王女のささくれ

さめ72

 ――ささくれをね、診て欲しいってことらしいんですよ。


 メーイ・イーシャは、孤児院を運営しているゼッテーニ・ウラーギルから唐突に切り出された。


「ささくれ――とは」


 ささくれとは、あのささくれだろうか――

 思わず自分の手を見る。

 長い旅で、医者とは思えぬほど日に焼け、節くれだった中年の手だ。

 思えば、ささくれを気にする繊細な精神は随分と昔に捨てたような気もする。

 

 ウラーギルはその細い目をより一層細め、声を低くしてコソコソと続けた。


「持ちかけといてなんですが、私も良くわからないんですよ。依頼人の出自は確かなんですが……」


「はあ――」


 奇妙な依頼なのに、依頼人の出自は明らか。

 

 メーイも各地を放浪する中でそれなりに『真っ当でない』依頼を受けた経験は多い。

 回復魔法の恩恵に与れず、こんな医者を頼る他ない者の身元など推して知るべしである。

 だが、いつだって彼らの願いはシンプルだ。

『助けてくれ』

 それが変わったことはないし、断ったこともない。

 ――もちろん力不足だったことはあるが。


 しかし、今度はそれとはまるでアベコベだ。


「どなたなんです、その――由緒正しい方は?」


「あちらですよ」


 ウラーギルが窓に振り返る。

 分かりにくい視線の先にあるのは――王城だった。


 

   



 メーイ・イーシャは医者である。

 回復士ヒーラーではない、そもそも魔法すら使えない。

 だからこそ、回復魔法の限界というものを察していた。

 確かに回復魔法は素晴らしい、しかしだからこそ、その恩恵は現在では国や文化を問わず強い属人性に支配されていると言う現実をイーシャは実感していた。

 万人に開かれた『学問』が必要なのだ。

 各地を旅する内、理念に賛同してくれる人達も増え、生活と活動の拠点としてしばらく軒を貸してもらう事もしばしばであった。


 このオーキー王国では、神父でもあるゼッテーニ・ウラーギルが経営している孤児院によく間借りをしていた。


「よう先生! どのツラ下げて戻ってきやがったァ!?」


「おお、シノか!? 随分とハンサムになったじゃないか、ハハハ」


「てやんでエ元からだってんだヨ! 相変わらずの節穴だなア!」


 目深に深く被ったキャスケット越しにグリグリと頭を撫でる。

 笑いながら抗議をする彼の容姿は、目元が隠れていても分かるほど整っている。

 サラリとした髪などまるで銀糸のようだ。

 まだまだ身長は発展途上だが、さぞモテるだろうなぁ、などと思うとなんだか感慨深い。

 もう少年ではないのか――月日の流れの速さを実感する。

 彼は孤児ではない。

 謂わばボランティアとして、暇を見ては無償で孤児院の仕事を手伝ってくれているらしい。

 勉学の意欲も強く、その大量の質問攻めには手を焼いたものだ。

 喧嘩っ早い物言いが目立つが、素直で誠実な若者である。


「なァ先生! こないださァ……チエッ! チビ達がもう嗅ぎつけやがった」

 

 真っ先に飛び出してきたシノに続くようにワラワラと現れた子供達を宥めながら、土産を片手に、友であり孤児院の院長でもあるウラーギルに手を振った。




  

「旅はどうでしたか、メーイ」


「相変わらずですね、どこも」


 子供たちが寝静まった夜、ウラーギルと語る晩酌――と言ってもこの場に酒を飲める者はいないので、専らコーヒーなのだが――は格別の楽しみだった。

 彼の見識の深さには単に聖職者として受けた教育以上の薫陶があった。

 お互い歳を重ねる前は夜を明かすことも専らで、子供達に逆に怒られたものだ。


「回復魔法は『病気』というものに対して特効として足り得ないというのに――過信されすぎているよ」


「体力を増強して自己治癒しているだけですからね、いわゆる病には万能ではない――というのは変わりませんねえ」


「各地の薬草学者に協力はしてもらっているが……やはり、種族の問題がね」


「人間と獣人では薬効と毒性がすっかり反転してしまうのも珍しくありませんからねえ、私も子供たち相手には中々気を使いますよ」


「うん……やはり我々に足りないのは知見と治験――――要はお金と頭数と後ろ盾って訳だ」


「ないない尽くしですねえ」


 ウラーギルが苦笑して頬を掻く。


「そういえばシノに会ってたまげましたよ、昔は別れる度に泣いていたのに――――」


「ははは、いつまでも子供扱いはしていられませんね――――」


 夜は更けていく。

 こうしてオーキー王国で語らえるのも、あと何度だろうか。

 温かいベッドの上で安らかに死ねるとは思っていない、よくて野垂れ死にだろう。

 これが最後かもしれない――いつだってその覚悟で旅をしている。

 そんな思いが、毎夜の語らいを長引かせる。


そんな日々は過ぎるのが早いものだ。

 

