第22話 花の祭り

 翌朝、領主用の食堂は久しぶりに伯爵夫妻の二人に使われることになった。

 食卓の花瓶だけでなくハーブや食用の花で飾られた料理は、心なしか料理人の喜びが伝わってくるようだった。


 食卓での会話の内容は今日の花祭りの予定の確認で、つまりは仕事の打ち合わせだったが、それでもヘルミーナは誰かと囲む食卓というだけでも嬉しかった。

 それに初めて街に出るせいなのか、口元が緩んでしまいそうになる。外出許可が出てから結局行けたのは修道院だけだったから、今日が本格的な外出としては初めてだ。


 食事を終えて街の有力者の名前や年齢、職業経歴などをそらんじている合間にゾフィーが着つけてくれたドレスは、久しぶりに腰の締まったデザイン。

 ブラウ湖の青色に馴染み、かつ淑女らしい――悪目立ちせず、あくまで良妻ですよと主張する青がAラインに広がるデザインで、首元の詰まったかっちりしたものだ。

 宝石はごく控えめに胸元のネックレスだけで、それも中央に連ねた小さなダイヤだけだ。さほど高価でないけれど、動くと波紋にきらめく水を連想させる。

 髪は軽く編み込んでからまとめて花を付け、パレードが始まったらこの上に仮装の被り物をする予定だ。


 出発の時間に玄関ホールに行けば、先に準備を終えたウィルヘルムが待っていた。

 目が合えば、互いに目を少し見開く。 


 領主らしい貴族の、金糸の縫い取りがあるジャケットの上下に身を包んだウィルヘルムは、顔には朝食時と同じく黒い布をくるくる巻いてあったが、流石にそれでは目立つと思ったのかダークグリーンのつば広の帽子を被っている。鷹のものらしき羽根飾りが視線を集めるせいか顔は目立たない。

 ヘルミーナがお似合いですと声をかけようとした矢先にウィルヘルムが口を開く。


「ブラウの色ですね」

「はい。皆さんに悪い印象を持たれたくはなくて。……ラーレさんにも相談して選びましたので、おかしいところはないかと思いますが」

「……大丈夫ですよ」


 ウィルヘルムの答えが不満だったのか、側で同じくらい華やかに装ったテオフィルが、「良くお似合いです」と付け加えてもの言いたげな目で主を見る。

 ウィルヘルムは無言のまま腕を差し出し、ヘルミーナは“夫婦らしく”手を添えると、テオフィルとゾフィーと共に伯爵家の紋章付きの――青を背景に、大樹と鷹が描かれている――馬車に乗った。

 これに万一に備えて騎士たちも同行するのだから、大人数だ。


 街に近づけば、お祭りの華やかでどこか甘い空気感が漂ってきた。

 道端の草木が色とりどりの花を咲かせる中で、あちらこちらの建物に鮮やかな黄色やピンク、白や青が窓やドアを飾り、カラフルなテントの屋台の天幕に、髪に、服に、花々を飾った人々がいる。

 薔薇にクロッカス、ラベンダー。八重咲き、カップ咲き、小さいものに大きいもの。

 身に着けている花々はそれぞれ髪色や服に合わせたり本人の雰囲気に合わせたりしている。たまに大きいものを付けているかと思えば隣に誇らしげに歩いている恋人がいたり。


 ヘルミーナが馬車の外を熱心に見ていると、ふと向かいに座るウィルヘルムが彼女の髪に咲く丸い花に目を止めた。


「……そういえば、そちらは先日のフレナグの花ですね」

「はい、ドライフラワーにしたら長持ちするとラーレさんに教えていただきました」


 ウィルヘルムが初めてくれた素朴な花束から作った、小さなドライフラワーのブーケが側頭部を控えめに飾っている。色は様々あったが、服に合わせて白を選んだ。


「このために贈られたものでないのは承知しておりますが……」

「……いえ、気になさらないでください」


 戸惑ったように返事があり、あとは沈黙が落ちる。

 二人がどう言葉を選べばいいのか逡巡しているのは明らかで、


「ご覧ください奥様、あれは焼き魚の屋台ですよ。岩塩をかけて焼いただけなのですが、とても香ばしくて美味しいのです」


 テオフィルがまた眉をひそめたためもあってか、とりなすように隣のゾフィーが車窓の景色から食べ物や習俗について解説してくれたので、ヘルミーナはもっぱら彼女との会話を楽しむことにした。

