プロローグ②
今から約二ヶ月前、国の北部の山で大噴火が起きた。
事前に聖女が未来を予言し、住民の避難は完了していたため、死傷者はいなかったが、一つの街が溶岩に飲み込まれた。こんなことはアウディティオの建国以来はじめてのことだ。神に加護されたこの国では大きな自然災害が起きることはない。混乱する国民に国王はあることを発表した。
『長くこの国は我らがアウディティオ神の加護で守られてきた。しかし、
どの国にも属さず、危険な魔獣と呼ばれる獰猛な生物が多く生息するこの地は人間が立ち入れる土地ではない。どれほど鍛錬した屈強な戦士でも、立ち入って返って来れる保証はないのだ。
しかし、国王は“
出立の前夜、グレンはリタの家を訪ねてくれた。
何も知らず、恋人の訪問に喜ぶリタにグレンはそのことを伝えた。そのとき、リタは衝撃を受けた。「嘘だ」と、「冗談だと言ってほしい」と泣きついた。
今までもグレンは遠征のために王都を離れることがあった。
「騎士団の仕事。すぐ戻って来る」と笑って出発した彼は、いつも無傷で帰って来た。だから、騎士という仕事が危険をはらむものであることをリタはその日まで失念していたのだ。
それでもグレンは約束してくれた。
『何があっても、絶対に俺は君の下へ戻って来る。どんな危険に陥っても、どれほど絶望的な状況でも――だから、俺のことを信じてくれ。絶対に帰って来るから』
そう約束して、グレンは旅立った。
リタはその日からずっと、彼の帰りを信じて、毎日教会に祈りを捧げに行った。
そして、その三週間後――今から一週間前、とうとうグレンが凱旋した。
驚くべきことに、彼は単独で
リタはそのときまで、グレンの生家が先々代の騎士団長を輩出した騎士の名門アークライト家だと知らなかった。彼が通常卒業に五年かかる騎士の学校をたった二年で卒業したことも、各地で不穏分子の一派や凶暴な魔獣を討伐した経験がある騎士団で最強と呼ばれる実力者というのも、次期騎士団長だと呼び声高いということも、知らなかった。
グレンがとんでもない偉業を作りあげてから、はじめてリタはそのことを知ったのだ。
何でそんな人が――と思ったのは最初だけ。
とにかくグレンが生きて帰って来た。そのことが何よりも喜ばしい。今は後処理で仕事も忙しく、リタに連絡する余裕はないだろう。そのうち、向こうから会いに来てくれるまで待とう。
ただ、そう思えたのは、最初の一日だけだった。
『救国の英雄』帰還の翌日、また国王がお触れを出した。
その内容は『聖女でもある第一王女イヴァンジェリンをグレン・アークライトに嫁がせる』というものだった。
街中が王女と英雄の結婚を慶び、
グレン帰還から三日後。リタは駄目元でグレンに手紙を書いた。
今までリタとグレンが会うときはいつも向こうから会いに来てくれていた。連絡をしてくるのも向こうからだ。リタは直接会う以外の連絡手段を持たない。これ以外の方法が思いつかなかったのだ。
『救国の英雄』と持ち上げられたグレンの下には他にも大量の手紙が届いていたらしい。結果、手紙は開封されることなく送り返されてきた。
次にリタがしたのは直接グレンに会いに行くことだ。
アークライト邸の場所は既に誰もが知るところだ。リタは直接門をたたき、グレンに会いたいと要求した。しかし、当然ながら門番は一切取り合ってくれなかった。
「せめてグレンにリタが会いに来ていると伝えて」と懇願したが、「グレン様はどなたともお会いにならない」と一蹴された。それでもしつこく粘る訪問者に業を煮やした門番に「どうして面会を希望する」と訊ねられ、リタは馬鹿正直に「グレンの恋人なんです」と答えてしまった。
「騎士を呼ぶぞ」と警告され、リタは撤退せざるを得なかった。
それが今から三日前のこと。
リタは諦めきれず、最終手段に出ることにした。そして、その行動が周囲に迷惑をかけることから、一昨日リタはお世話になっている酒場の女将に「仕事辞めます。お世話になりました」と退職を申し出てきた。
昨日一日情報収集を行ったリタは計画を実行すべく、早朝の大通りの近くに潜んでいた。そこを、心配して探しに来たダンに発見されたわけである。
❈
「危ないことはやめなよ」
唇を噛む同僚に、ダンは優しく話しかける。お人好しで優しい
「グレンさんにもきっと事情があるんだよ。落ち着いたらきっと連絡をくれるよ。それまで待ってよう」
リタとグレンが付き合っていることは酒場の同僚や、常連客は知っている。ただ、殆どがグレンが騎士ということは知らない。『リタの恋人のグレン』と『救国の英雄グレン・アークライト』を紐づける人はいないだろう。
ダンはグレンが今話題の英雄と同一人物ということを知っている数少ない一人だ。
だから、リタの立場を慮ってくれ、話にも耳を傾けてくれる。そして、愚かな行動を取ろうとする元同僚を諫めてくれているのだ。ただ、リタはここで彼の説得に頷くわけにはいかなかった。
「……戻ってくるって、信じてくれって約束したのに」
あの晩、彼の言葉に嘘はなかったように思えた。
それなのに、帰ってきたと思ったら、
リタは立ち上がる。
「別れたいなら、別れたいでいいのよ」
前世とは違って、この国では誰もが好きな相手と結婚できるわけではない。誰もが結婚が義務で、身分違いの相手との婚姻は許されるものじゃない。
だから、グレンとの関係もいずれ終わるものであることをリタも分かっていた。
「でも、言いたいことは言わないと気がすまないわ。向こうも私のことをちゃんと振る! それが礼儀ってもんでしょう!」
大通りのとある商店の前に馬車が停まったのはそのときだ。貴族の家紋が刻まれた馬車はずっと待っていたものだ。リタは一歩足を踏み出す。
「リタ」
「どうにかグレンと話してくる。これ以上は止めても無駄だから」
「ダンは付き合わなくていいよ。私一人で行く」と言って、リタは走り出す。その背に声がかかることも、誰かが追って来ることもなかった。
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