第13話 フェルベルク領の勝利条件
領主の仕事は多忙で多岐にわたる。
珍しくブラウの屋敷に降りて来た領主を見つけて、執事や騎士たちがここぞとばかりに仕事を持ち込んでくるのでなおさらだった。
しかしそれらに対応しながらも、ウィルヘルムが時間のかかる屋敷の案内を自らしてくれたことにはヘルミーナも感謝していた。
それから、メモの許可をしてくれたことにも。
「随分熱心ですね」
修道院長に渡した必要なものリストの中には、まだまだ高価な紙と、鉛筆も入っていた。ヘルミーナは大よその屋敷の構造や仕組み、覚えておくべきポイントなどを図入りで書き連ねていく。
ホールや食堂、厨房、使用人の部屋、図書室、客室、ウィルヘルムがたまに寝泊まりする主寝室――そしてずっと空いたままになっていた前伯爵夫人の、ヘルミーナの部屋。
ここまであからさまにするつもりはなかったが、ウィルヘルムがすぐに山に戻ってしまうのならなりふり構っていられなかったのだ。
「貴重な機会ですから、忘れたくないのです。何事も情報収集から……」
そこまで言いかけて、従僕のテオフィルの視線が探るようなものに変化したのを感じ取り話題を変える。
「……あの、皆さんには私のことをどのように話されたのですか」
「結婚してくださった貴族の女性がいたことくらいですね。……ここにいるテオフィルや先ほどご紹介した執事、家政婦、あなたにつく侍女などの身近な者には本当のことを話しましたが」
急いでいたから事後報告になった、までは分かる。しかしそれでは納得していない者も、スパイか何かだと警戒する者もいるのは当然だろう。
ヘルミーナは夫である人の忠実な従者に向けて頭を下げた。
「私のような者を置いてくださって……皆さんに感謝しています」
「奥様、おやめください。貴婦人が使用人に頭を下げるなど――それもこれもウィルヘルム様が悪いんですから」
「テオフィル、言葉遣いが」
ヘルミーナは二人の関係が気安いものだろうと把握する。
注意されたテオフィルは従者らしく姿勢を正し真面目そうな表情を作った。
「……ええ、使用人一同、伯爵家に嫁いでくださる女性というだけで大変感謝申し上げている次第です」
「ですが、それはその……残念ながらその場しのぎです」
遠慮がちに、しかしきっぱりと話せば、二人は足を止めた。
何度か改築を繰り返したという館の広く取った窓から夕日が差し込んで、二人を、そして自分を染めているのをヘルミーナは見つめる。
……落日の色。
「私に仕事をさせていただけないでしょうか。
フェルベルク様が愛し合える奥様と出会うために、領地を盛り立てるために。
フェルベルク様が瘴気を気にせず暮らすために、ブラウの観光客を取り戻すために、山の瘴気の対策などをしたいのです」
「そこまでしていただかなくとも」
「式の後に私は全力を尽くすと誓いました。他領の厄介ごとを持ち込んでしまった自覚はありますから」
ですから、とヘルミーナは続ける。
ウィルヘルムが多忙であればとにかく、言いたいことは今のうちに全部言っておくしかない。
「まずは現況をできるだけ把握して方針を立てたいのです。後で図書室を利用する許可をいただこうとも思っていて」
ゲームであればマップに様々な情報が“ほぼ正確に”表示されるが、現実は違う。鳥観図も俯瞰視点もなく、各種生産量は表示されない。集計も報告も人の手だから不正確なデータが上がってくることもある。
この土地については知識がないも同然で、資源を開発した場合の、気候や不正や怠慢を含んだ大よその効果なんていうものも全く分からない。
この世界がゲームの主か従かは分からないが、関係があるならばゲームにおける最適解は情報収集からの方針決定だ。何せ、二週目以降は固定マップだけでなく資源の配置からマップ生成までランダムにして遊べたので。
「それは構いませんが」
「ありがとうございます。それから何より、フェルベルク領の勝利条件を――フェルベルク様のご希望を伺いたいと」
言って、ヘルミーナは喉を鳴らした。
今まで快も不快も見せず、真面目に屋敷を案内していたウィルヘルムの瞳がまた深い色を帯びた気がしたから。
「勝利条件とは一般的には領地の繁栄ですね」
「繁栄をお望みであれば。それからその方法、です」
『黒薔薇姫のシュトラーセ』の二週目では、ゲームの目的はまさに領地の繁栄である。ゲーム上では「長い繁栄と、人々の記憶に残る領地」と表現されたりもしたはずだ。
一言で表せば「領地の拡大」。だがゲーム上でそれを達成する方法は幾つもある。
土地だけではなく、税収や、生産物の量や、独自の文化やたまに聖教の宗派であったり広い意味の拡大。長く栄えるために他の領地を飲み込んだり、圧倒したりする。
「どのような繁栄の方法が望ましいか……たとえば人々に重税を課して金庫が潤っても、それが他の人から見て羨ましく思えても。望んでいなければ苦しいだけです」
ゲームでも、プレイヤーにはその遊ぶ領地とキャラクターの向き不向きは別として、好む勝利条件がある。
たとえゲームでも勝利のためにしたくもない圧政や戦闘・占領を嫌うプレイヤーは一定数いる。
