恋人の記憶を取り戻すために魔女討伐に加わることになった田舎娘です~私と貴方の再起の旅~

彩賀侑季

プロローグ①


 あの日の感覚は今も覚えている。


 ここじゃないどこか。遠い遠い場所。見たこともないような高い建物が並び、見たこともないほど多くの人が行き交う街。遠くにいる友人と連絡がとれる小さな四角い板を見つめながら、馬車の何十倍も大きく速く動く乗り物に乗って、遠くにあるどこかに出かけていた。


 そこには沢山の若者が行き交っていた。私は建物の一室に入り、椅子にかける。初老の男性が現れ、他の多くの若者の前で何かを語っている。周りを見れば、真剣に耳を傾ける人もいれば、目を閉じている人もいた。


 それが終わると、ある日ははどこかの店で働く。ある日は仲の良い友人とどこかの店に向かい、夜遅くまで談笑する。そしてまた、乗り物に乗って家に帰る。既に日は沈んでいるのに、街は昼のように明るい。


 私の知る村とは全く違う場所。夢か空想のような世界。



 でも、私が私になる前、確かに私はあそこにいたのだ。

 


 ❈



 まだ早朝の王都は静かだ。空気もひどく冷たく、人気もまばらだ。大通りに面した商店では開店準備をする従業員の姿はあるが、道を歩く人の姿は殆どない。


 その大通り沿いの路地――というよりは店と店の間の隙間だ。それほどに狭い――にしゃがみこむ二人の人影があった。


 一人は髪の長い赤髪の娘。もう一人は黒髪の少しふくよかな青年だ。娘の方が周囲に声が響かないよう気をつけながらも、ハッキリと主張した。


「こんなのってないと思うのよ!」

「うんうん、リタの気持ちは分かるよ」


 共感の姿勢を見せてくれたのは娘――リタと同じ酒場で働く調理人コックのダンだ。どこか間延びした口調で頷いてくれる。しかし、続く言葉はリタに同調するものではなく、諫めるためのものだった。


「でも、貴族様のお屋敷に忍び込むのはどうかと思うよ。考え直した方がいいって」

「だって、こうしないとグレンに会えないでしょうが! 真正面から会いに行ったら門番に門前払いされたんだから!」

「うーん。まあ、そうだろうね」


 ダンはどこか困ったように眉根を下げる。


「もうすぐ王女殿下と御成婚予定の『救国の英雄』の恋人なんです、なんて名乗っても信じてもらえないと思うよ」


 その言葉にリタは眉間に皺を寄せた。全くもって、ダンの言うとおりではあったが、納得がいなかったからである。



 ❈


 

 リタはどこにでもいるような田舎出身の娘である。


 訳あって故郷から出てきたのは十六歳のとき。『女将さん』――父の知り合いの親戚の女性だ――を頼り、王都にある彼女が経営する酒場で働いている。今は毎日、忙しい日々を過ごしている。


 そんなリタには恋人がいる。恋人の名前をグレンといい、その素性は騎士団に所属する貴族の御曹司だ。


 一体、何故貴族の御曹司がどこにでもいるような田舎出身の酒場の店員に好意を抱いてくれるようになったかは本当に謎だ。


 グレンは貴族という上流階級に属しながら、リタの働く平民向けの酒場を好んで通っていた。常連客となったグレンと親しくなり、最終的にリタから告白したのだ。告白をした際、グレンは「俺も好き」とリタの想いを受け入れてはくれた。


 しかし、彼と付き合って一年、未だリタはグレンが自分に好意を抱いてくれたキッカケが全く分かっていない。


 だって、リタは特別何かを持っているわけではない。


 生まれ故郷の村では「村一番の美人」と言われていたが、そんなものは井の中の蛙だ。王都に出て、自分が平凡より少しだけ顔立ちが整っているだけというのを知った。


 赤髪だって、蒼い瞳だってこの国では特段珍しいものではない。


 父が猟師で、一緒に山に獣を狩りに行った経験があるため、体力に自信があるのと弓矢の扱いぐらいは心得ているが、その技術が都会で役立つことはない。


 リタ自身の性格も立ち振る舞いも、上流階級で好まれる『おしとやかなご令嬢』とはかけ離れていることは十分自覚している。


 グレンは穏やかな性格の好青年で、顔立ちも相まって女性から人気があることは想像に難くない。きっとモテてきただろう彼が何故リタの想いを受け入れ、恋人になってくれたのか。以前、一度軽いノリで訊ねたところ、曖昧に誤魔化されてしまった。面倒な女と思われるのが怖くて、それ以上訊ねることをリタはしなかった。



 リタしか持っていない特別なもの。もしリタに何か特別なものを持っているとすれば、――一つだけ思い浮かぶことはある。それは、リタがリタになる前、いわゆる前世というべき記憶を持っていることだ。


