ささくれは生物である

瘴気領域@漫画化してます

ささくれとは生物である

「ささくれとは生物である!」


 こう主張した吾輩は、当然のように生命科学学会を追放された。このような奇矯な説を唱えるものに学会員の資格はないというわけだ。ま、本音は吾輩の天才性に恐れをなし、学会に名を連ねて無駄に歳を重ねただけの無能なお偉方が潰そうとしたのだろう。学会費を3期連続で滞納していたことは明白に無関係である。


 ささくれがどういった生物なのかという話をする前に、まず、生物とは何かを確認しよう。現在、もっとも広く受け入れられている定義は以下の3点をすべて満たすものだ。


(1)外界と膜で仕切られている

(2)代謝を行う

(3)自己複製する


 ひとつひとつ、順を追って説明していく。


(1)外界と膜で仕切られている

 ささくれの輪郭は曖昧なものか? 否、そうではない。いままさに君の人差し指にできているささくれを見たまえ。この点についてはわざわざ説明するまでもないだろう。……まあ、このあたり、厳密には当てはまらない超生物性といったものがささくれには存在するのだが、説明が煩雑になるのでその話は後にしよう。


(2)代謝を行う

 代謝とは外界から何らかの物質を取り込み、消化吸収というプロセスを経て、不要物を排出する一連の活動を指す。ここで考えてみたいのは「心のささくれ」だ。君は心がささくれたときにはどうやって癒やす? 居酒屋に行って、たらふく飲んで、指導教授の悪口を言う。うむ、まさしく代謝を行っているな。


(3)自己複製する

 ささくれは自己複製するかという点だが、これにも疑いはない。手指にささくれができた人は他の指にもささくれができやすいし、なんなら踵にもささくれができる。心のささくれがある人の周囲には、心にささくれがある人が多い。これは感染による自己複製であると断言できる。ささくれとは、細菌的な性質を持っているわけだ。


 なに、ウイルスかもしれないと? 鋭い質問だ。君はなかなか見込みがあるな。


 たしかに、ウイルスは無生物と生物の中間と言われているな。代謝を行わず、しかし生物細胞にゲノム核酸を注入し、複製・転写・翻訳を経て自己複製を行う。代謝を行わないという点が生物の定義から外れているな。先程君が言った「心のささくれを癒やす行為」、すなわち鯨飲馬食に愚痴というのは、ウイルス感染による一症状である可能性はある。ウイルスが君を操り、そのような行為をさせたと解釈可能なわけだ。


 これに関しては、未だ吾輩は明確に反論できる材料を持たない。傍証であればいくらでも出せるが……それは胡乱と言われても仕方がないだろう。様々な実験及び観察データからささくれはウイルスではなく細菌である、というのが吾輩の主張であるのだが、確証がないことは残念ながら事実だ。君は君で、ささくれはウイルスであるという仮説に基づいて研究を続けてくれてかまわない。


 さて、学会の陰謀により、今期からこの研究室は大幅な予算削減という憂き目にあってしまうのだが……はあ、クソがッ! 吾輩の偉大な研究を認めない無能どもめッ!! あああああああ、ささくれッ! ささくれは危険な感染症なんだ! 手指やかかとがガサガサするだけじゃない! 精神疾患の原因にもなれば、国家間の関係性だってささくれる! 吾輩と学会の関係性だってささくれた! 妻との関係もささくれて、息子をつれて出ていった! ああ、ささくれ! ささくれを撲滅せねば! ささくれを撲滅せねば人類の未来がッ! ささくれ撲滅! ささくれ撲滅! ささくれ撲滅ッッ!!




 なあ、君もわかってくれるよな?




 * * *




「ってことがあってさあ」

「うわー、それはきっついわ。完全にイカれてるじゃん」


 指導教授から御高説を賜った日の夜、俺は別の研究室に所属している友人のタナカと居酒屋で飲んでいた。まったく、どうしてあんな教授のもとについてしまったのか。ゼミ生として参加していたときはまともだったんだけどな。大学院に進んだ途端にこれだ。


 ゼミの朗らかな雰囲気は囮だったのか、それまでは常識的で優しかった研究室の先輩たちまですっかりおかしくなってしまった。ポスドクは奴隷同然だなんて話はネットで読んでいたけれども、もっと真に受けていればよかったのかもしれない。


「つか、お前手荒れすごくね? それも教授のストレスのせいか?」

「そうかもなあ……」


 俺の手を見ると、そこら中にささくれだらけだ。ついでに言うと、心の中もささくれだらけ。店の天井の角でつけっぱなしのテレビによれば、某大国同士の関係もすっかりささくれているんだという。まったく、ささくれってのはろくなもんじゃない。


 俺がむっつり黙っていると、タナカは空気を変えたくなったのか自分の指を見せてきた。


「見ろよこれ。俺にもささくれできちゃってるよ」

「マジか。俺のが感染ったんじゃね」

「冗談きついわ。そういや、うちの指導教授もひどくってさあ」


 タナカにも心のささくれがあったようだ。教授の愚痴を延々としゃべり続ける。酒が進むと同じ話がループし始めたので適当に聞き流す。そうすると、周りの客も上司や知人、世間の悪口ばかり言っているのが聞こえてきた。ビールのおかわりを持ってきてくれるお姉さんの指もささくれていた。


 そしてテレビでは緊急特番が開始され、C国とR国が同盟を結び、A国に宣戦布告したことをアナウンサーがマイクを掴んで熱弁していた。マイクを掴むその指も、やはりささくれだらけに見えた。


(了)

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