 オーキー王国での大凡の目的を済ませ、出立の日付に目処がついた頃である。

 ウラーギルが困り果てたような顔でコソコソと相談を持ちかけてきた。


「実は――変わった依頼がメーイ先生に来てまして」


 それがまさか――王城からとは。


 



 孤児院に乗り付けた、如何にも高級そうな馬車の中から、如何にも高慢そうな役人然とした鉤鼻の男が出てきた。


「メーイ・イーシャ先生ですな」


「はあ」


 元から気の強い方ではないし、権力と縁があったわけでもない。

 むしろ叩けば叩くほど埃が出る身だ。

 こういった相手との会話は慣れておらず、気の抜けた返事をするのが精々だ。


 慣れないと言えば、ここまでパリッとした礼服を着るのも初めてで、なんとも息苦しい。


 叩けば物理的にも埃が出る身の自分に王城に出向く衣装などない、買う金もない。

 途方に暮れていたが――そこはシノに助けられた。

街の人々にも顔が広い彼があちこち回って、どうにか自分の身体に合う礼服を借りてきてくれたのだ。

 頭が上がらない、帰ったら礼をしなくては。


 

「では、こちらへ」


「はあ……おっとっと」


「エスコートが必要ですかな」


「ああいえ結構、慣れていないもので」


 もしかしたら皮肉だったのだろうか。

 それすら分からない。

 きっと孤児院中の布団を集めてもこの如何にも高級なクッションには勝てまい――そんな妙な敗北感を尻で感じながら、恐る恐る鉤鼻の男に向かって口を開いた。


「あ、あのお――」


「お仕事の内容についてはお話しできません、委細は後ほど」


「はあ――」


ピシャリと会話を終えられてしまった。

 せめて質問し終わってからでいいじゃないか――とはとても言えない空気だ。

 王城の門を潜るまでの時間は、これまでの人生で一番長く感じた。


 到着してからも鉤鼻の役人の案内は続いたが、城の中を歩けるというだけで随分と心持ちが違う。

 あちらは貴族の将校だろうか、おやあんなに書類を抱えているのは部下かな、あれは詰め所だろうか、ははあ内勤中の騎士というのはああいう格好をするのか――

 一生に一度あるかないかの機会だ、恥を掻き捨てキョロキョロとあちこちを見分しながら役人に続く。


 ――それにしても、随分と奥まで来るではないか。

 

 もはや現業を担うのであろう人々の様子は消え、すっかり国の一挙手一投足を治める執務の領域に踏み入ってしまっている気がする。

 

 そして、その中でも一際大きい扉の前で鉤鼻の役人はピタリと止まり、短くノックを繰り返した。


「メーイ・イーシャ先生をお連れいたしました」

 

 声を受け、ガチャリ、と中から鎧を着た男が扉を開けた。

 

「お待ちしておりました先生、お入りください――王女様がお待ちです」

 

息が止まるとは、こういう事だろう。

 

 呑気に歩いていた先ほどまでの自分が呪うが、それで時間が巻き戻るわけでも、この状況から逃げられるわけでもない。


なんだというのだ――


 口の中で少し愚痴りながら――足を踏み入れた。


 ベッドというのはここまで大きい必要があるのだろうか。

 天蓋ってあれ何のために付いているんだろう。

 

 半ば現実逃避しながら、ベールに覆われた影に目を凝らす。


 こういう時って片膝とか付いたほうが良いのだろうか。

 なにか近づく時の作法とかがあったりするのだろうか。

 

 まぁ――そんな事を期待されても困るのだが。

 私は所詮、一介の医者に過ぎない。


「お寄りしてもよろしいでしょうか?」


 私に問われた鎧の男は小さく頷いて首肯する。


「……ボディチェックとかは……」


 今度は眉根を下げて困ったように笑いながら首を振った。

 まぁ、なにかしようとした瞬間にこんな中年なんて一息に殺せるという事なのだろう。

 

