誰もが心にバッファローを

金魚術

憤撃の紳士さん

 わたしは震えながら泣いていました。

 またしても、諸悪の根源。お義母さまの意地悪です。death。

 今度はなんと、明日の11時59分までに「ささくれ」と「全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ(長いので、以下「全破すべはバ」と呼称します)」を課題とした800字以上の短編を書き上げろ、というのです。

 馬鹿です。お義母さまの意地悪は無茶振りがすぎます。

 そもそも「全破バ」とはなんでしょう。なんなんでしょう、ほんとに。しかももう一つの課題は「ささくれ」。バッファローのささくれを剥いて集めて行商する女の子の話でも書けと言うのでしょうか。愚か。

 すでに日も暮れました。タイムリミットまで17時間。睡眠時間と食事の時間として9時間、ウォチパで2時間、サロメ嬢のツイキャスで3時間、Twitterのタイムラインの確認で3時間、こう考えると短編に費やせる時間は残りません。ちなみにTwitterではたぬきの可愛さを讃えるツイートが席巻しております。かく斯様に時間がありません。泣く泣くウォチパを諦めるしかないでしょう。つらい。


 3月の大河原の夕暮れは、昼の陽気とはうって変わり、街路を冷たい風が吹き抜けていきます。

 わたしは涙を拭きました。コートの襟を立てて冷たい風から首筋を守り、ささくれ、全破バ、ささくれ、全破バ、と頭の中で唱えながら、歩き回っていればアイディアが浮かぶのではないかと儚い望みにかけて、あてもなくふらついていたのです。ああ全破バ。

 気がつくとわたしは大河原駅前に来ていました。駅前の小さなロータリーを囲むようにベンチがいくつか並んでいます。わたしは自販機でお汁粉を買って、ベンチに腰掛けました。冷たい座板に、おしりがひやりとします。ぼんやりと眺めていると、仙台からの列車が着いたばかりなのでしょう、駅入り口から30名ほどの人たちが出てきました。

 わたしは、顔が熱くなってくるのを感じました。この人たちは仙台で仕事を終え、これから帰宅し、自宅で奧さん手製のジャガイモがごろごろ入ったカレーを「うまいうまい。やはりカレーはうちが最高だな」と微笑みながら食べるのです。あるいは。駅まで車で迎えに来てくれている素敵な彼氏さんと共に同棲中のアパートに帰り「今日はみさ子の誕生日だから頑張ったよ」とかなんとか言われて、有給を取った彼氏が一日かけて用意したこれまた手製のフランス料理のフルコースを二人で楽しむのです。

 涙がこぼれました。これが人のあるべき姿です。平凡かもしれません、でも確かに暖かい、人の生活。人はパンのみに生きるにあらず、「ささくれ」と「全破バ」を課題とした800字以上の短編を書き上げるために生きるにあらずです。

 涙に加えて鼻水も垂れてきました。わたしはお気に入りのdeath模様のハンカチを取り出して涙を拭き、鼻をちーんとしました。


 ふと目の前に影が伸びました。顔をあげると長いコートを着てホームズのような帽子を被ったおじいさんが立っていました。

「さてどうしたね小さいお嬢さん、もう子供はお家にいる時間だよ」

 紳士的です。わたしは心の中でおじいさんと呼んだことに恥入りました。これからは紳士さんと呼称いたします。

 わたしは、暖かい言葉に再び垂れてきた鼻水を啜ると、紳士さんにお義母さまの難題についてぶちまけました。紳士さんは終始穏やかに頷きながらわたしの話を聴いてくれました。

「なるほど」

 話の途中からベンチの隣に座っていた紳士さんは、わたしの言葉が途切れると唸るように言いました。

「ささくれと言えば、いつまでも忘れられない話がひとつある。あまり気味のいい話ではないし、君のような子供には不向きかもしれないが───」

「お願いします」

 わたしは紳士さんの言葉に食い気味に重ねました。切羽詰まっているのです、この際盗作であることの是非は問わない心持ちでした。だいたい、そんなことはお義母さまには分かるはずもありませんから。