 馬車を降りてパレードの会場に着けば、領主の新妻という役割を全うしなければならない。その際には会話の材料になるだろう。

 あれは何、と尋ねていると、向かいから遠慮がちな声がかかる。


「せっかくの機会ですから、馬車を降りてご案内しましょうか? 町長への挨拶まで時間がありますから」

「……今日は、体調はいかがですか」


 願ってもない申し出だが、瘴気に晒される時間が伸びることを心配してヘルミーナが問えば、問題なさそうだと返ってきたので、ありがたく受けることにした。

 馬車を適当な場所で止めて降りれば、二人の後ろをテオフィルとゾフィーが数歩離れて付いてくる。騎士たちはその周りだ。


 ウィルヘルムは言葉通り、自ら街を案内してくれた。

 湖の側の道を歩きながら、主要な通りと宿や店、橋の名前などを教えてくれる。中には影踏み橋や鷹の巣通りなど、本来の名前が分からなくなってしまった場所もあるという。


「あちらの屋台の小さなお花は何でしょうか? 瓶に入った可愛らしい……」

「右のものが砂糖漬けの花で、こちらが花を模った砂糖菓子ですね」

「王都では見ない花を模ったものも多いのですね」

「この地の聖人がたが人々を癒されたという植物は今でも人気がありますね。単に伝説という訳ではなく、今でも薬として親しまれていますから」


 この地の、と付けたのはおそらく聖教のおおもとからは認められていないからなのだろう。


 そうやって街を見て回り徐々に中心部に近づいていけば、パレードの集合場所である役所の立派な時計塔前に集った、町長や名士と呼ばれる人々に会うことになる。


「お初にお目にかかります、ヘルミーナ・フェルベルクと申します」


 王都での振る舞いを思い起こして挨拶をすれば皆丁重に扱ってくれたのは、ウィルヘルムの領主としての人望のおかげだろう。

 彼と要人とが話している内容をなるべく理解しようと頭にとどめつつ、微笑していれば印象は悪くなかったようだ。「これでフェルベルク領も安泰ですな」などとと言われた時には、騙しているようで申し訳なさを感じたが。


(被り物を持ってきたのは正解だったかもしれないわ。今後去ることを考えれば、皆の印象に残らない方が良いのだから)



 やがて時計が10時の鐘を鳴らすと、パレードが始まった。

 男女ともに民族衣装を着た人々が列をなして石畳の道をゆっくりと歩いていく。笛や楽器を奏でる人、歌う人、手に花を持って踊ったり手を振る人。一応合奏は予行演習がされているが、それ以外の人々は思い思いに集まっては離れて気ままに歩くのがここの習わしだそうだ。

 ヘルミーナとウィルヘルムは列の中ほどで、屋根のない馬車に乗せられて領民たちに手を振る役目だ。

 今回は春の花々の種を撒いたという鷹にあやかって、その頭部を被っているので注目を浴びても少し気楽だった。


「なかなか良い出来だと思うのですが」


 ウィルヘルムにだけ聞こえる声で自画自賛してみる。

 軽い木枠に紙を張り合わせて、その上から紙で一枚一枚作った鷹の羽根を重ねて貼った。くちばしを頭の上に帽子のつばのように出っ張らせ、その下に人間の目の部分を開けているので視界は確保できている。

