第34話 女王陛下のお墨付き
ウィルヘルムの言葉はいささか無礼に違いなかった。
もっとも、教育の成果なのか、今までより直接的な要求をさんざんされてきたからか、女王も隣に控える王配も表情一つ変えない。
思わず声を上げそうになった――この場で最も驚いているのは当のヘルミーナだった。
「内容については妥当という言葉が適当でしょうね」
ヘルミーナは、危険を冒してまでウィルヘルムが自分を推してくれる真意が掴めないまま、返される女王の言葉に集中する。
「ただそう、確かに興味を引かれました。結論までの流れ、要点を示した表、俯瞰したような視点が、時折現れるという“天啓を受けた人”のようでしたから」
「――っ」
視線が合えば全て見透かされそうで、ヘルミーナは思わず頭を深く下げて息を呑む。背筋が凍りつきそうになる。
俯瞰視点なのは当然で、領地経営の現実など分からないから、資料も全部一度ゲーム上の盤面と数値に置き換えてから判断している。
ゲームでは技術や建築物、宗教や文化などはそれぞれツリー方式で順に高度なものが開放されていくので、この先に登場するであろうものを含めての取捨選択は、生産にかかる各種コストと効果を比較して行っていた。
この世界で高度な専門教育を受けたわけではないから、将来の技術や思想について隠そうとしても現時点でシュトラーセに存在しているものとの間に何か違和感があったのかもしれない。
ウィルヘルムはヘルミーナが下地を作ったと言ってくれたが、筆記はもとより添削も、具体的な計画に関しては彼の案とすり合わせがされている。それでもなお疑いを持たせるようなものだったのかもしれない。
「貴女に興味があるの。侍女や役人としてわたくしに仕える気はない?」
ヘルミーナは今度こそ硬直する。
周囲の音が消えてしまったようで、一瞬の沈黙が耳を刺した。空気がピリピリと肌に痛い。
顎にぐっと力を入れて恐る恐る顔を上げれば、美しくもその微笑みは恐ろしく見えた。単なる興味だけではないだろう。
ヘルミーナの今の望みは、フェルベルクにいること、ウィルヘルムの隣で支えることだけだ。
もとより王都で成り上がるような野心も才覚もない。一度その立場に置かれてしまえばまた囚われて、最悪フェルベルクにとっての人質になるのではという想像が頭を過ぎる。
どう断れば角が立たないのか――そう考えるうちに先に断ってくれたのは、ウィルヘルムだった。
「恐れながら、妻はフェルベルクにとって以上に、わたしにとってとても大切なひとなのです。どうかご容赦を」
女王は細く重いものを持ったこともないようなたおやかな指先で扇を弄ぶと、首をいたずらっぽく傾げてウィルヘルムに微笑んだ。
「……そうね、結婚を促したのは先王。やっと出会えた方ですもの、興味本位で引きはがすべきではありませんでした。
フェルベルク伯は今まで顔を布で巻いていらしたわね。良き奥様をお迎えになられたわ。
……わたくしも婚姻に関しては色々と、ありました」
視線がちらりと隣の王配に向いてからウィルヘルムにいたわるような声で告げた後、薔薇色の唇が挑戦的に弧を描く。
「先の話に戻って、ツヴァイク男爵について……お二人とも、ご存知?
近々、議会に法案が提出されます――今回のような、法律のあらゆるところに存在する家長や嫡男が持つ権限、特段の事情があれば家族の自由を制限できる権利を、行使できないように変更する。これを成立させたいの」
その“特段の事情”とは実際のところ特段の事情と――特定の、今優位な権限を持つ人々がそうと認めた――つまり何にでも行使可能なものに近かったので、家族の男性、特に家長の支配を強めている。
彼女が今までこれによってより不遇に置かれていたであろうことは想像に難くない。
それは、二人にとっては家長が――男爵が、もう干渉できないようになるということで。以前から決まっていたのであろうが、願ってもないことだった。
「……陛下に忠誠を」
ウィルヘルムが頭を恭しく下げればヘルミーナも倣う。
女王は満足そうに頷き、
「お二人のご結婚に祝福を。……末永くお幸せに」
「望外の喜びです」
「今度視察に回るときに寄らせてください。王都にずっといると息が詰まるわ」
にこりと笑った女王陛下は、大輪の薔薇が綻ぶようだ。
ウィルヘルムの目が驚きに一瞬見開かれ、喜びをはらみながら伏せられる。
陛下が瘴気が漂うと忌避されるフェルベルクを訪れる、というのは、領主にとって最高のプレゼントだった。
その後の二人は、他の貴族へ領地を売り込むのに忙しかった。
今までウィルヘルムは王都のパーティーで成果を得られたことは殆どない。
けれど長い間、特に女性から忌避されていたウィルヘルムも、既婚者となり女王陛下のお墨付きが得られたこと、女性に対してはヘルミーナが同性として話す機会が得られるという利点によって何とか会話をすることができていた。