 ならば遠慮はいるまい。

 私は医者として呼ばれたのだ、医者としての役割を果たさせて頂こう。


 こういった場で開き直れる根性があったことに自分でもやや驚きながら、ズカズカと王女様に近づく。

 ベールの前で立ち止まり、片膝を立てる。

 礼儀からではない、立っていては単純に診察しづらい。


 王女も察したのか、ベールの向こうからするりと手が伸びる。


 白く美しい女の手――

 その人差し指に、確かに少々痛ましいささくれがあった。


「ふむ」


 なるほど、医者にかかりたいというのも分からぬでもないし、かといって回復師ヒーラーにかかるのも大仰で気の引ける――そんなささくれだ。

 この頃は寒くなってきたし、乾燥が原因だろうか、よもや一国のお姫様が水仕事などはすまいし。

 単純に気になって触りすぎたのかもしれない。


 何にせよ、自分は医者としての仕事を果たすだけだ。

荷物に手を伸ばそうとした時――

 

「――ごめんなさいね、お呆れになったことでしょう」


――ベールの向こうから王女様が詫びてきた。

 

 正直、驚いた。

 こういった雲上の御方は、下々の者に言葉をかけぬイメージであったが――よもや詫びるとは。

 きっと会話のたぐいは従者との耳打ち越しに行われるものと思っていたが――


「あ――ああ、いえ、確かにすこし酷くなっていますからね、御身を考えれば医者にかかるのは賢明でしょう」


「つい気になって触ってしまうのです、お恥ずかしい……」


 か細い、それでいてよく通る不思議な声には、僅かに羞恥と自身への呆れが籠もっている。


「はっはっは! ……いや失礼、そういうものですよ。実際の所、包帯や傷あてなどというのは、半ばそれを防ぐ為のものですからね」


「まぁ! よかった、私が特別に意志が弱いというわけではございませんのね、ふふ」


なんだ、意外と話しやすい方ではないか。

あの鉤鼻の役人との方がよっぽど神経を使う。

 王女様と談笑する機会があるとは思わなかったが。

  

「ですが先程も申しました通り、少し膿んでおります。ささくれというのはこうなると少々厄介にございますゆえ、軟膏を処方いたしますから、心得のある方に清潔な包帯を毎日替えて頂ければ、すぐ快癒いたしますよ」


つまり、薬を塗って安静に。

 

 ささくれなのだからそれで治るという、当たり前の仕事を私は立派に果たした。

 では、お大事に――そう告げて立ち上がろうとした時である。


「――メーイ先生、ご相談があるのです」


 王女に呼び止められた。

 なんだか、ただならぬ雰囲気である。

 意を決したような声色で、王女は言葉を継いだ。


「私の主治医になって頂けませんでしょうか」


 はあ――もはや気の抜けた返事しか出来ない。

 

 突然の話で呆気にとられてしまう。


 主治医、というのは――

 ささくれを見れば、いいのだろうか。


 混乱している私に王女が爆弾を落とす。


「実は先日、お父様が亡くなったのです」


 はあ――それはご愁傷さまに――――


 王女のお父様と言ったら――


 言ったらそりゃあ――


「――――はあ!?」



  国王が死んだ。


  

 そんな話は一度も聞いていない。

 というか公的には発表すらされていないはずだ。


 つまり――国家機密。


 いや、ただの国家機密ではない。

 この情報の扱い如何いかんでは、国が滅びかねないド級の国家機密。

 ド機密だ。


「な、なぜそんな話を――」

 

「ナイショですよ」

 

 ナイショですよ、ではない。

 フランクさが今は恨めしい。


 というか、こんな話を聞いて――私は帰れるのだろうか。


 ガション。


 私の退路を断つように、鎧の男が背後に立つ。


 帰れない気がしてきた。



    ✚



 王の第一子、第一王子のアニダス。

 王の第二子、第二王子のジーナンダス

 王の第六子、第二王女イーモトーネ。


 王位継承において有力とされている王族達である。

 

