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 何度も首を傾げながら、箱を片手に居間に戻ると両親と叔父さんが祖父の話をしていた。


「親父も若い頃は都会に憧れて、一度はこの家から出て行ったらしい」

「ああ、それは聞いたことがある。それで三十ぐらいで帰ってきて身を固めたという話だよね」

「ああ、それからはずっと田んぼと畑、あとハウスの胡瓜とトマトな」

「そうそう、子供の頃はよく手伝わされたなあ。そのせいで自分なんかいまだにトマトが苦手だよ」

「そりゃ最初からだったろ」


 そう言って三人が笑う。

 僕は座布団に腰を下ろしながら、思わず尋ねた。


「若い頃のおじいちゃんって東京で何してたのかな」


 すると叔父さんが肯きながら僕に顔を向けた。


「ああ、それなあ。訊いても親父は話したがらなくてね。誰も知らなかったんだけど遺品整理の時に本格的なスチール写真が出てきてなあ」

「スチール写真?」


 首を傾げると叔父さんはそそくさと席を立ち、襖を挟んだ隣の部屋から一枚の紙片を持ち出してきた。

 ちゃぶ台に置かれたそれは一般的なものよりも二回りは大きなモノクロ写真だった。写っているのは正装に身を包んでダンスを踊る美男美女。いまにも写真から抜け出してちゃぶ台で踊り出しそうな迫力と躍動感がその写真には満ち満ちていた。


「たぶん親父が撮った写真じゃないかと思うんだよな」

「え、写ってるこの人たちって確か有名な俳優と女優だろ。なんでそんなものを親父が撮れるんだよ」

「まあ、不思議だけど、サインもあるしなあ」


 叔父さんがそう言って写真を裏返すとその端っこに祖父の名前がローマ字で小さく記されていた。


「ところで智史くん、それなんなの」

「え?」


 傍に置いた銀色の箱を叔父さんに指差されて僕は戸惑った。


「えっと、これはさっき夢の中で……」


 あたふたと返答を口ごもる僕を彼らは怪訝な顔で見つめた。



 法事は滞りなく終わり、僕たちは暗くなる前に家に戻れるようにその家を後にした。

 帰り道、銀色の箱を太腿において窓の外を流れていく田畑を眺めているとまた祖父の声がした。


「ふわっと湧き出てくるもんよ、夢なんかいうもんはな」


 …………夢か。

 こんな僕に夢なんか持つ資格があるのかな。


 そう心に自問したそのとき、不意に太腿にやわらかな熱を感じた。

 目を向けると銀色の箱がサラサラとした砂となって溶けていく様子が映った。


 驚いて息を呑んだ。

 そしてその不可思議な光景を見つめていると箱はすべて崩れ去り、やがて僕の学生ズボンの上に一台の古めかしい一眼レフのカメラが残された。


 刹那、右手の人差し指を曲げる祖父が網膜に浮かんだ。

 逆光だったはずなのに、その日に焼けた悪戯っぽい顔がハッキリと甦る。


 おじいちゃんの夢ってもしかして……。


 車窓に目を向けるとひまわり畑がゆっくりと後ろに流れていた。

 瞬間、僕の背筋に強烈な電流が走った。

 それは生まれて初めて感じる狂おしいほどの衝動だった。

 僕は両手でカメラを持ち上げ、ファインダーを覗き込んだ。

 すると四角く切り取られた視界の向こうで無数の向日葵が満面の笑みで僕にエールを送ってきているように感じた。


「止めて」

「え、どうした。酔ったのか」

「いいから止めてよ」


 助手席の母が心配そうに振り返った。

 車がゆっくりと路肩に寄る。

 そして停止すると同時に僕はドアを開けて外に飛び出した。


「どうした、智史」


 背後から父の声が追ってきたけれど僕はかまわず走った。

 目線の先には来る時に見かけたあの半鐘の鉄塔。

 僕は息を切らせて畦道を走り、やがてたどり着くとためらわずに梯子を登った。

 そして半鐘がぶら下がった小さなスペースに身を入れ、見下ろすと想像通りそこから一面の黄色い向日葵畑が遥か遠くまで広がっていた。

 そのさらに向こうには地平線に沈みかけた夕陽。

 光と影のコントラストが世界をくっきりと鮮やかに色分けしている。

 サイモン&ガーファンクルが鼓膜の奥で『明日に架ける橋』を静かに歌う。


「おじいちゃん、使わせてもらうね」


 僕は握りしめていた古めかしく無骨なカメラを眼下に望むその美しい景色に向けて何度もシャッターを切った。

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