「ふむ───では」

 こうして紳士さんが語ったのは次のようなお話でした。


* * * * * * * * *


「もう何年前になるか。北の街に二人の少女がおった。二人とも十八歳の高校生で、一人はモユ。誰もが目を奪われる整った顔立ちと短髪を濃い茶色に染め、すらりとした立ち姿の美しい娘じゃった。

 もう一人はアワサ。背はモユと同じくらいで───モユと比べれば大抵の少女がそうだったろうが──顔立ちこそ悪くなかったが大人しい性格の表れか目立つ風でもなかった。じゃが新月の夜のような漆黒の髪がやたらと印象深い少女じゃ。

 二人は一見気が合う風でもなかったが、いつも一緒におった。口の悪い同級生らは、人気者のモユに、地味なアワサが一方的に好意を抱き付き纏っているだけだ、と陰口を叩いていた。中には直接モユに、アワサに迷惑してるのではないか、それならば私達が代わりにアワサにはっきり言ってあげる、と談判する子らもおった。

 しかしモユは、そのような申し出を丁寧に退けた。そして、

『誤解だね。教えてあげるけど、私もアワサ、気に入ってるんだよね』

 そう言ったものだ。

 これで、アワサが地味ではあるが性格が良いなど一見わかりにくい長所でもあれば、他の友人たちも次第に受け入れたことだろう。だがアワサは、性格もそれほど良くはなかった。人付き合いも悪く、学校の行事でモユが自然とクラスの中心となって盛り立てていくタイプだったのに対して、アワサは影が薄いことを幸いにいつのまにか大事な場面から消えており、面倒な役割からは極力距離を取るようなタイプだった。

 また、特にモユのことになると陰湿と言っていいほどで、モユにアワサ以上に近づこうとする人間は、初めはどこにいても刺さるような視線を感じるようになり、それでも態度が改まらないと机の中からノートが消えたり、しまいには学校からずいぶん離れた自宅前で、電柱の影からじっとりとこちらを見つめてくるアワサの姿を目にすることになった。

 結果、モユは、クラスでどころか学校中で目立つ存在だったにも関わらず、アワサという障害のため、一定の距離以上にモユと親しくなる者は他に現れなかった。

 実際、学校では陽のモユと陰のアワサはほとんど口をきくこともなかったが、放課後になると揃って学外へ消えた。そのため、二人は付き合っているのだという噂も流れたが、裏付ける決定的な証拠や証言が出ることはなかった。


 事件が起きたのは二人が高校三年生の夏だった。

 結果から言うと、二人はあるホテルで警察に保護された。その頃耳にした噂話では、発見された際には二人とも裸で、泣きじゃくるモユのかたわらで、モユの背中を撫でつづけるアワサが微笑んでいたと言うことだ。


 詳しい話をわしが聞いたのはそれからずっと後のことじゃった。わしは仙台駅のペデストリアンデッキで、すっかり大人となったアワサを見かけた。

 わしは分別よりも先にアワサに声をかけておった。実はわしはモユとアワサの高校の一年先輩で、アワサと同じ文芸部じゃった。おそらく、彼女がモユ以外でよく喋っていた唯一の同校生だ。

 アワサは振り向いて一瞬眉をひそめたが、すぐに笑顔になった。その笑顔は、高校生の時のアワサからは想像できない魅力的なものじゃった。それだけではない。なんというか、物腰そのものに迷いが見られない、すっとした感じで、かつてはその美しい黒髪がどこかぎこちない態度と不釣り合いだったが、目の前のアワサは黒髪の似合う美しい女性となっておった。

 アワサは皆まで言うなという風に口に指を置き、先に立って歩き出し、ロフト二階の喫茶店へと連れて行かれた。

『あの日何があったか、よね』

 ホット二つと注文しウェイターが去ると、アワサは挨拶も抜きでそう言った。

『話すわ。君にはも世話になっていたし、あの子も君にくらいは知っておいて欲しいかもしれない』

 アワサも?わしは彼女の勢いに押されて、黙って頷くだけじゃった。


『あの頃、モユは美しかったわ。磁器のように青く透き通った肌。中学の陸上部活動で引き締まった身体、子鹿のようなふくらはぎ。夢のような姿、誰もが、たとえ遠くから眺めることしかできなくても、同じ学校にいられると言うだけで幸せと他への優越感さえ覚える───そんな美しさ。

