人面ささくれ

天西 照実

人面ささくれ


 板猪系子いたい けいこが左手の甲に大きな絆創膏を貼り付けてきた。

 こちらにチラチラ見せてくる。面倒くさい。


 入力事務のパート社員が大勢働く、大量のパソコンを並べたオフィスだ。

 私の名前は井狩いかり。座る席は名前の順で決められている。

 板猪系子は私の隣の席。少し迷惑な人物だ。

 ハッキリ聞いていないが30代後半のはず。

 いくら服装自由とは言え、学生のようなポップカラーのフリフリファッションはどうかと思う。色んな意味でどうかと思う。

 顔はピンクのマスクで目元以外が隠れているので、若者と間違う人も時々いる。

「ハウスダストアレルギーなんですぅ」

 とか言っているのは私の真似だ。言い方ではなくアレルギーの部分。

 並んでマスクを着けて彼女とセットに見られたくないので、私はマスクをやめた。

 今は軟膏タイプの塗るマスクと鼻炎カプセルで頑張っている。

 彼女はとにかく病気が好きで、口を開けば頭痛だの眠れないだのうつだのと言っている。

 傷病限定の虚言癖という精神疾患があるなら、その病名だけはあてはまるかも知れない。本人は病院に行かないので、そんな診断はないのだが。

 頭痛薬を持ち歩いて見せびらかしてもいるが、全く減っていない。

 市販薬にも使用期限があると、私を含めて周りの優しいパート社員たちがさりげなく教えているが、伝わっているかどうか。

 そんな板猪系子が、左手の甲に大きな絆創膏を貼り付けて出勤して来た。

 ペンケースなどいじりながら、こちらにチラチラと絆創膏を向けてくる。


 最初に聞いておかないと『誰も私のことなんか見てないんだよね』などと言い出して、もっと面倒になる。

「板猪さん。左手どうしたの」

 軽めの口調で聞いた。

「あっ、これ? ささくれ出来ちゃってぇ」

 火傷とでも言い出すかと思っていたので少し驚いた。

 偽装ささくれなら、指先3本くらい指先用の絆創膏でも巻けばいいのに。

 と、思ったが、一応聞いた。

「手の甲に? ささくれ出来たの?」

「そうなの。ちょっと、見てみてー」

 見せたい系だった。

「せっかく絆創膏貼ってるんだから、そのままにしといたら」

 と、言っても、

「ううん。絆創膏はたくさんあるから大丈夫」

 と、大きな絆創膏を剥がして見せた。


 そこには、人の顔があった。

 指関節の皺のような赤いすじが左手の甲に浮いている。

 その皺が苦痛の表情に見えるのだ。


 ささくれなどと言っておいて、もっと大変なものだと騒がれたいのだろうか。

 本日は連休明け。

 休日を使って、手の込んだ特殊メイクでも仕込んだのか。

 案外、ハロウィンメイクシールのような、簡単に貼り付けられるものも今時は売られているのかも知れない。

 それなら、一番面倒くさくない返答はなんだろう。

「いや……ん? あかぎれ、じゃないの?」

 と、私は言ってみた。

「あかぎれ? そうかも!」

 板猪系子は、すぐにスマホ検索を始めた。

 新しい傷病名を教えてしまった。

 液体絆創膏という沁みる対処方法も教えようか。

「こういうのってぇ、なんか怖いから調べるの恐くてさぁ。けっこうリアルな写真とか載せちゃってたりするじゃーん」

 丁度、私の指先にもささくれが出来ていた。

 これがささくれだと見せてやろうか。


 板猪系子がスマホを持つ左手に、赤い皺の顔が浮いている。周りのパート社員たちも目を向けていた。

 しかし板猪系子が好む検索結果が見つからない内に、就業開始時間になった。



 画面の左側に取り込まれた手書き項目を、ひたすら右側の入力画面に打ち込んでいく簡単な作業だ。

 しかし、長時間続くと入力ミスも増え、スピードも落ちてくる。

 そのため1時間に一度、5分休憩が入る。

 休憩になると私は、板猪系子に話しかけられる前にトイレへ立つ。

 頻尿は真似してこないので助かる。


 トイレを済ませて私が手を洗っていると、同じパート社員の馬路内まじない朱里じゅりに声をかけられた。

「井狩さん、お疲れ様です」

「お疲れ様です、馬路内さん」

 彼女も本当のアレルギー持ちで、食べ物のアレルギーだけでなく皮膚アレルギーもあって、いつも綿の白手袋をしている。

 二十代半ばだと言うのに苦労人だ。

 他の肌を見れば、彼女の手袋は本当に必要なものとわかる。

 だからこそ、板猪系子には一方的に毛嫌いされていた。

 出来る事なら、板猪系子より彼女と仲良くなりたいくらいだが……。

「朝、なんか見えましたけど。お隣のアレ、なんですか」

 お隣で通じる。私の隣の席の板猪系子の事だ。

「ささくれって言ってたけど、どっちかって言うとあかぎれかなって」

 私が声を潜めて言うと、彼女は吹き出して笑った。

「ささくれに、あんな大きい……」

 大きな絆創膏の事だろう。

「見せられてもねぇ。シールかなんかだろうけど」

「あれは人面疽じんめんそですよ」

 と、馬路内朱里が言った。

「え?」

 人面疽。人の顔に見える傷や痣、もしくは小さな傷が化膿して人の顔のように見え、それが話し出すと言う怪談もあるというもの……。

「そういう症状もあるとは言え、人に迷惑かけて良いって意味じゃないですもんね。ばちが当たったんですよ」

 楽しげに言うと、馬路内朱里は会釈してトイレを出て行った。


 もしかすると板猪系子には本当に、ただのささくれに見えているのではないだろうか。

 休日など、傷病自慢のできない時に気付くとか……。

 そうだったら良いのに。

 などと思ってしまう私も『ささくれ立っている』と、言えるかもしれない。

 面倒だった板猪系子のささくれ経過観察が、少しだけ楽しみになった。


 私の指の本物のささくれ。

 2つ並んで小さくめくれた皮が、スマイルの目に見えるが……これはきっと人面疽ではないはずだ。


                                 了

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