 この国の王位は、専ら魔力量で決めることが多く、よほど素行が悪くない限りは力の差がそのまま王位継承権に直結するのが慣例となっている。


 別にそういった法律や規則が明文化されている訳ではない。


 しかし、オーキー王国というのはその大きさ故、諸外国と比べても中々に血生臭く壮絶な歴史を歩んでいるというのは市井の人々も知るところであるし、身分の高い者であるならばその実感は尚更である。


 争いが多いということは、すなわち英雄譚も多いという事だ。

 政策の一環として取り込まれた物語は数多い。

 

 そういう国であるから、弱い王は臣下の――国民の支持を得られない。

『力』という物差しを無視して、この国を導くことは非常に難しい。


 そんな国で――前王が後継者を指名する前に、急死した。


 滅茶苦茶マズい。


「滅茶苦茶マズい……」


「滅茶苦茶マズいのです」


 目の前の王女のフランクさが今は恨めしい。


 この国の権力闘争は、単純に政敵を蹴落とすという以上に、政治的な勝利そのものが「私はこいつより強いぞ」という最大のアピールとなり、求心力と発言力に直結する。 


 間違いない。

 王位継承争いが勃発する。


 いや、もしかしたらもう始まっているのかも知れない――

 待て、そうだとすると、なんだか話が読めてきた。

 

 このタイミングでこんな根無し草を主治医にする必要がある人物。

 そうか、この方が――第二王女。

 イーモトーネ王女殿下か。


「宮廷内の医者は――信頼できませんか」


「――はい」


 大体の怪我や病気の類は、宮仕えの魔法使いや回復師ヒーラーが治してしまうだろう。

 そんな環境での医者に求められる知識は――毒物。


 毒を防ぎ、毒をく。

 その前提として薬草学を学んではいるようだが――反吐が出る。


「父の死には……不審な点が多くありました。数々の回復師ヒーラーを含む識者の方々の健闘も虚しく、苦悶の末に身罷って……」


「…………」


 またしても危険な情報が飛び込んできた。

  

 国王が暗殺された――かもしれない。

 もはや何を言っても虎の尾を踏みそうだ、ただ黙るしかない。

 しかし、一つだけ分かった。


 ――次は自分かもしれない。


 言外にそう言っているのだ。

 救いを、求めている。



「私は――兄たちと争いたくはないのです。王位など興味もありません」


 それは――そうなのだろう。

 これまでの会話から感じられたその穏健性は、この国の王族として相応しいとは決して言えない。

 私個人としては素晴らしいことだと思うのだが、そうもいかないのが王族という血の宿命なのだろう。


 目前に御座おわす雲上の方が、なんだかひどく気の毒になってしまった。

 烏滸がましいだろうか。


 …………

   

 答えを出す前に、一つだけハッキリさせておかねばならない事がある。


「なぜ、自分なんです」


 そうだ、在野の医者というのなら探せばいくらでもいるし、私である必要もない。

 確かに派閥には所属していないだろうが、そもそもどこの国の者とも知れぬもっとも信用してはならぬ人種を雇うというのは……論外の人選ではないか。


 少し気まずそうな沈黙が流れる。

 やがて王女はゴソゴソと何かを探すような素振りを見せ――


「……ファンなんですの」

 

恥ずかしそうに、枕元から取り出したのであろう私の著書をベールの隙間から差し出した。


『なぜ感染症ペストは尽きないのか 著:メーイ・イーシャ』


 公衆の衛生という概念を説いた、私が最初に著した本である。

 大赤字だったが、その甲斐もあって今はそれなりの書架が蔵書してくれている。


「初版ですのよ」


 恥ずかしそうに、ちょっとだけ自慢気に王女様が補足した。

 当時は産まれてすらいなかっただろうに、大したファンだ。


 苦笑して本をお返しする。


 なるほど、彼女の依頼を断る理由がまた減ってしまった。


「お話中に失礼いたします」

 

 タイミングを見計らっていたのだろう、ここまで案内してくれた鈎鼻の役人が割り込んできた。


「報酬の件ですが」


 ああ、そういえば――

 依頼という話なのだから報酬があるというのは当然の話だ。

 すっかり忘れていた。

 ここまで来て手ぶらで帰っては、特にシノにどれだけ揶揄われるか分かったものではない。

 当然、役人が言っている報酬とは軟膏の代金ではなく、王女様の主治医になるという件なのだろうが。


「――オーキー王国があなたの活動を援助する、というのは如何でしょうか」

 

