第14話獄上の決め台詞

 魔王城で過ごした最初の夜が終わり、眠りの薄皮が破れた。


 しばらく、恋し浜のえるはくっちゃくっちゃと老婆のように口を開け閉めしながら、いつもの癖で枕元のスマホに手を伸ばした。




 画面をつけてみて――その画面の片隅、電波の状態を表す欄に、4Gという表示を確かめたのえるは、少し嬉しくなった。



 

 電波が入るようになっている。


 つまり魔王ベルフェゴールが、自分の近くにいる。


 電波という名の繋がりを感じられるほど、近くに。




 最初、この世界に来たときは、この世界の人間はみんな卑怯者だと思った。


 一方的に呼び出して自分をおきながら、勝手に聖女という称号と役割を押し付け、どうか魔王軍と戦って下さいと、この世界の人間の王であるという老人は床に這いつくばって涙した。


 こんな老齢でありながら、こんな地位がありながら、一方的に人に頼り切り、こんな年端もゆかぬ女子高生に向かって頭を下げることを疑問に思わない、そのプライドのなさに吐き気さえ覚えた。


 その癖、自分が寝転んでいれば聖女らしくない、立っていれば聖女らしくないと、自分の中の勝手なイメージを押し付け、聖女としてしか自分を見ようとしない人間たちばかりの生活。




 こんな卑屈で卑怯な人間たちのために、自分は絶対に戦わない。


 そう決意し、無言と怠惰を唯一の武器に反抗を繰り返した異世界での一週間。


 そんな鬱屈した世界を、軟禁されていた聖堂ごとぶち破り、ついてこいと手を差し伸べてくれた一人の男――。




 【焦熱の魔王】ベルフェゴール・リンドヴルム。


 この世界の人間たちが蛇蝎のごとく嫌い、恐れ、忌み嫌う魔族の頭領。




 だが――その目には、この世界の人間たちにはない、澄んだ輝きがあった。


 他人に依存し、寄り掛かるばかりではなく、己の手で未来を掴もうとする、のえるが元いた世界ならば当たり前の光がその目にはあった。


 その目を見た瞬間、この世界に来て初めて、のえるはまともな「人間」に出会った気がしたのだった。




 だから、自分はその手を掴んだ。


 この世界の人間たちが散々穢れていると言っていたその手は、冷たくて、分厚く皮が張っていて、男の人の手そのものだった。


 この手を握っていれば、自分はこの世界でも自分を保っていられる。


 そう確信させる、確かな何かがあった。




 そりゃあ三百年間、女の子と手を繋いだこともないらしい残念な美形男だけれど。


 それでも――落ち込むのえるを励ますため、羞恥に震えながらギャルピースをし、俺を信じよと、圧倒的な頼り甲斐を見せてくれた存在。


 自分を庇い守り、命に替えてでも元の世界に帰すと約束してくれた人――。




 ふと、のえるは昨日撮影した自撮り写真を思い出した。


 ギャラリーを開いて、すぐに吹き出した。


 バッチリとギャルとしての笑顔を決めた自分の横、戸惑いと疑念が綯い交ぜになったアホ面を晒しているのが、この世界の片方の頂点、【焦熱の魔王】であるなどとは――一体誰が想像できるだろうか。




 それでも――誤った世界から自分を救い出し、落ち込んでいる自分を励ましてくれたこの優しい男の存在を、誰かに知ってほしかった。


 のえるは実に一週間ぶりにInstagramを開き、慣れた手付きでその写真を加工し、投稿準備を進める。




 ふと――そのままの写真では味気ない気がして、のえるは写真になにか文言を添えることを思いついた。


 しばらく、ベッドの上でゴロゴロ転がりながら気の利いた台詞を探して――思いついた。


 そう、なんだかよく意味はわからないのだが、彼が決め台詞として使っているらしい言葉。


 魔王という圧倒的な存在でありながら、何故かその言葉を聞く度に気が抜け、ああ、この男は実に残念な男なのだと繰り返し安心できる、あの一言。


 それに、決めた。




 のえるはその文言を素早く打ち込み、なんだか祈るような気持ちとともに写真を投稿した。




『牧場だ。』




 ――こうして魔王渾身の決め台詞は、聖女のえるの聞き間違いによって、実に間抜けな響きとともに全世界に拡散されることとなった。




◆◆◆




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