第3話

時刻は午後1時、そしてここは高層のビルでホテル。

 現在独り身の海斗は、恋人を夜まで連れてこないとΩと結婚させられる。

 前のように、グタグタと決断を長引かせ断る方法が出来なくなった。

 今回は、有名な財閥の娘だから断りにくいのもあるが、何よりも母親が何が何でも結婚させるという意思を感じる。悩んだり、グタグタとしたりと、言動には細心の注意を払わなくては自分で墓を掘ることになる。

 3回も失敗しているから角が立つのは仕方ないが。

 

 どうしようか。今から友達を呼ぶか、いや友達なんて直ぐにバレるし、友達の知り合いを呼んでみるとか。

窓から見えるヒラヒラと落ちる雪を目で追いながら思考を廻らした。


 遠田海斗、僕はΩの臭いが嫌いだ。

 何故と言われれば、特有のΩの湿って蒸れた花のような甘い濃厚な香りが昔から鼻に付くようで苦手なのだ。

 普段の生活でΩが近くにいても臭いと思うだけで全く支障は無いのだが、どうしても情事とか距離が近くなるとその臭いが香ってきて、甘い雰囲気どころでは無くなる。

 高校生の時に付き合っていたΩの人と初めてをしようとして吐いて平手打ちにされたのはいい思い出だ。

 それからというものトラウマになり、βだろうがαだろうが情事を伴えば吐き気を催すようになった。

 この事は親にも、友人にも言っていない。こんなナイーブな話を誰かに相談する事は出来るはずなく、欲求が気持ち悪いに変わるのは遅く無かった。


 お見合いでαがΩが苦手なんて苦手知られたら、それこそ恥さらしだ。 

 もう誰でもいいから、この難を凌いでくれる人が欲しい。


 甘い期待を抱きつつ、作戦を練るために一階にあるレストラン兼カフェに行くためにエレベーターのボタンを押した。

 丁度、階を下りるエレベーターに出くわし乗り込むと、中には先客がいた。

その先客は男は、奥の方で壁にもたれて通話していた。スーツを着込んでいるが女性のようなしなやかさなく、リーマンのように堅苦しさもない、スーツに着せられたまだまだ遊び盛りの、そう自分とは歳は変わらない若い人であった。

 派手な人だなと思うのは髪色が、金色に近いキャラメルだからだ。なにをしに来たのかな、好奇心に駆られつつ男に背を向けるように海斗は入口近くに立つ。

 

「いや、それだと……」


 落ち着いた声。無理だ、違う、男は何やら通話相手と揉めているようだった。

 2人だけの空間、耳を澄まして無くとも途切れた内容が入ってくる。その度に怪しい男への妄想を広げていくのだが、エレベーターが動き出して気がついた。

 腐った甘い蜜のようで、蒸れた花のような香りが漂ってきたのだ。

 海斗は額から冷たい汗が流れるのを感じ、慌てて鼻を手で覆う。


 オメガの匂いだ


 鼻に付く匂いは、喉奥から酸っぱい物をせり上げてくると共に、足先が凍えるように震え出した。

 日常生活には支障は無いと言ったが、一つだけ例外があった。

 それは、ヒート中のΩの匂いだった。どれだけ離れようと関係なく、嗅いだだけで吐き気を催すのだ。

 密室から兎に角出ようとボタンを押そうとするが、手に力はこもらず、蓋を触る爪音カリカリだけが虚しく鳴らす。


「おい、アンタ大丈夫」


 流石に通話に夢中だった男であっても、海斗の異常な行動に気がつき手を伸ばし始めた。

 

「平気っ!」


 突如、言葉は崩れ、ついに海斗は崩れるように膝を付く。男が近寄ってきた途端にあの匂いが充満し鼻の奥を突き刺したからだ。


「本当に大丈夫かよ」

「だいっじょうぶっですから」

「いやと言っても、あんた動けなさそうだし」

 

 男は心配そうに眉尻下げて海斗の身体を支えようとするが、更に距離が縮まると香りが濃縮される。

 吸い込んだ分だけグラグラと視界は揺れる。海斗は理解した、この匂いは男からだという事に。


「くさいっ」

「えっ?」

「はっ吐きそうで、気分悪いからはなれてっ」


 吐き気を抑えようと必死に息を押さえる海斗は、立て続けの緊張にパニックを起こしていた。


どうすればいいのか分からない。


抑えるあまりに少しずつ息を減らし、まともに酸素は供給されないまま目の前がブラックアウトしていく。


「随分と熱ぽいな」


 すると、男は何かに気がついたのか、脇を掴んで海斗を引きずるようにしてエレベーターから外へと出すと


「あんた、もしかてαか?」


 耳中で声が反響する。俺は言葉にも出来ず、頭を下に振る。

 Ωであろう男は特に焦った様子は無く、淡々と話す。

 

「きっとアンタは今、強制的にラット状態に入ってる。」

「ラッ?」

「Ωが発情期があるようにαもある、というか学校で習ってるだろ。」


習ったような、習っていないような、回りきった頭では学生時代を思い出す力がない。


「薬……だと……だがら、これ……おい!」


 視野が狭い画面が揺れる。

 男の声が途切れと途切れで聴こえくるのは、きっと俺が意識を無くなるからだと悟る。 

 

 熱のこもった息を吐き、海斗は全身の力という力が男の冷たい手の中で抜けていく。


「……だい……ぶちゃんと息しろ。こんな事で死にやしないから」


 掠れゆく真っ白な視界に真っ黒な影を作るとじんわりと暖かくて柔らかい物が唇に伝い、小さくて硬い物が喉を通る。そして同時に、何だが、懐かしいような、優しい香り漂ってきた。


 この、ほのかに香る甘くて良い匂いが、緊張を少しだけ和らげ、気持ちが楽になる。

 そんな幸せも束の間、のまれるように俺は意識を手放した。

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