急に親しくなれるわけでもないが、ヘルミーナが社交界でかつて話したことがある人々は一度婚約破棄をされた彼女にはおおむね同情的だった。
それに何故あの“お花畑伯爵”に嫁ぐことになったのか、というのは単に好奇心を刺激する話題であったらしい。
翌日は王都への滞在の予定を少しだけ伸ばし、ヘルミーナはかつての少数の友人の元に行ったり手紙で近況報告などをし、フェルベルク領と取引のある商店に商品を紹介し、市場調査をする。
その間に暗に女王陛下に促されたこと――法への賛同者も集う。ヘルミーナ以外にも、女王陛下の恋愛結婚騒ぎに巻き込まれるように婚約を結び直させられた令息や令嬢には思うところがあったらしく、おおむね好感触だった。若い人たちには必ずしも議席はなくとも世論というものがある。
この間、懸案のツヴァイク男爵からの直接的接触はついぞなかった。
本当はテレーゼにも会ったり手紙を出したかったが、リスクを考えて我慢する。貴族相手と違って父親が手酷い扱いをしないとも限らなかった。
王都で過ごす最後の夜、夕食を終えてヘルミーナは商品の試作品の残りを鞄に詰めていた。
手伝っていたゾフィーが瓶の中でたゆたう蜂蜜のラベルに指を滑らせて不思議そうにする。
「蜂蜜が花によってこんなに味が変わるとは知りませんでした」
「面白いですよね。付加価値にもなりますし。とにかく、自然な印象を、フェルベルクの瘴気に危険すぎないイメージを持っていただけたら。
王都での感触はまずまずだったので、領のアーテムからアンペル、王都への販路をつなげたいですね」
「種まきみたいなものですね」
「そうね、春のうちに種まきをしておかないと。これからがきっと本番」
ゲームで言うなれば序盤をようやく乗り切った、というところだろうか。油断はできないが『黒薔薇姫のシュトラーセ』では難易度の高低に関わらず序盤の動きが最も後に響いてくるので、ここを乗り切れば一息つけるという思いが強い。
生産力を増やして道に先行投資し、他の要素を底上げしていくのだ。
「せっかく良い紙が作れるのだから、出版にも力を入れたいわね。まだ高価だけど価格が下がれば領の書類に教科書、観光雑誌……」
机の上には他にも、せっかく王都に来たからと張り切って買い込んだ勉強用の本が山と積んである。
「ふふ、奥様は気が早いですね」
「これからはゾフィーや皆にも頑張ってもらうわね。領地にとって何が良いのか一緒に、ゆっくり考えましょう」
まだフェルベルクの領地で見て回っていないところは山ほどある。少しずつ視察をして、勉強して活かしたい。
(……でも、慎重にしなければ、陛下に何か疑われるかもしれない)
もし発想や行動が一介の男爵令嬢“らしくない”ものであれば何かの際にまた王城に呼ばれるかもしれない。
それに、父親だ。
女王陛下がフェルベルクに来るとなれば、確実に噂になる。
今後例の法案が通って法律上でも不利になれば普通なら手出ししないだろうが、別れ際に見た憎々しい表情では、引き下がるとは到底思えなかった。そしてもし、陛下が自分に興味を引かれた理由を何かしらのかたちで感づいたなら、もっと執着されるかもしれない。
もし、また襲われたら。
「……奥様?」
「いいえ、きっと――ゾフィーも、アロイスもエメリヒもいてくれるし。大丈夫」
呟きながら、ウィルヘルムに打ち明けていいものだろうか、とも思った。
天啓などと陛下が呼称したものだから、気になっているかもしれない。
隠し事はしたくなかった。いずれ敏い彼は気付いたかもしれないが、問い詰めたりしないひとだ。
だから自分から言うべきだろうけれど……。
ヘルミーナが半ばうわの空で荷物を詰めていたので、ゾフィーが残る瓶を布で巻きながら後を引き取った。
「とにかく今日はお疲れでしょう。少し早いですがお休みになっては」
「ありがとう、そうするわ」
帰宅時にお湯は使わせてもらっている。寝間着に着替えてベッドにごろんと転がるが、なかなか寝付けずゾフィーの作業をぼんやりと眺める。
そんな時扉からノックの音がして、遠慮がちな声が聞こえた。
「……ヘルミーナ様、起きていらっしゃいますか?」
隣の部屋でテオフィルと寝ているはずのウィルヘルムだった。
「はい。少々お待ちください」
咄嗟に動こうとするゾフィーに、目で自分が出ると告げてから、ヘルミーナは寝間着に上着をきっちり羽織ると、扉を細く開けた。
そこにはシャツにズボン、それにマスクだけというラフな姿のウィルヘルムが立っていた。
そして普段と変わらない調子で彼女を誘う。
「テオフィルが今用事で外出していまして、宜しければお茶でもいかがでしょうか」
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