姉さんの世話焼きそば

夜桜くらは

姉さんの世話焼きそば

 私には、十歳年上の姉がいる。明るくて、優しくて、いつも楽しい話をしてくれる、自慢の姉だ。

 私は物心ついた頃から、そんな姉にべったりだった。どこに行くにも後ろをついて歩いたし、姉の真似ばかりした。

 姉はそんな私に嫌な顔ひとつせず、いろいろなことを教えてくれた。そして、私を可愛がってくれた。

 忙しい両親に代わって、私とよく遊んでくれたのも姉だ。近所には同い年の友人もいなかったので、姉は私にとって唯一の遊び相手であり、支えだった。姉がいてくれたから、私は寂しいと思わなかったし、ここまで成長できたと思う。本当に感謝している。

 でも、ひとつだけ不満があるとすれば──姉の料理の腕が壊滅的だったことだ。


 姉は昔から、両親の不在時に料理を作っては、私に食べさせてくれた。そして、「どう? 美味しい?」と期待した目で聞いてきた。私は姉を悲しませたくなかったから、必死に「美味しい」と言い続けていた。

 でも、本音を言うと──正直に言ってしまうと、姉の料理はお世辞にも美味しいとは言えなかった。

 カレーを作ったときは、ルウが水っぽいし、野菜が生煮えだった。お米もべちゃべちゃで、お粥みたいだった。

 チャーハンを作ったときは、油が多すぎてギトギトだったし、卵の殻が入っていてジャリジャリしていた。

 姉は「ちょっと失敗しちゃった」と言って笑っていたけど……。ちょっとどころじゃない、と私は思った。

 それでも、姉は懲りずに料理を作り続けた。私は姉の努力を無駄にしたくなかったから、毎回笑顔で「美味しい!」と伝え続けた。そして、姉が料理を始めた時は、見学すると言ってこっそり姉を手伝った。

 その甲斐あってか、姉の料理の腕前は少しだけ上達した。……それでも一般水準から見れば、お世辞にも高いとは言えないレベルだけれど。



 それから更に時が流れて、私が中学二年生になった頃のことだ。

 この頃、私は人間関係のことで悩みを抱えていた。クラス変えで仲の良い友達と離れてしまい、新しいクラスになかなか馴染めずにいたのだ。

 元々引っ込み思案な私は、自分から積極的に話しかけることができなかった。だから、周りの人たちと打ち解けることができず、一人で過ごすことが多くなった。

 私は、そんな自分に嫌気が差していた。姉のように明るく振る舞えない自分に嫌気が差していた。


『どうして私はこんなにダメな人間なんだろう』

『もっと勇気を出して、みんなに話しかけられたら……』

『姉さんみたいに、もっと上手に人と関われたら……』


 当時の私はそんな風に思い悩み、自己嫌悪に陥っていた。

 そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのは、やっぱり姉だった。

 当時、姉は家を出て一人暮らしをしていた。でも、週末になるとよく帰ってきた。姉は帰ってくると、いつも私と一緒に過ごしてくれた。姉は家を出る前と変わらず、明るくて優しかった。