 その報酬は――願ってもない話だった。






「先生が宮仕えェ!?」


 鍋をかき混ぜていたシノが、見返りながら声を上げる。


「うん……」

 

「アッハッハ! こいつァ傑作だ! 何を着てくんだィ先生? 今度はドレスでも貸してやろうかしらん」


 ケラケラと笑いながら茶化してくるシノに普段だったらデコピンの一発でもくれてやるところだが、礼服の借りもあり中々手を出しづらい。

 

 今日は我慢してやるが、明日になったら覚えていろよ――


 ジトリと恨みがましい目も受け流し、シノは子供達への食事を器用に盛り付ける。


「服はいいよ、それなりの前金は貰ったからそれで支度しろって事だろうさ」


 孤児院には「宮廷で仕事が見つかったから、もうしばらくだけここに世話になる」とだけ説明している。

 隠し事をするのは気が引けたが、事が事だ。巻き込むわけにも行くまい。


「で、どうだったィ? 貴族のお嬢様ってのはさぞキレイなんだろうなァ、なにせ――ささくれで医者を呼ぶってんだからサァ!」


「それが聞いてくれ、そのお嬢さんが俺のファンでな……なペ尽なぜ感染症(ペスト)は尽きないのかの初版を持ってたんだよ」


「へェ!? もの好きってなァいるモンだねェ……」


「うるさい」


「いだッ!!」

 

 デコを指で弾く。

 明日まで我慢できなかった。


 この恩知らずゥ、と食堂で追いかけ回してくるシノから逃げるメーイを応援する子供達の声。

 その喧騒はウラーギルに一喝されるまで続いた。

 今日も夜が更けていく。



  ✚


 メーイがイーモトーネ王女のお抱えとなってから2ヶ月ほど経った。

 ――仕事の成果は芳しいとは言えない。


「王女様、お加減はいかがですか」


 ベールの向こうに声を掛ける。


「ええ――今日はいつもより気分が、良いのです」


 その最初に見た時よりもずっと細くなってしまった手を見ずとも、よりか細くなってしまった声を聞けば嘘だと分かる。


 本当ですのよ――そう言い繕って、王女は咳き込んだ。


 ――明らかに弱っている。

 考えられる原因は一つだ。


 誰かが自分に罪を着せ、イーモトーネを暗殺しようとしている。


 対外的には王女様の道楽で、医者を呼び付けて美容の相談――それこそ、ささくれなどの下らない相談だ――をしているという事にはなっている。

 だが、このタイミングでイーモトーネが死ねば、馬鹿な王女が流れの医者にまんまと騙されて医療過誤で死んだ――そんなシナリオはあっという間に完成するだろう。


 何者かが王女に毒を盛っている。

 だが、その正体が分からない。

 

 触診できればまた話は違うのかもしれないが、肝心の王女様が頑として譲らない。


 ――先生にだけは、今の私の顔を見せたくないのです――


本来なら花も恥らう年頃の女性にそう言われては、周囲の家臣達も責めるに責めれない。

 私も、結局それを押し切ることは出来ないまま今に至っている。

 

 思えば、私と合う以前から毒は盛られていたのだろう。

 王女様が人に姿を見せるのを避けていたのは、自身が弱った獲物である事を周囲に見せない為か。

 敵は、私というスケープゴートを得たことでその動きはどんどん大胆になっている。


 もはや一刻の猶予もない。


決断した。

 

 もうお国の事情も、立場も、知ったことではない。

 私を信じてくれている彼女には申し訳ないが、裏切らせてもらう。


 周囲の制止が間に合わぬ速度とタイミングで、ベールに手をかける。

 今まで築いた信頼関係を崩壊させる事を代償にした一瞬の間隙だ。


 打首にでも何でもするが良い、たとえ彼女に恨まれようと――病巣は必ず断つ。

 

少しでも情報が欲しい。

 その為にはやはり、直接その目で患者の状態を確かめるしかない。


 願わくば私の後任となる者が、その情報でこの哀れな娘を救ってくれる事を願って。


「御免ッ!!」


 ベールを引っ掴んだ瞬間の――違和感。

 これは――

 このベールは、

『こう』

 だったか?