 それに比べてアワサは、顔立ちは悪くないのに、この黒髪以外は地味で陰の者。性格も内にこもって他罰的傾向の強い付き合いにくいタイプ。あなた以外にまともに喋ってくれる人もいなかった。中身はぐずぐず。まあでも、私には悪い子じゃなかった。なんと言っても、私に憧れるを超えて私になりたいと本気で強く願ってくれたから。


『私は辛抱強く待った。あの子の中身がずっとずっとぐずぐずになって剥きやすくなるまで。時々、アワサが自分の他罰的なところを反省しそうになれば、あなたは間違ってない、それほど私といたいという強い気持ちの表れだと、反省させなかった。

 そしてあの夏、アワサは熟したの。

 ホテルでいつものように抱き合った。私は、私がモユとして絡み合う最後の日となること、明日からは、この美しく、昂まると甘い匂いを発する玩具を愛でるのだと思うと、自然と興奮したわ。アワサは普段よりも激しい私に、私以上に興奮してたっけ。


『私たちは二人とも何度も達し、最後には汗まみれのシーツの上に倒れ込んだ。

 やがて動悸がおさまると、私はアワサの右手薬指のささくれに指を伸ばした。そしてゆっくりとささくれをめくり始めた。

 既に熟していたアワサの実は皮とよく剥がれた。私はアワサの皮を傷つけないように、丁寧にささくれから彼女の皮を剥いていったの。

 右手首まで綺麗に剥がしたあたりでそれまでうつろだったアワサも気がついた。抗おうとするアワサを押し留めて、全て私に任せて。あなたはこれからモユになるのよ。そういうとアワサは分かったのか分からなかったのかともかく大人しくなった。そもそも私に反抗できる子じゃないの。

 私はゆっくりと皮剥ぎを続けた。痛くはなかったはず。私の指はそういうのが得意なのよ。でも途中でアワサは自分の状況に耐えられなくなったのね、気絶しちゃった。

 もちろん私は作業を続けた。1時間?くらいかな、まあそれくらい。ささくれから丁寧に剥いていけば、目立った千切れもなく綺麗に全身の皮が剥けるのよ。身がぐずぐずになっていればね。

 私は身に纏ったモユの皮を脱いだ。そして、皮を剥かれたアワサの身体に丁寧に被せていった。この作業で失敗したら一大事だから、アワサの皮剥ぎよりも気を使ったよ。アワサは身長が私と同じ、血液型も同じくO型だったから、馴染ませるのはそんなに難しくなかった。シワとか残ったら興醒めだから、最後は隅から隅までじっくり確認したっけ。

 アワサの作業が終わると、今度は私がアワサの皮を被る番だった。剥いたばかりの皮は内側が血でじっとり滲んでいたので、私の剥き出しの真皮の上にもよく馴染んだよ。


『私はホテルの浴室に立ち、全身を確認した。アワサの皮膚はよく馴染んでる。鏡に映る顔を見る。中身がアワサだった時に比べると格段に美しく、凛々しい顔だった。予想通り。私は満足だった。

 そうしていると浴室入り口で悲鳴が起きた。アワサ───もうモユの皮を被っていたので、モユと言うかな、モユは私を見て叫んだの。私がいる、って。

 私はモユの肩を掴んで、鏡の前に立たせた。モユはまた叫んだ。私じゃない!