「……そう、ですね」
「勿論、瘴気が嫌だからといっても山から樹を全て伐採してしまう、なんてことは不可能でしょう。ですが可能な限り繁栄とフェルベルク様のご意向が一致する方法を探したいのです……理想論かもしれませんが」
でなければ家の繁栄のために家族を犠牲にし続けてきた父親と一緒になってしまうと思う。
ヘルミーナの言葉も視線もあまりに真っすぐだったせいだろうか。
彼女を見つめて押し黙ったウィルヘルムに、テオフィルがしびれを切らしたのかごほん、と咳払いをした。
「ウィルヘルム様」
「あ、ああ……そうですね。ええと……屋敷の中はこんなところですね。外の井戸小屋、厩舎や倉庫などは後日他の者に案内させます。中庭は訓練場や畑に使っているくらいですが、庭師に言って自由にしていただいて構いません」
「ウィルヘルム様! ……分かりました、夕食の準備を確認してまいりますので、どうぞ」
テオフィルが呆れ顔のまま廊下を去っていってしまってから、ウィルヘルムは視線を床に彷徨わせた。
どれくらい経っただろうか。
口を開こうとして閉じてはいる彼に、ヘルミーナは威圧感を与えないようにと視線を中庭に移した。
「フェルベルク様は、この館のことがお好きだとお見受けしました」
「……そう思いますか」
「はい。とてもお詳しかったですから。隠し通路や入り口のレリーフ、教会と通じるモチーフの木の葉の種類まで、きっと幼少期はここで楽しく過ごされたのだと思いました」
二階の窓からは中庭で訓練する兵士たちや、働いている職人の姿が見える。鎧を打つ鍛冶職人、家畜を追う者、洗濯を取り込む者、庭師。皆生き生きとしていて、会話があって、ひとつの城を皆で守っている。
「お城でお会いした方々もフェルベルク様にとても好意的で、笑顔で……実家にいたときとはまるで違っていて。
であれば、やはり。私はフェルベルク様と皆さんがここに健康で過ごせるように、瘴気を減らすことを目標とします。……お嫌ですか」
「いいえ」
視線を戻せばウィルヘルムは緩く首を振って、気まずそうに漏らした。
「確かに自分だけでなく皆のことも考えれば優先順位は高いのですが、日々の仕事に追われ……瘴気については不明な点も多く」
「人手が足りないのであれば私が調べてみます。それに雑事も振ってください。お使いとか、書類の整理とか、洗濯でも何でも。信用いただけるよう励みます」
この時ヘルミーナが思い浮かべた“励む”映像の中には、実は前世の望みでもあった杉が切り倒される過激な映像も混じっていたのだが、それに本人すら気付くことはなかった。
ウィルヘルムは深い色の瞳のまま目を伏せる。
「あなたはどうして、そこまでなさるのですか? 館と領地にゆっくり慣れていただければそれで十分なのですが」
「……それは」
ヘルミーナは咄嗟に返事ができない。
前世の記憶という荒唐無稽な話も、彼の役に立ちたいという気持ちがあることも、そのまま受け取ってはもらえないだろうと思った。
「わたしは何もするなとか、お飾りでいろとか……用が済んだから放り出すとか、そういうことをするつもりはないのですが……」
「……あ」
絞り出すような声に、ヘルミーナの唇から小さく声が漏れる。
何も動機を明かさなければ、信用していないと取られてもおかしくなかったということに気付いて。それもあながち間違いでもない。
でも、悟られてはいけない。
沈黙が怖い。
ヘルミーナは口を無理やり動かす。
「それは……実家で学べることが少なかったので、離縁後一人で暮らすためにも、様々なことを身に着けておきたいのです」
嘘をついてしまえば良かったのかもしれない。けれど咄嗟に考えた下手な嘘はいずれバレるだけ。
だからヘルミーナは全くの嘘ではない動機を自分の中に探してそれを告げた。
「そうですか、確かにそうですね」
「ですからこれは私のためでもあるのです」
嘘ではない。
ウィルヘルムの黒髪を心臓を宥めながら見つめていると、彼はゆっくりと顔を上げて――視線が合った。
感情が読みにくい凪いだ表情の中で、瞳の色が先ほどよりも明るくなった気がして、ヘルミーナは内心でほっと息を吐く。
「分かりました、お好きにしていただいて構いません」
「ありがとうございます。次はどちらに参りますか?」
「夕食まで間があるので、自室でお休みください。部屋の中のご案内がまだでしたので」
廊下を戻りながら、ヘルミーナはおそらくウィルヘルムが望んでいる勝利条件が現在の延長であり内政の成功――フェルベルクの存続であることを思い、窓の外に再度目をやった。
中庭、城壁、外に広がるブラウ湖と修道院と家々と。煙突から流れる夕食の準備の煙とを。
煙の消えゆく先は山から吹きつけてくる灰のような粉と混じって判別がつかない。
それは瘴気漂う、王都にとっては忌む、住民にとっては忌々しくもあろう景色のはずなのに、何故か胸を締め付ける。
郷愁のせいかもしれない、とヘルミーナは捨ててきたツヴァイク領を思い出していた。
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