 人が聞けば夢か空想だと嗤うだろう。しかし、リタはハッキリと覚えている。


 高層ビルが立ち並ぶ日本と呼ばれる国の首都で、リタの前世である女性は暮らしていた。彼女は大学生で、父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦だった。友達はそれなりに沢山いて、バイトに行ったり、友達と遊んだり、楽しい生活を送っていた。


 彼女の記憶を取り戻したのはリタが十五歳のときだ。それまでごく普通の田舎娘でしかなかったリタはある日突然、昔のことを思い出した。


 しかし、その記憶はリタに利益をもたらしはしなかった。何を隠そう、王都に出てきた理由に前世の記憶が関係している。リタは前の記憶を思い出してしまったばかりで、大好きな両親と離れ、王都で暮らすようになったのだ。その原因になった話はあまりしたくない。


 もちろん前の記憶があることで助かることもある。


 リタ自身は最低限の教育しか受けていない平民だ。元々、文字の読み書きは出来たが、本当に最低限。難しい言葉は全然理解出来なかった。簡単な算数もそれほど得意ではなく、記憶力も良くなかった。


 それが、今世でいう最高水準クラスの教育を受けられる――向こうでは半数近くの人が通っていたが――大学時代の記憶を思い出したことで、それなりに頭を使うことが得意になった。客に勘定を誤魔化されない程度には計算が出来、上手い話に騙されにくくはなった。


 だが、そのことで嫌な経験トラウマを帳消しには出来なかった。リタにとって、この特別は悪い意味での特別だった。


 現在では色々あって気持ちの整理は多少つけられた。しかし、今も時折、前のリタの記憶に引っ張られて、困惑することもある。それほど、こちらの常識は、向こうの常識とは違うのである。


 この世界の技術水準としては、前の世界でいう『科学技術が発展する前の西洋』が近い気がする。違う部分も多いが、身分制度があったり、ガスも電気もない生活というのはそう表現するのが分かりやすいだろう。


 ただ、その中でも特に違うのがこの世界における『神』と『魔法』の存在だ。前世の世界では、『昔の人が信じていた非実在のもの』でしかなかったそれらが、この世界には当たり前に存在するのだ。


 まず、この世界には『神』がいる・・


 神自体は数多く存在し、その中でも特別視されるのは国の守護神と呼べる神々だ。各国の成り立ちにはそれぞれの守護神が深く関わっており、今も神々はそれぞれの国に自身の能力を分け与えた代理人を立て、その人物を通して様々な奇蹟を起こしている。


 この国、アウディティオにおいては代理人は『聖女』と呼ばれる女性だ。歴代代理人となった男性は存在しない。聖女には過去に多く様々な奇蹟を起こした逸話が数えきれないほど残っており、その背後に人知を超えた存在があることを否定するのは難しいとリタは感じている。


 そして、リタに『神様って本当にいるのかも』と思わせる要因の一つが、魔法の存在だ。


 マジックでも大道芸でもなく、本当に魔法と呼ぶべき技術がこの世界に存在することをリタは知っている。遠目ではあるが、魔導士たちが魔法を披露する姿を何度も見たことがあるのだ。


 もっとも、魔法が使える人間は上流貴族に限られる。特別な能力の恩恵を彼らが独占しているのだ。リタ自身は何か魔法に助けられた経験はない。前の世界でも最新の技術は一般庶民には手が届かなかったことを考えると、当然のことかもしれない。


 これでもし、自分に魔法の才能があったり、自分が聖女だったら、「漫画やゲームみたいな世界に転生した!」と思えたかもしれない。しかし、残念なことにリタに魔法の才能はないし、現在の聖女はこの国の王女である。そのため、リタはしがない平民の一人として慎ましく生活を送っている。



 この前世の記憶を持っていることについては、グレンには知られている。


 ただ、グレンはそのことを知る前からリタに好意を持っていたらしいので、これは関係ないとリタは思っている。もし、リタが面白い知識を持っているから告白を受けたというのであれば、リタはショックで寝込むだろう。グレンはそんな人ではないと信じている。


 ともかく、理由は分からずとも、リタはグレンの恋人関係になった。


 確かに身分は違う。育ちも違う。それでも、リタにとってグレンはグレンだった。


 元々は酒場に通う常連客。今では気の置けない会話の出来、一緒に過ごせるだけで満足できる大好きな恋人。


 彼が騎士団の一員ということは、付き合い始めてから聞かされた。雰囲気から上流階級の人間だろうとは察していたから、驚きはそれほどなかった。グレンの素性が何であっても、リタは彼が好きだった。出来るだけ長い間、一緒にいたいと思っていた。


 だから、こんなことになって、リタはひどく裏切られた気持ちになったのだ。

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