 ベールを掴んだ状態で固まった私を周囲の人間が引き倒す。

 

 先生、何をしているんです。動くなよ! 縄にかけろ――


 そんな言葉は右から左へ流せば良い。


 何か――いや、まて、そうか。

 点と点が繋がった瞬間、周囲の喧騒に負けない、何よりも大きい声で叫んだ。



「イーモトーネ!! 今すぐそこから出なさい! あなたは――シルクアレルギーだ!!」



 アレルギー。

 その概念を考えだしたのは私ではない。

 誰とも知れぬ、遠い昔の賢人だ。

 名を残すこともなかったのだろうが、その知見データだけは残っている。

 それを引き継いで更に継ぎ足せる、それが書物の――記録の――学問の素晴らしい所だ。


 漆に負けてかぶれる者と、そうでない者がいるのは何故か。


 名の知れた屈強な男が小さな蜂に刺されて死んだ、何故か。


 動物に、1度では死なぬ量の毒を、薄めて2度、3度に分けて刺すと弱って死んだ、何故か。

 ………………


 賢人はその現象に結論を出さなかった。

 何故を問うだけで、ただ記録データのみを集めていた。

単なる記録魔だったのか、それとも余談を挟まず先入観なしに後世に託したかったのか。


 いずれにせよ、偉大なる先人から受け取った叡智を元に我々が辿り着いた結論は――『免疫による過敏反応』。

 時にそれは、思いもよらぬ要因で発症する。



 イーモトーネに盛られていた毒は、シルクを粉状にした物だろう。

 どれだけ警戒してもわからないはずだ。シルクそれ自体は毒でもなんでもないし、飲み物はともかく食べ物にでも少量ずつ混ぜられてはお手上げだ。


 そして、あのベール。


王女が病めば病むほど、姿を隠せば隠すほど体を蝕む、卑劣な毒の結界。


恐らくトドメとして準備していたものだ。

 私が着任したタイミング以降で、清掃などの折にベールを切り替えたのだろう。

 もし仮に気付かれても、シフォン生地などのベールから、シルクのベールに切り替えるのを咎める者はいまい。

 

 最大の問題がある。。

 この暗殺は、イーモトーネがシルクアレルギーである事を知らなければ成立し得ない。

 きっと、自覚するほどではない程の微弱なアレルギーが、度重なるアレルゲンの接種で増悪したのだろう。

 その体質は恐らく王女自身も気付いておらず、体の不調はどちらかというと体の弱さという側面で受け取られていたはずだ。


 よほど幼い時からの付き合いの犯行か、内通があったのか。


 ――それはシルクのベールに変えた者に聞けば分かることだろう。


 多数の証言からあっという間に特定された侍女は「ちがう、私じゃない」と喚きながら連行されていった。

 その後の捜索により、第二王子ジーナンダスの手の者による密書が発見され、芋蔓式に続々と検挙される事態となった。

 ジーナンダスはその発言力を失い、処遇が決まるまで第一王子アニダスの指示により塔への幽閉となった。

 そして、式典にてイーモトーネ王女が王位継承権の破棄を改めて明言したことで、アニダス王が即位した――というのが顛末である。


膿は出された。


 王女の体質の情報源は――老いてボケたかつての乳母の、姫様自慢であったらしい。

 つくづく、イヤな世界だと思う。


 それでも、結局は誰も死なずに済んだ。

 最良の結果ではないか。

 罪人たちへの罰も、イーモトーネがアニダス王にどうか死罪だけは免れるよう嘆願すると請け負ってくれた。

 暗殺未遂事件の当の被害者にそう言われては、いくら次代の王とて無下には出来まい。

 イーモトーネ曰く「別に怒っていないわけでも、根に持っていないわけでもないが、先生がそう望むだろうと思ったので」とのことらしいが。


 何にせよ、仕事は終わった。


 だが忙しくなるのはむしろこれからだ。


 世界を放浪する旅は終わりを告げた。

 今後はこのオーキー王国を終の棲家として、本当の活動が始まるのだ。

 私のような魔力も持たぬただの凡人が、ただの凡人を救えるようになる。

 そんな世界の訪れは、きっと近い。


 改装された孤児院に赤く輝くのは十字の表象マーク

 全ての人々は繋がっている――そんな意思の表明だ。

 人も、獣人も、そうじゃない生き物も救うために研究をする施設。

 もちろん、孤児院の運営は続ける――というか、この施設の運営予算に無理くり孤児院をねじ込んだのでこういう形になった。

 苦笑しながら許可してくれたウラーギルには頭が上がらない。

 各地からも旅で出会った同志達が集ってきてくれている。

 政治的な事はわからないが、王女様はかなり無理な横車を押してくれているらしい。


 結局、俺は誰かに助けられてようやく歩き出せる、そんな男なのだろう。

 