 実際に鷹を見た甲斐があって特に羽根の色合いと鋏の入れ方に凝れたので、本物らしくできていて満足だ。


「……ありがとうございます。これですと顔色を悟られずに楽です。薄紙もありがとうございます」


 他に特筆すべき部分があるなら、羽根が肩まで広がっており、手がそっと被り物の中に入っても目立たないところだ。

 執事を通して騎士団に届けてもらった例の瘴気のピケアのサンプル。これはひとつは樹の使い道を考えるためだった。

 樹皮はぼろぼろだったが繊維は残っていたので――質の悪い紙しか作れないが、逆にこれを鼻をかむための使い捨てに、と試しに作ってもらったのだ。

 花粉症にティッシュは生命線だと前世が言っていたから。


「欠点としては、私からウィルヘルム様のお体の様子もあまり見えなくなってしまうのは心配です。今までのパレードはどうされていたのですか」

「瘴気症は年によって症状の出方が多少違います。目が痒い時もあれば、喉が痛い、お腹を壊すなど。今年は微熱が主なので楽な方です。酷い時には鼻づまりで眠れませんから」

「……分かります」

「それよりというのも失礼でしょうか、この伝承の鷹が番だと知ってこちらにしたのですか?」


 鷹のくちばしの下で目が合った、気がする。ヘルミーナは気恥ずかしくて俯こうとしてしまった。


「え? ……申し訳ありません、あの、そこまでは知らず。ただ村で見たブラウノスリが印象的で素敵でしたので」


 そういえばこの被り物をした時、偉い人がいやににこやかだったなと振り返る。


「そうですか……ああ、ここから見えるもので何か質問があれば尋ねてください。聞きたいことが山ほどあるのではないですか」


 泉の館クヴェレに到着した当初のことを思い出したヘルミーナは、だがもう恥じるより開き直ることにした。


「子供のころは良く街中に?」

「王都に子供が行く機会などなかなかありませんから。ここが庭のようなものでした。それから瘴気のために社交はアーテムの屋敷でしていたので、そちらにも度々」


 庭のようなという表現に、ヘルミーナの脳裏に走り回る幼い頃のウィルヘルムの姿が浮かび上がる。子供の頃は、顔を布でぐるぐる巻きにしていたのだろうか。


「テオフィルとよく遊んでいましたね。右手に見える枝がアーチになった路地でクラッセンを撒いて後で怒られたり、買い食いをしたり……ラーナ村で見たあのコリスの実のクッキーや、あちらの角の腸詰めヴルストのお店も店頭で焼きたてを出してくれますよ」


 声に笑みが混じるのは、よほど楽しかった思い出なのだろうか――何となく自身と比べてしまって、そしてそこに自分がいなかったことが残念に思えてしまう。


「うらやましいです」

「あなたは領地では何を?」

「領地ではあまり外出できませんでした……母に風邪など持ち込むと良くないと。

 ですので刺繍や編み物、チェスなどのボードゲーム……それに森でハーブやベリーを摘んだり、育てたりしていました。こちらより温暖でしたからもっと葉が茂っているような森で、迷子になってしまったり」

「祖父母より前の時代には、ここも今より広葉樹が多かったそうです。フェルベルク家は元々国王の森を管理する森林官の家系で、ブラウ周辺の山を代々管理していた中で魔物との戦いの際に功を立て、叙爵されたそうです」


 とはいえ実質この山の管理が、仕事の中心であるのは変わらないとウィルヘルムは続けた。だからか後継がいなければ早めに別の人間に爵位を譲るよう王家が――前王は要求していたという。


「当時大変な戦いがあったそうで、石より早く加工できて軽い木材を、砦や城の建築、壊れた建物の修復、それに燃料用に大量に伐採したようです。そして広葉樹の生えていた場所にも、成長が早く真っすぐ伸びるために扱いやすいピケアを植えたそうです」


 話している合間にも、ウィルヘルムは歓声に応えて手を振っている。


「伯爵様ー! 奥様ー!」

「素敵ですね! 来年も仮装してくださいね!」


 たまに「お顔を見せてください」なんて声もヘルミーナに向かって投げられ、彼女もまた、手を小さく上品に見えるように振った。

 お祭りだからかもしれないが、笑顔の領民たちは素直で、素朴で、優しい人たちに見えた。王城のパーティーよりも注目されているのに、思ったほど緊張しない。

 むしろどきどきと、わくわくが伝染してしまったようで、馬車からの景色がきらきらして見える。


「ヘルミーナ様、パレードが終わったら皆解散して遊びに出るのですが、どこか行きたいところはありますか?」

「……どこでも宜しいのですか?」

「ええ。あ、視察以外でお願いします」


 ふいに尋ねられて少しずつ胸が高鳴る。行ってみたいところは山ほどあるけれど、ひとつだけ選ぶなら――、


「それでは、ブラウ湖に行ってみたいです」

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