 叫んでるモユも美しかった。いい声。そして背中。先ほど皮を馴染ませている時も美しかったけど、こうして立っていると、その反った背筋、腰のあたりの窪み、首筋から伸びる締まった背中の造形に鳥肌が立った。とうとう私は、私の背中を直に見ることができたの。

 私はモユに言った。あなたの望み通り。あなたはモユになったのよ。


『私と彼女はそういう関係。アワサはモユになりたかった。私はモユを愛でたかった。フィフティ・フィフティ。

 でも彼女は自分の夢に耐えられなかったのね、私の言葉さえ届かない様子で床に蹲ってしまった。丸めた背中の艶も、その下で丸く張ったお尻も、今まで私が直接見たことのない美しさ。つい見惚れて、手のひらでそっと撫でてるうちに、多分モユの悲鳴を聞いた誰かが110番したのね、警察が来てしまった。


『それから、私とアワサは別々に連れて行かれた。モユは、自分はアワサだと話したようだけど、生徒手帳と見比べたら私がアワサなのは一目瞭然。モユは動転してるとのことで病院へ連れて行かれ、私は警察に補導されて事情を聞かれたあと解放されたわ。

 それからはちょっと想定外だった。モユが、自分の夢が叶ったことを受け入れれば、これからも私たち二人は仲良く楽しんで行けたのに。モユは、私に連絡もなくいなくなった。引っ越したのか、心の病院にいるのか。残念。もっともっと私はモユを堪能したかったのに。

 でも、今はもういいの。あの日のモユの背中を思い出すと熱くなることもあるけど。まあ仕方ないよね』


 アワサ───モユと言うべきか。ともかく彼女はそう語った。淡々とな。まるで高校時代の部活での活躍でも思い出すように。

 わしは口を挟むこともなく黙って聴き続けた。黙っていただけなのにやけに喉が渇いていた。

 アワサは話の合間にコーヒーを口にしており、カップは空になっていた。

『これでお話はおしまい。さて、それじゃ買い物の予定があるから』

アワサはウェイターを呼んで会計を済ませ、軽くこちらに手を振ると喫茶店を出て行った。扉の上に据えられたベルが、カランコロン、と小さく鳴った。いなくなってみると、まるで幻でも見ていた気分だった。空になったコーヒーカップがなければ本当にそうだったのだと思えそうな、あっという間のできごとじゃった」


 * * * * * * * * * 


 紳士さんのお話は終わりました。わたしはすっかり飲み干して、今では冷たくなってしまったお汁粉の空き缶を両手で抱えていました。

「これが、わしが忘れられないささくれについてのお話じゃが。やはり子供向きの話ではなかったのう」

 申し訳なさそうに帽子を取り頭をかく紳士さん。そのお髪はグレーに光っていました。

「そしてな、お嬢ちゃん。全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れはみんな心の牧場にいるのだよ。どこを探しても見つかるものじゃない。誰もがある意味では全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れなんじゃ。わしも、お嬢ちゃんもな」

 そうです。紳士さんの話を聞く前のわたしなら、紳士さんの言う全破バは分からなかったと思います。

 でも今は分かります。わたしは紳士さんの話を聞いたこの10分で、急に大人になりました。不思議だった何もかもに筋が通り、私は今、決断の時を迎えたのです、唐突に。


「ところで」

 紳士さんは改まった口調で話始めます。

「この辺に室生川むろうがわというお宅はないかな。この町には珍しい、古風な洋風建築と聞いているが」

 そうだと思いました。そうです、紳士さんが本当にアワサさんの御友人だったのならば、バッファローを心の牧場に飼っているのならば、そうなるのが当然でしょう。

 そのとき、ゆっくりとヒールがアスファルトを叩く音が鳴り始めました。気がつけば大河原駅前からは人気ひとけが消えていました。


 街灯の下に現れたのはお義母さまでした。お義母さまはいつものように薄い笑みを浮かべていました。

 お義母さまは紳士さんを見ました。表情は変わりませんでしたが、発した声には懐かしさが滲んでいました。

「また会ったわね、御所ごせ君」

 紳士さんはわずかに身動みじろぎし、手にした杖を構えました。紳士さんの心の牧場のバッファローは目覚め、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れとなって旧友の仇を討つべく迸り始めました。

 室生川淡沙あわさ、わたしのお義母さまは、紳士さんに向かって微笑んでいます。


<完>




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誰もが心にバッファローを 金魚術 @kingyojyutsu-mi

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