別れと出会い (環境工学科三年 西沢春樹)
あのホテルで翌朝目を覚ましたとき、
「昨日は楽しかった」という簡単なメモのみが残され、遥佳の姿はおろか彼女がいたという形跡すら一切残っていなかった。
バスローブは丁寧にたたまれ、そこに遥佳の匂いはほのかにすら残っておらず、彼女が使ったと思われるベッドもきちんとシーツの
連休がおわり、大学の講義が再開されてからさらに遥佳は遠い存在になった。
もうあの目と目があった時のふたりだけの合図が交わされることもなく、かといって気まずく目を逸らすこともなく、他の誰かがいるところで二人が出くわしても以前と全く変わらない言葉の掛け合いがなされたことが、かえって二人の間が遠のいたことを物語っているようだった。
それに対して春樹は何の対処もできなかった。
すべては自分が悪いのだ。だからもう一度やり直そうと遥佳にいうことも出来ず、ただ流れに身を任せ、春樹はもとの学生生活に戻った。
しかしそれでも遥佳の姿をじっと見ることができるわけもなく、二人になる機会は作りたくなかったし、他の誰かがいるところで遥佳と口を利くこともだんだんと苦痛になっていったので、春樹はやがて他のみなとも距離を置くようになって行った。
そうすることで遥佳とだけ離れていくのではない自分を演出することができたのだ。
いつしか春樹はひとりで行動するようになった。下校時に他の誰かと電車に乗り合わせることを避けるため、駅近くのショッピングモールをうろついてから帰る習慣ができてしまった。
どこといって行くあてはない。本屋を回ったり、電化製品を見て回ったりして時間を潰すのだった。
そうして一週間が過ぎようとした頃、季節はすでに五月下旬になっていた時、春樹はいつも通り何気なく家電を見て回っていたら
「あれえ、
「どうしたのお? こんなところで、しかも、ひとりで?」
「君こそ、ひとりで何やっているんだ?」
自分のことを答えたくない春樹は、反射的に穂乃果に問いかけていた。
「私? テレビを見に来たの」
「テレビ? 君、いつもここでテレビを
変に誤解してしまった春樹を穂乃果は訂正した。
「違うわよ、テレビを
穂乃果の言葉に反応して、近くにいた店員が聞き耳をたて、いつでも声がかけられる位置に移動するのを春樹は認めた。
「こんな店で買ってどうするんだ?」
「だって、ここならすぐに持って帰れるからよ」
「え、君の家、このあたりだっけ?」
以前電車で穂乃果と乗り合わせたことがあったから、彼女が東京方面に住んでいると春樹は思っていたのだ。
「ゴールデンウィークに引っ越したのよ。ほら最近実験とかで帰りが遅くなるでしょう? 家まで二時間近くかかるのよ。で、いっそのこと大学から徒歩圏内に引っ越しちゃえってね。決めたらすぐ動くのが私の性分なの」
「それはまた、思い切ったことをしたね」
改めて穂乃果の様子を見た。確かに大学からの帰りがけというより近所に買い物に出たという格好だ。ポロシャツ、デニムスカート、黒レギンス。そしてサンダル。ボブとセミロングの間くらいの髪は流したまま。こういうスタイルの穂乃果は見たことがなかった。
「ね、ちょっと選ぶの手伝ってよ」
そう言って穂乃果はころころ笑った。ゲラの本領発揮というべきだろうか。
「あ、いいよ、どうせ暇だから」
「暇だからって、失礼な言い方ね。でもいいや。ちょっとこっちに来てくれる?」
穂乃果に引っ張られる形で春樹はテレビのコーナーに移動した。
穂乃果の相談は単純なもので、十九インチと二十二インチとで迷っているということだった。ちなみに十九インチは三万八千円、二十二インチは五万弱するということで、たった三インチの差が一万円以上にもなるようだった。
「これっておかしくない?」
穂乃果はひたすら売値の妥当性に言及する。
「たぶん、十九インチがパーソナルには手ごろでよく売れるんだろ。二十二インチが中途半端なんじゃないか? 中くらいのが好きな人は三十インチ以上を買うんだろうな」
春樹は適当なことを言って納得させようとしていた。
「でもね、私としては二十二の方が良いのよね」
「予算は?」
「一応、持っているの」
店員がさらに近づこうとしている。
「なら、いいんじゃない?」
「でも、この額が納得いかないの」
「店員と交渉したらいいじゃないか」
「そうね」
穂乃果はすっかり近くまで接近していた店員を振り返り、安くならないか交渉を始めた。
こういう時女というのは強いものだと春樹は思った。確かに負けてもらえばと言ったのは自分だが、それを実行に移すところがすごい。
しぶとく交渉した挙句、三千円も値引きさせた上にケーブルまでセットさせることに穂乃果は成功した。
「それ、歩いて持って帰るのか?」
大きな箱を両手で抱えた穂乃果を見て、春樹は訊いた。
「駐車場に車を停めているから」
「え、車で来ているの?」
「うん」
どうやら穂乃果はワンルームマンションに軽自動車持ちの生活を始めたらしい。結構なご身分だと春樹は思った。
「あら、車に載せるの手伝ってくれるのお?」
知らないうちに穂乃果のペースに巻き込まれ、いつの間にか手伝わされていた。
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