。


「私自身を、っていうよりは二人の思い出かな。今まであったことを全部否定されたような気分になったんだ」


 リタとグレンの関係についてはダンたちも知っている。それでも、二人がどういうやり取りをしていたのかを知っているのは当事者であるリタたちだけだ。グレンが忘れてしまった以上、二人で話したこと、体験したことを覚えているのはリタだけだ。


「グレンが忘れちゃっても、私が覚えていればグレンとの思い出はなかったことにはならない。……でも、やっぱり悲しかったんだよね」


 例えば、リタの前世の記憶。異世界の記憶を持つのはリタだけだ。だから、前世での出来事なんて、他の人からしたら夢も当然だろう。


 でも、リタにとってはそうじゃない。リタになる前のことは、リタにとっては現実にあったことだ。――そのことをリタが受け入れられるようになったのはグレンのおかげだ。


 ――君以外は誰も知らなくても、覚えていなくても。


 かつて、前世のことを認めてくれた彼が記憶を失ったことで、今度は二人の思い出をなかったことにされそうになっている。そんな風にリタは感じてしまった。そして、そんなことは認められないと思ってしまった。


 リタは立ち上がる。


 目の前に広がる川面は穏やかだ。キラキラと太陽の光を反射している。一歩、二歩と川辺に近づく。


「私はグレンとの思い出を、私だけのものにしたくない。グレンに思い出してほしい」


 もしかしたら、リタと過ごした記憶はグレンにとって不要なものかもしれない。身分違い故に、この関係はいずれ破綻するのは目に見ている。王女の旅が成功したら、そのまま二人は結婚するかもしれない。記憶を取り戻しても、リタとグレンの関係は元に戻らないかもしれない。


 それでも、リタは二人の関係にきちんと決着をつけたい。二人で過ごした事実を魔女の呪いのせいで忘れたままというのは嫌だった。


「そのためなら出来ることはなんだってやる。だから、ダンにも手伝って欲しいの」


 リタはダンを振り返った。彼は眩しそうに目を細める。川面の反射が眩しかったのか、あるいは――。


「……うん。王女殿下を手伝うっていうのは、貴族の御屋敷に忍び込むよりはいいかもね」


 そう言って、ダンは柔らかく笑った。


「いいよ。僕も手伝うよ」



 ❈



 その後、リタはダンと一緒にリストの物資を集めることになった。ダンの実家で頼めそうなものはそこで、それ以外はリタが駆け回って買い求めた。


 頼まれたものの中には旅用の服なんかも含まれており、リタは四人分の服を買うことになった。どうやら、同行者はリタ以外に二人いるらしい。そのうちの一着は自分用だ。普段の町娘の服装エプロンにスカートでは旅には向いていない。赤のチュニックに黒いズボンに着替える。仕上げに髪を高い位置で結い、象牙色アイボリーの外套を羽織る。


 数日分の食料と旅に必要なものを馬車に積み込むと、ダンとリタは王都を出発した。町外れの指定場所は分かれ道だ。左の道を進めばリタの故郷である東部に、右の道を進めば国の南部に行ける。待ち合わせより少し早い時間に二人は到着することが出来た。


 リタは空を見上げる。太陽の位置は大分移動している。今度は王都へ続く道に視線を移す。真っすぐの一本道はかなり遠くまで見渡せる。しかし、待ち人らしき姿はない。


「来ないね」

「……そうね」


 二人は馬車にもたれかかりながら、待ちぼうけしていた。大分経つというのに、王女は姿を現さない。


(……何かトラブルでもあったのかしら)


 不安になっていると、突然背後が眩しく光った。振り返るものの、あまりの明るさに目を閉じる。光が収まり、ようやく目を開けたリタは目を丸くした。


「待たせたわね」


 そこにいたのはイヴァンジェリンだ。もう一人、それ以外にも青灰色のボサボサの髪をした少年が立っている。彼が着ている黒い国章入りの外套は、確か王宮に仕える魔導士の制服だったはずだ。右手には如何にも魔導士といった大きな杖を握っている。


 地面は焦げたような円形の魔法陣の跡が残っている。おそらく魔法の一種なのだろうが――リタは彼女たちが突然現れたことよりも、もう一人地面に横たわる人物の存在に驚いた。


「グレン!?」


 両手足を縛られ、猿轡をされ、芋虫のように地面に倒れているのは見間違いようなくグレンだ。

 

 リタはグレンに駆け寄る――が、今のグレンからしたらリタは不審人物である。猿轡をしたまま、声をあげられた。距離を取ろうとしているが、縛られた状態では上手く移動できないのか、地面でもぞもぞ動くだけだ。その姿はとてもではないが、騎士団でも最強と言われる男には見えない。


「もう、騒がしいわね。ちょっと黙ってちょうだい」


 イヴァンジェリンは何かの呪文を唱え、グレンに向けて指を振り下ろした。すると、途端にグレンは何も言わなくなる。逃げる素振りは変わっていないことから、王女が何かしたのは明らかだった。


「何をしたんですか!?」

「煩いわね。ちょっと喋れないようにしただけよ。本題に入れないでしょう?」


 彼女はそう言うと、笑みをダンに向ける。絶世の美少女に微笑みかけらたことで、ダンは「えっと、その」と途端にどぎまぎし始めた。


「必要な物は揃えられたかしら?」

「は、はい」

「助かったわ。協力ありがとう、ダン。――それと、今日の出来事は騎士に訊ねられたら全部素直に答えて問題ないわ。それだけは覚えておいてちょうだいね」


 イヴァンジェリンはダンに向かって手を伸ばした。彼女の細い指がダンの額に触れた瞬間、元同僚の身体は崩れ落ちた。リタは悲鳴をあげる。


「――ダン!」

「ラルフ。彼を先ほど指定した場所に転移させて」

「は、はい。分かりました」


 ラルフと呼ばれた少年がダンに近づく。彼はダンの周囲に杖で魔法陣を描き始めた。リタは王女に詰め寄る。


「ダンに何をしたんですか!」

「何って、気絶させたのよ。五日は目覚めないわ」


 イヴァンジェリンには悪びれた様子は一切なかった。リタは「そんな」と絶句する。王女は溜息をついた。


「これは彼自身のためでもあるのよ。彼が今回の件を伏せようとしても、魔法で人の口を割らせることは出来るの」


 王女は淡々とした口調で説明する。


「わたくしの不在はすぐにバレるわ。その過程で彼にもお父様の手の者が接触するかもしれない。調べればすぐにお父様はわたくしが地図外アネクメネを目指していることも気づくでしょうね。どんな手を使っても情報を手に入れようとする。でも、五日もあればわたくしたちは地図外アネクメネへ入ることが出来るわ。それ以降にお父様が何を知ったところで、わたくしたちに手出しは出来ない。ダンが全部を話してしまっても、わたくしたちは困らない。彼も正直に話せば危ない目に遭うことはないわ」


 きっと、王女の主張は正しいのだろう。しかし、感情的にはリタは納得が出来ない。


 そうこう、やり取りをしている間にラルフは魔法陣を描き終わってしまった。彼が呪文を唱えると、ダンの姿が消える。


「安心なさい。町医者の家の前に転移させたから。面倒は見てもらえるでしょう」


 彼女はそう言うと、馬車の荷台に乗り込む。そして、こちらに微笑みかけた。


「さあ、出発しましょう。詳しい説明は道中にするわ」

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