第一章 旅の同行者たち②
リタが働く酒場の客は、殆どがこの近隣のご近所さんたちだ。誰もが顔見知りで、別々に来たのにまるで約束をしていたかのように一緒に飲み始める。誰もが酒の力で騒ぎ、盛り上がる。リタはいつもその光景をぼんやりと眺めていた。
(……どこでも一緒なんだな)
前世の頃、居酒屋でバイトをしたことがある。そこでも大学生や社会人が同じように騒いでいたのを思い出す。全国展開をしているチェーン店で値段も安かったから、どうしても客層は騒がしくなってしまう。対人トラブルや給料の安さから半年程度で別のバイト先に変えてしまったのだが――なんとなく懐かしさを感じる。
「リタ!
「はーい」
常連客である肉屋の店主の注文を受け、リタは厨房へ下がる。そこには困り顔のダンと、最近新しく入って来たコリーンが泣きそうな顔をしていた。ただならぬ様子だ。
「どうしたの?」
リタが訊ねると、コリーンが涙目を向けてくる。ダンが苦笑いを浮かべる。
「コリーンがね、注文内容忘れちゃったんだって」
「注文を受けて戻ってこようと思ったら、別のお客さんに話しかけられて……何を頼まれたか忘れちゃったんです」
正直なところ、コリーンはそれほど物覚えが良くない。その上、この酒場――というよりはこの国では常識だが――では注文は聞き取りだ。この世界に紙がないわけではないが、それなりの値段がする。そのため、いちいち注文を紙に書き留めるような文化はない。そのため、注文も、会計も記憶だよりだ。そのせいで会計をちょろまかされそうになることもある。
リタは先ほどコリーンが注文を誰からとっていたのか記憶を辿る。
「
「た、確か、そう! よく分かったね、リタ!」
感心したようにコリーンはキラキラした目を向けてくる。苦笑を浮かべると、注文内容からダンも察したらしい。
「ああ、コリーンが注文取ったお客さんってあの人か」
リタが頷くと、事情を呑み込めていないコリーンだけが首を傾げる。まだ新人の後輩に説明をする。
「あの人も常連さんなのよ。いつも頼むのは同じもの。覚えちゃったわ」
彼がこの店に姿を現すようになって一ヶ月ほどだ。新規の客は殆どが常連客が連れてくるというのに、彼はたった一人でフラリと現れた。周りが騒いでいるのにも関わらず、いつも一番端の席で静かに酒を飲んでいる。雰囲気も良くも悪くもこの近隣にいるようなタイプではなく、リタの中で彼の印象は「変な客」というものだった。
だって、彼の飲み方はこの大衆的な居酒屋に似つかわしくない。一人で静かに飲みたいなら、もっと中心部に近い上流層向けの酒場へ行けばいいのだ。この店で提供しているものよりもっと上等な酒を飲める。身なりも良さそうに見えるから、そういった店の会計も出来そうなのに。
リタは自身が受けた注文をダンに伝える。それからやってきた
「こっちは私が運ぶわ。コリーンは
彼はいつも同じものを注文するが、もし万が一違った場合が不安だ。地元の人間でないあの客が間違った注文を届けた場合にどういう反応をするかも分からない。新人に頼むより自分で持っていたほうがいいと思ったのだ。
リタは酒場のホールを抜け、一番隅のテーブルに向かった。
「お待たせしました」
その客は室内というのにいつも目深にフードを被っている。フードの隙間から
(ホント、ただの不審者よね)
リタはそんな失礼なことを考えながら、料理をテーブルに並べる。彼は「ありがとう」と軽く感謝の言葉を口にする。何も指摘がなかったので、どうやら、注文内容は合っていたらしい。リタはそのことに安堵する。
男がパイに手を伸ばす。リタはその場を立ち去ろうと思ったが、――つい魔が差してしまった。考えなしに口を開いた。
「いつもそればっかりで飽きないの?」
それは以前からずっと抱えていた疑問だ。彼はいつもメニューしか頼まない。酒場では二十種類以上のメニューを用意しているというのにだ。とんだ偏食家ではないかと思う。
彼は驚いたように顔をあげた。そのとき、リタはその客の顔をはじめてまともに見た。不審者とは呼べない整った顔立ちに少し驚いたことは覚えている。フードで顔を隠す必要はないのでは、と思った。そして、青年の表情を見て、リタは自身がとんでもなく失礼な発言をしたのではないかと気づいてしまった。