「ッたく……今回ばっかりはたまげたよ、先生。その歳でもやれば出来るモンだねェ」


 孤児院を増設するように出来上がっていく建物を眺めながら、シノが呆れたように言う。


「そンで――この施設の名前は何にするんだい? ビシッとキメな!」


 シノに思いっ切り背中を叩かれて、また一歩前に踏み出す。


 名前、名前か――

 それならもう決まっている。


「――病を研究する場所……『病院』だ!」


 ささくれが、無くなった気がした。







 





 嗚呼、先生、先生――――。


 本当に純粋で、可愛いお方。


 あなたはきっと覚えていらっしゃらないでしょうね。


 街にこっそり出てきた私の手を温めてくれたのを。


 生まれて初めてのあかぎれに薬を塗ってくれたのを。


 それからずっと私はあなたを見ていましたよ。


 ずっとずっと、あなたの願いを叶える為に、どうすればいいのか。


 ずうっと考えていましたよ。


 それなのにあなたは、この国から出ていってしまった。


 幼い私の心はささくれ立ちました。


 あなたがこの国に戻ってきた時の、この歓喜、お分かりになるかしら。


 それなのにあなたは、またこの国から出ていってしまった。


 私の心はささくれ立ちました。


 あなたが別れを告げる度、私の心はささくれ立ちました。


 あなたと会えない時間が募る度、私の心は膿みました。


 だから、あなたが、ずっとずうっと、この国にいてくれる為に、考えましたよ。


 国王であるお父様を殺したのは私です。


 あなたは教えてくれましたね、人に寄生する虫の存在を。


 胃を整える丸薬ですよ、と言うと、何も疑わずに飲み込んだ優しいお父様。


 そんなお父様が、胃の中で暴れる虫に苦しむ姿を見るのは本当に辛かったですけれど。


 回復師ヒーラー達が必死に回復魔法をかける度、精力を増した虫が中で暴れるのを見るのは、とても滑稽で、思わず笑いそうになってしまいました。


先生がいらっしゃれば、逆に毒を飲ませて、虫を下していたでしょうにね。

 

 一人の魔法使いが、暴れるお父様の魔力の暴走を抑えるために、鎮静の魔法を打ちましたけれど。


 アレは脳の活動を抑える魔法でございますから、虫は死にませんわよねえ。


 回復魔法で元気が有り余った寄生虫はやがて宿主を殺してしまいました。


 皆さん、見分するのは死ぬ前の事情ばかりで。


 私が泣き縋るフリをして、死体に『死の魔法』をかけて虫を処理したことなんて、誰もお気づきになりませんでしたわ。


 王の腹を開く度胸のある人なんて、一人もいませんでした。


 愚かなお兄様も、大変よく働いてくださいましたね。


 ジーナンダスお兄様だって、腐っても鯛ですのよ。


 本当は、そんな簡単に芋蔓式になるようなヘマはいたしませんのよ。


 あの証拠は、私が揃えたのです。


 私は、自身の体質アレルギーに気付きながら、アレルゲンを飲み続けていたのですよ。


 嗚呼、先生、先生――――。


 本当に純粋で、お優しいお方。


 死を覚悟して私を救おうとしてくれましたね。


 その時の歓喜が、絶頂が、お分かりになるかしら。


 賢いあなたはやはり、私の準備したヒントに気づいてくださいましたね。


 あの侍女にシルクのベールにするよう命じたのは私なのですよ。


 彼女が暗殺者なのは分かっていましたからね。


 きっと好都合だと思っていたのですわ。


 愚かなことです。


 

 嗚呼、先生、先生、先生、先生――――。


 私、父から授かった秘法があるのですよ。


 この国のどこにでも、己の分身を作り出せる術なのです。


 私はお兄様たちよりもずうっと強いですから、お父様も気に入ってくださっていたのです。


 孤児院の生活は幸福でしたね。


 オシーノ・ビィという少年を何も聞かずに受け入れてくれて、本当にありがとうございました。


 これからは、ずうっと一緒ですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 


 一人の女の、小さな傷から膿んだ心が産んだ茶番劇。

 ささくれとは、かくも恐ろしいものである。

 

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