医務室の女たち (保健師 安積佑子)

 そろそろ来てもおかしくはない頃だと佑子ゆうこが思っていたら、案の定、東瀬麻美あずせ まみが休息をとりに医務室へやって来た。

 週に四回も講義を休んだりして大丈夫かと心配になるが、どうやら適当に講義を選んで休息しているようだった。同じ講義を何度も欠席しないよう心がけているらしい。そのことは相談員の美幌愛みほろあいを通して知らされた。しかしどの講義も全体の三分の二以上は出席することが必要なので、気をつけないと規定に引っかかる可能性があるという話だった。

「その後、Nさんから何か連絡はないの?」

 佑子は優しく訊いた。

「ありません」

 彼女は小さな声で答えた。なるべく忘れていたかったようで、蒸し返すように訊いてくる佑子を少し非難の目で見上げた。

 今日は輪島五月わじまさつきもいないし、休みに来たという理由だけで美幌愛を呼ぶわけにもいかなかったから、それ以上話を進めることもなく、佑子は麻美まみをベッドへ案内した。

「今から一時間ね」

 四限目に入って一時間を少し過ぎた頃まで麻美は休むことができるというわけだった。そのあと麻美は五限目がない日は人の少ないキャンパスを駅へ向かって歩いていけるのだ。なるべく人と接する機会を減らそうという意思が垣間見えるような気がした。

 五月も終わりを迎えようという時期で、最近ようやく大学内も落ち着いてきていると佑子は実感していた。こうして東瀬麻美が来ることはあっても、他の学生の訪室回数は明らかに減っている。せいぜいが季節外れの風邪にかかった学生が内科の校医の診察を受けに来る程度だった。あとは春の検診で異常を認めた学生を呼び出して何らかの指導を校医が行っているが、それも今日のように校医不在の日は休業状態だった。

 少し暇になると机を並べている藤田沙希ふじた さきと話をするのだが、それも麻美が休んでいるような状況ではせいぜいひそひそと内緒話の形でするしかなかった。

「そういえば美幌さんの調子はどうなんでしょうね?」

 沙希が囁いた。東瀬麻美の顔を見て美幌愛を思い出したのだろう。

 確かに美幌愛も春から調子が良いとはいえなかった。いやもともと彼女は几帳面で真面目な性格が災いしてか、鬱傾向で自律神経失調症で、よく輪島五月の世話にもなっていて、本来はカウンセラーをするというより、彼女自身がカウンセリングを受けてもおかしくない女性だった。

 しかしそれでもこの相談業務をしているのは、かつて自分も相談員の世話になって生きていく意志を強く持たされたからだという話だった。

 病弱だったこどもが病院のスタッフにお世話になり、その活躍する様子を見て憧れるうち、自分も医療関係者を目指すというのと同じようなものなのかもしれないが、彼女のようなキャラでは少し無理があるのではあるまいかと佑子は常々思っていた。

 特に彼女は男性と接するのがうまくない。もちろん男子学生は基本的には菅谷すがやが担当し、美幌愛は女子学生を担当するという振り分けがなされているのではあるが、どちらかが不在の時はやむなく異性の学生を相手にすることを余儀なくさせられる。そうした際の彼女の緊張は並大抵なものではなかった。

 先日も菅谷が不在の時に問題を抱えている男子学生の母親から連絡があり、クレームのようなものを突きつけられ、挙句の果てはその男子学生と面談する羽目になって、かなりげっそりとした顔になってしまっていた。こうしたことが続くと彼女の健康上良くないことが起こるのではないかと佑子は心配しているのである。

 そういう意味で美幌愛と東瀬麻美には共通するところがたくさんあるように思われた。だからこそ麻美のカウンセリングを美幌愛が行うのは妥当という考え方もできるが、何だか同じタイプの人間が寄り添って慰めあっているようにも見えて、佑子はこれで大丈夫なのかと思うこともある。だから近いうちに、美幌愛の数少ない友人である米家聖子よねいえ せいこと連絡をとって、彼女の様子を訊ねてみようかと佑子は考えていた。

 米家聖子は、それこそ学内の教職員及び学生たちの間で知らないものはいないというくらい目立つ美貌の持ち主で、しかも常に男性の目を惹き付ける雰囲気を纏っていた。ときどきそれは意識的になされているのではないかとさえ思うことがある。

 先日の降旗ふるはた医師が勤務の日にはわざとらしく体調不良を訴えて診察を受けに来たというエピソードが典型のような気がした。

 今まで男性医師が勤務の日に診察を受けに来たことはなかったのだ。それが少し女性にもてそうな外見の医師が新たにやって来るという噂を耳にすると、それを確かめるかのように姿を現すという行為に及んでしまう。何だかミーハーなところもあって、佑子は今ひとつ彼女を信用してはいなかった。しかしその彼女が美幌愛とうまく交流しているというのだから不思議だ。

 お互いに自分にないものを相手に求めてつきあっているというのだろうか。それならここにいる藤田沙希にも美幌愛と友人になれる資格があっても良さそうなものなのにと佑子は思うのだった。

「私の顔、変ですか?」

 少し沙希の顔を見すぎたために、彼女は怪訝そうに佑子に訊いた。マイペースなように見えて、意外に人の視線を気にするところがある。この子もまだ正体を現していないなと佑子は思った。

「何でもないの。ちょっとぼうっとしていただけよ」

 そう誤魔化したら沙希はすっかり安心したようになった。

「目の周りが濃すぎると兄に言われたもので気にしているんですよ」

 沙希は化粧のことを気に掛けているだけらしい。

「あら、お兄さん、いるの?」

「え、ええ、まあ」

 突然沙希は誤魔化すのに苦労するといった表情になった。ただ単に訊いただけなのにと佑子は思ったが、兄ではなくて彼氏ではないのかと想像すると、何てこともない話だと思われたのだった。別に隠す必要もなかろうと佑子は思った。

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