「えっと、うちの店の料理は近隣でも美味しいって評判なんですよ。是非、他のメニューも頼んでみてはいかがかな、って」
自慢じゃないが、女将の考案した味付けの料理はどれも美味しい。はじめて食べたときはリタも感動したものだ。シェパーズパイばかり食べていては勿体ないと思ってしまう。
言い訳をするようにリタが早口で言うと、青年は吹き出した。笑われた、とリタは恥ずかしさでいっぱいになった。青年は「悪い」と言いながらも、まだ笑っている。
「飽きない、か。――そうだな。あまり考えてなかった。ついいつも同じものを頼んでしまうのは癖かな」
響くのは穏やかな声音だ。彼がそこまで長文を話すのをリタははじめて聞いた。話し方から人の良さが窺える気がする。
「好き、なんですか?」
「うん。好物なんだ。メニューで見つけると、いつも頼んでしまう」
そう言って、改めて青年はパイを口に運ぶ。そして満足そうに笑った。
「色々な店でシェパーズパイを食べてきたが、ここの酒場のが一番気に入ってる」
「――本当!?」
お世辞かもしれない、ということを忘れ、リタは顔を輝かせた。思わず、距離を詰める。
「そう言ってもらえて嬉しいわ! 女将さんの料理はどれも天下一品なんだか」
そこまで言い終わってから、リタは自分が無遠慮に顔を近づけ過ぎたことに気づいた。青年は驚きのあまり、固まっている。リタは羞恥で顔を赤くしてから、再び距離を離した。少し大げさに咳払いをする。
「……なので、よかったら今度は他のメニューも頼んでみてください。どれも美味しいので」
青年は多少、無遠慮ともとられかねないリタの行動に気分を害した様子もなかった。「うん、そうしようかな」と口元に穏やかな笑みを浮かべる。その様子を見ながら、やはりリタは疑問に思う。
「お兄さん、この辺りの人じゃないですよね?」
話し方を聞いて確信した。彼は上流階級――貴族か、裕福な商家あたりの人間だ。彼の発音は上品で、一般庶民のソレではない。
「うん、そうだね」
少し踏み入った質問をしてしまったのかもしれない。青年は視線を逸らし、どこか言いづらそうに頷いた。
「家はもっと北の方だよ。……ここの店は、あまり余所者が来ない方がよかったかな」
遠慮がちに言われた言葉は嫌味には聞こえなかった。慌てて、リタは否定する。
「そういうわけじゃないです! ただ、珍しいなって。大体、みんな家の近くの酒場で飲むでしょう?」
前世では遠くに飲みに行く、というのはそれほど珍しくなかったが、この世界での生活圏は限られる。知り合いも殆ど近場に固まるし、わざわざ遠くの酒場に飲みに行く人は殆どいない。少なくとも、王都に来て、リタはそれが一般的なのだと学んだ。
青年は視線をグラスに落とす。少し何かを考えてから、口を開いた。
「家の近くだと、俺を知っている奴等が話しかけてきて落ち着いて飲めないんだ。ここなら、俺を知ってる奴はいないから」
確かに彼の過ごし方を見ている限り、静かに食事と酒を楽しみたいように見える。家の近くの酒場だと知り合いが話しかけてきて落ち着かない、という考えは理解出来た。リタはこの一ヶ月間ずっと抱えていた疑問が解決してスッキリした気分になった。
その後、いつも通り静かに過ごした青年はリタに会計を頼んできた。銀貨を受け取り、お釣りの銅貨を返す。「ご来店ありがとうございました」とリタが笑顔を向ける。お礼を返されると思っていたら、彼が口にしたのは全く別のことだった。
「よかったら、次に来た時におススメを教えてもらえないか」
リタはきょとんと彼を見上げる。青年はどこか恥ずかしそうに微笑む。
「君の言うように他のメニューも頼んでみようと思うんだが、いっぱいあって選ぶのが大変だから。君のおススメを教えてもらえると助かる」
確かに今までシェパーズパイ以外を頼んだことのない彼にはどれが美味しいか分からないだろう。リタとしては全部美味しいと思っているし、どれを頼んでも正解だとは思うが――リタは「分かりました」と力強く頷いた。
「お兄さんのお力になれるなら嬉しいです。次いらっしゃるの楽しみにしてますね」
リタの言葉に青年はどこかホッとしたように安堵した表情を浮かべる。
これがリタとグレンが初めて、きちんと言葉を交わした出来事だった。
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