第22話獄上クッキング
そこから、のえるは黙々と作業に没頭した。
肉を小分けに、一口大に切り分けた後、何らかの香辛料と調味料を加えて、その中に山盛りの肉を浸した。
味を染み込ませている間、大ぶりの鉄鍋に油をたっぷり注いだ後は、轟々と火を熾して油を熱し始める。
油を熱しているその間にも、のえるは実に手際よく小麦粉と思しき粉を肉にまぶし、次々と油の中に投入した。
ジュワアアアア、と、油が弾ける音が厨房を賑やかにする。
ぷん、と、自分の鼻にも香ばしく感じる油の匂いに、ベルフェゴールはふと、自分の腹のあたりが何だか妙に騒がしくなるのを感じた。
魔族たちは興味津々の表情でのえるの行いを観察し、中には出てきた涎を拭うものまでいる。
「おばさん、なんか野菜とかある?」
「はっ、はい――! あの、キャベツとかレタスでよろしいですか!?」
「おお、いいねレタス。適当に大きくちぎって皿に並べてくれる? あと、レモンもあればマジ最高なんだけど」
「れ、レモン! ございますよ!」
「よっしゃ。縦に櫛切りに切って」
「はい!」
オーク女は何だか物凄く嬉しそうに助手を務めているが、嬉しそうなのはのえるも一緒だ。
煮えたぎる油を前にし、つま先でトントンと床を鳴らし、握った鉄製のトングをカチカチと鳴らし、機嫌よく鼻歌まで歌っているのえるの後ろ姿――。
なんだか、いつも見知っているのえるとは違って見える、ある種の母性さえ感じるその姿に、ベルフェゴールは思わず見惚れてしまっている自分を発見した。
「なんか、イイではないか……」
その一言は、呟いた本人の耳にも届かなかった。
この至って無趣味でブラックで残念な魔王でなかったのなら、今ののえるに対して感じた爽やかな感動が「ギャップ萌え」という感覚であった事に気づいただろう。
このガサツと無精の塊にしか見えない白ギャルが、まさかこんなにも手際よく料理をして見せるとは――意外という他ない驚きである。
ベルフェゴールが密かに見惚れている間に、のえるの料理は最終段階に入った。
「よーし、きつね色になったら取り出して、余分な油を切るっと……」
オーク女が用意した網の上に、のえるは素早く茶色い塊を取り出してゆく。
パチパチと油が弾ける音、ホコホコと実に景気よく湯気を上げる茶色い塊を、オーク女が広げた葉物野菜の上に積み上げて――よし、とのえるは手を叩いた。
「は~い、バッチ完成~! 恋し浜のえる特製、魔界唐揚げ!! みんな拍手!!」
その一言に、おおお、と下級魔族たちがどよめき、言われた通りに拍手する。
その拍手が収まった辺りで、のえるがそのひとつに串を差して、一番奥にいたベルフェゴールのところにやってきた。
「ほらベルベル、食べてみろし! 愛妻唐揚げだよ!」
目の前に突き出され、んぐ、とベルフェゴールは顔を仰け反らせた。
これは……要するに魔界に住む妖鳥の肉に、小麦粉をつけて油で加熱したのか。
手間がかかるのはその通りだが、何だか猛烈に胃の辺りが騒がしくなる。
おっかなびっくりと顔を近づけたり離したりして……ベルフェゴールは意を決して、茶色い塊に齧り付いた。
途端に、口の中のどこかがおかしくなったのかと思うぐらい、鮮烈な衝撃が口の中を蹂躙した。
なんだこれは。肉といえば筋張っていて生臭いだけの塊だと思っていた常識を覆す、香ばしくも嫌ではない芳香。
噛めば噛むほど溢れ出てくる汁のジューシーさ、これぞ滋養の味と言える油のふくよかさ、そしてサクサクと小気味よい衣の歯ごたえ。
これは……この物凄く久方ぶりに感じる感覚。
まだ魔素の扱いが上手くなかった幼き日、母が作ってくれた料理を食べた時に感じる幸せの名前。
そうだ、忘れていた、この感覚、この感覚の名前は――!
「美味い――」
実に数百年ぶりに、そんな感想が口から漏れた。
しばし呆然と肉を咀嚼し、飲み込んだベルフェゴールの身体に、ほっ、と忘れていた温かさが点った。
「これは――美味い。これが美味いという感覚なのか――」
ベルフェゴールが言うと、ごくり、と下級魔族たちが顔を見合わせて歓声を上げた。
ベルフェゴールはのえるを真っ直ぐ見て、もう一度、確かに言おうとした。
「う――」
獄上に美味い。そう、言おうとした。
けれど――言葉の代わりに、出てきたものがあった。
「うぇ――!? べ、ベルベル――!?」
のえるが仰天したように自分の顔を見た。
さっきは喜んでいた周囲の下級魔族でさえ、今は自分の顔を見て色を失っている。
なんだ、皆の者、一体どうしたのだ?
ベルフェゴールが慌てた瞬間、ぴちゃ、と自分の手の甲に何かが落ちて、はっとした。
「べ、ベルベル、なんで泣いてんの!?」
◆◆◆
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