『最近どう? 学校は楽しい?』

『勉強はついていけてる?』

『何か悩みがあったら、遠慮せずに話してね』


 姉はいつも私を気にかけてくれた。……でも、悩みを相談できるほど、私は素直になれなかった。


『何でもないよ。大丈夫だよ』


 私はいつもそう言って誤魔化した。姉に心配をかけたくなかったのもあるし、自分の悩みを打ち明ける勇気がなかったのだ。



 そんなある日のこと。その日も、姉は家に帰ってきていた。ただ、この日は両親の仕事が長引いていたようで、家には姉一人しかいなかった。


「ただいま。姉さん」

「おかえり。今日はどうだった?」

「うん……まぁ、それなりにね」


 私は相変わらず、素直になれなかった。本当は姉にいろいろ相談したかったのに……どうしても自分の気持ちを言葉にできなかった。

 姉が何か言った気がしたけれど、私はそれを無視して自分の部屋に向かった。そして、制服のままベッドに寝転んで、ぼんやりと天井を眺めていた。

 でも、そうしていると……何だか妙にモヤモヤした気持ちになった。不安と、寂しさと、自己嫌悪とが混ざり合って、私の心を圧迫していた。

 私は布団に潜り込んで、さらに目をつむった。でも、そのモヤモヤは消えてくれなかった。


 しばらくすると、部屋のドアがノックされた。私はベッドで横になりながら「入っていいよ」と返事をした。

 姉に心配をかけたくなかった。こんな姿、見られたくなかった。私は被っていた布団をなんとか剥がして、身体を起こした。何でもない風を装わないと、と思った。


 ドアがゆっくりと開き、姉が部屋に入ってきた。そこで私は、姉が何かを持ってきていることに気が付いた。

 ふわりと香るソースの匂い。どうやら姉は、私のために料理を作ってくれたらしい。

 私は部屋の隅から折り畳み式のテーブルを引っ張り出し、それを部屋の真ん中に置いた。そして、そこに料理を置いてもらった。


「はい、どうぞ。お腹空いてると思って」


 姉は優しく微笑んで、箸を私に差し出してきた。私はそれを受け取り、料理に目を移した。

 ソースの香りの正体は、焼きそばだった。白い皿に盛られた焼きそばは、見た目も匂いも、とても美味しそうだった。

 姉が作ってくれた料理を食べるのは久しぶりだった。私は少し緊張しながら「いただきます」と言って、焼きそばをひと口食べた。


「……美味しい」


 自然とその言葉がこぼれた。私の予想に反して、姉が作った焼きそばはとても美味しかった。ざく切りのキャベツや細切りのニンジン。少し大きめに切られた豚肉。モチモチとした麺に、ほどよいソースの甘み。全てが絶妙なバランスで、私好みの味だった。


「美味しい? 良かったぁ」


 姉は私の言葉を聞いて、ホッとしたように笑っていた。私は夢中になって焼きそばを食べた。正直言って、今まで食べた姉の料理の中で一番美味しかった。



「どう? 元気、出た?」


 焼きそばを半分ほど食べ終わったとき、姉はそう言った。私は思わず手を止めて、姉を見た。


「今日の和叶わかな、ちょっと元気なさそうだったから……。何か悩みごとでもあるのかなって」


 姉は少し困ったような、心配そうな顔で私を見ていた。私は「そんなことないよ」と言おうとしたけれど、上手く言葉が出てこなかった。代わりに、鼻の奥がツンとした。


「話してみない? 何か力になれるかもしれないし……」


 続けられた姉の優しい言葉。それを聞いて、私の目からポロッと涙がこぼれた。

 私はそのままうつむいて、声を押し殺して泣いた。姉はそんな私のそばに寄り添い、優しく背中を撫でてくれた。


「私……私ね……」


 私はつっかえながらも、今までのことを話した。友達ができなくて寂しいこと。新しいクラスに馴染めなくて不安なこと。そんな自分が情けなくて嫌になること……。上手く言葉にできない部分もあったけれど、姉は急かさずに私の話を聞いてくれた。

 私が話し終えると、姉は「そっか」と言って、私の頭を優しく撫でてくれた。


「話してくれてありがとう。和叶もいろいろ悩んでたんだね」

「……うん」

「でもね、和叶。そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 姉は穏やかな声で続けた。私は涙で濡れた顔で、姉を見た。


「確かに和叶は引っ込み思案で、友達を作るのが苦手なのかもしれない。でもね、和叶には良いところがいっぱいあるんだよ」

「良いところ……?」

「そう。和叶は、とっても優しくて良い子だもの。周りのことをよく見ていて、いつもみんなを気遣ってくれる。困った人がいたら、嫌な顔ひとつせずに助けてあげるでしょ? そういう和叶の良いところはね、きっと他の子たちにも伝わっていると思うの」


 姉はそこまで言って、私を優しく抱き締めた。私は姉の腕の中で、姉の言葉を心の中で繰り返した。……胸の奥がじんわりと温かくなった気がした。


「だから、そんなに焦らなくても大丈夫よ。少しずつでいいから、周りの人と仲良くなっていこう?」


 姉はそう言って私から離れ、穏やかに微笑んだ。私は涙を拭いて、こくりとうなづいた。


「和叶は、一人じゃないからね。私がいる。父さんも母さんもいる。だから、何かあったらいつでも相談してね」

「……ありがとう、姉さん」

「ふふ、どういたしまして。……焼きそば、冷めちゃったかな。チンしてくるね」

「あ、待って……姉さん。私も行く」


 私は姉に続いて部屋を出た。そして、二人でキッチンに向かって廊下を歩いた。


「ねぇ、姉さん」

「ん? なぁに?」

「……また、料理作ってくれる?」


 私の問いに、姉は優しく微笑んでくれた。そして、私の頭をそっと撫でてから、こう言った。


「もちろんよ。いつでも作ってあげるからね」



 それからも、私と姉の関係は変わらなかった。

 あの日以降、私は少しずつ周りの人たちと話すようになった。友達もできて、新しいクラスにも馴染めた。

 そのことを姉に報告したら、姉は自分のことのように喜んでくれた。そして、「和叶が頑張ったからだよ」と言って頭を撫でてくれた。私はそれがとても嬉しかった。


 今、私は大学生になり、一人暮らしをしている。大学では、同じ趣味を持つ友達ができて、充実した毎日を送っている。

 私がこんな風になれたのは、きっと姉のおかげだ。あの日、姉が私を気にかけて、話を聞いてくれたから。私には良いところがあると言ってくれたから、私は変われたのだと思う。

 あの時食べた焼きそばの味は、今でも覚えている。姉の優しさがいっぱい詰まった、あの味を。

 私はこれからも、姉を慕い続けていくだろう。……そしていつか、この感謝の気持ちを、姉に返せたらいいなと思う。

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