ささくれのように痛くて、離れない

 愛奈あいなの様子が変わったのは、中学校卒業がいよいよ現実味を帯びてくる秋のことだった。わたしは所属していた図書委員会を、愛奈も陸上部をそれぞれ後輩に引き継いで、別々に帰ることの多かった放課後も一緒にいるようになっていた。


 離れていても、愛奈のことを考えない時間なんて数えるくらいしかなくて。そんなわたしだったから、愛奈の変化に気付いてしまった。


『愛奈、帰ろ?』

『……うん、帰ろっか』

 わたしの声に答える前、愛奈がぼうっとした目でどこかを見ていたのはわかっていた。わたしと連れ立って帰るために教室を出る間際、スマホをチラッと見て落胆したような顔をしていたのも、わかっていた。


 でも、怖くて訊けなかった。

 わたしは、愛奈の全部を知りたいなんて思ってない。わたしと愛奈は別人で、別の世界に生きていて、愛奈はわたしの届かないような場所にいる子だから、わたしが愛奈の全部を知るなんてできっこないのはわかっていた。

 だけど、せめてわたしといる間はわたしの知る愛奈だけでいてほしかった。わたしの手を引いてくれるヒーローで、わたしを導いてくれる星で、わたしを照らしてくれる光──そんな愛奈でいてくれないと、どう接したらいいのかわからなかった。


 もしも訊けたら変わっていたのかな、『何かあったの?』の一言を喉から出せていたら、今日が変わってたのかな?

 少なくとも、そのときのわたしは何も知らなかった。愛奈の変化の理由を知ったのはもっと寒くなってから、そして取り返しがつかなくなってからだった。


   * * * * * * *


「ただいま」

「お、おかえり……」


 地元から離れた都会で、わたしを出迎えてくれる愛奈に笑い返す。そんなわたしを見て安心したような顔をする愛奈を、本当に変わったなと冷めた気持ちで見下ろす。

 あの頃と逆──いや、そんなんですらない。


 中学校最後の冬を境に、わたしの手を引いてくれていた愛奈は跡形もなく消し去られてしまった。


 全部、全部終わってから知った。


 愛奈が教育実習で来ていた大学生と付き合っていたことも、その彼女に釣り合うようにと金銭的に相当無理をしていたことも、その『無理』がバレて学校の裏サイトで晒されたことも、結局その大学生との関係も愛奈のしていたことがバレたのをきっかけに酷い終わり方をしたことも。

 愛奈はみんなと仲良くできる子だったけど、みんながみんな愛奈と仲良くしたかったわけではなかったみたいだった。愛奈がお金のためにしていたことが発覚した途端ここぞとばかりに責め立てて、裏サイトはおろかクラスのグループLHEINラインにまで愛奈を貶めるような書き込みが複数人から投下された。

 みんなから貶められて、辱しめられて、嘲られて、蹴落とされて、なじられて──そうやって、愛奈は壊れてしまった。わたしじゃ、彼女を繋ぎ止めるものにすらなれなかった。

 勝手に無理させて見捨てるような人や、隙を見つけたら簡単に酷いこと言ってくるような人たちには影響されるのに、どうにか励まそうとするわたしには一切影響されてくれなかった。

 そんな愛奈のことを、わたしは……。


「今日はどう過ごしてたの?」

「あ、あの……、今日は夏鈴かりんが頼んでた荷物来たから、受け取っておいたよ。それと、隣の人から旅行のお土産だっていうお菓子とかお酒もらって……」

「そう、楽しそうでよかったね」

「……え?」


 想像してしまう。

 きっと愛奈はすごく無防備に受け取ったんだろうな、と。相手がよこしまな気持ちで接してくる可能性なんてまるで考えずに曖昧で不安げな笑顔で応対したんだろうな、と。

 そんなんだから悪い人たちに付け入られたんじゃないの? また居場所なくされるよ? どこまで学ばないの、いつまであの頃のままでいるつもりなの?


 わたしの中に渦巻いてしまった気持ちが伝わったのだろう、愛奈は「ごめん、こめんね!」とわたしにしがみついてきた。

「ごめん夏鈴、ごめんね……あたしが悪かったから、謝るから……」


 だから捨てないで、って?

 そうだよね。

 誰からも見向きもされなくなって、新しい人間関係すら噂話のせいで築けなくなって、どうしようもなくなった愛奈に手を差し伸べたのは、わたしだけだもんね。

 わたしにまで捨てられちゃったら、もう立ち直れないもんね?


「謝らなくていいよ」

 愛奈の柔らかい身体を、そっと抱き締める。

 どうせ謝ったって学ばないんだから──そう囁きたくなるのを堪えながら。


 あの頃の、わたしの星だった愛奈は消えてしまった。わたしの好きだったかも知れない愛奈は、もうどこにもいなくなってしまった。

 それなら、もうただの残骸でしかない愛奈のことなんて見捨ててしまえたら、わたしはきっと楽になれるのに。

 だけどそうする勇気もまだ持てないわたしには、彼女を抱き締めることしかできない──引き剥がせないささくれが痛む指のような心を、どうにか堪えながら。


 そして、わたしたちは今日も痛みを抱き締める。

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ささくれの心 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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