熊男との対話 (環境工学科二年 長瀬和也)
しかし当初の思惑通りには街の開発は進んでいない。思ったほど人口の増加は見られなかった。駅の周辺はあちこち未開発の土地が残り、雑木林のままであったり、更地にしたものの雑草が生い茂って人が踏み込むのも気後れするくらいの荒地になっているところもある。
京葉工科大学はそうした森や荒地に接するところに構えていた。敷地内にクヌギやコナラの雑木林が残存するし、フェンスの外はまだ広い林が残っているところもある。
フェンスにはところどころ人が出入りできるよう意識的に開けられた箇所があり、おそらくは大学敷地内を通った方が駅へのショートカットになる場所に住んでいる住民が利用している節があった。
それはときおりキャンパス内を散歩したり通過したりする地元の人間の姿を見ることによって確かだと思われるのだった。たまに下校途中と思われる小学生の姿もあった。
その日、長瀬は野尻に
「これだけ手紙やメールを使ってみたけど、彼女の反応は良くない。もう送ってこないで欲しいと言っているし、この際きっぱりと彼女のことは諦めた方が良いんじゃないか?」
さすがに野尻も最初から期待していたわけではなかろう。長瀬に言われても野尻は黙ったまま下を向いていた。
「俺は事情があって医務室へ毎週顔を出しているけれど、そこでよく彼女を見かけるよ」
長瀬がそう言うと、野尻は顔を上げた。そして興味深そうにじっと長瀬の目を見入った。
「どうも彼女はこの大学に来てから体調を崩しているようだ。なかなか人とコミュニケーションもとれないようだし。だからこそよく一人で歩いているんだろうけどな。そういう意味では俺やお前と同類とも言えるな」
長瀬は決して人と話ができないわけではないが、人に避けられているからひとりになってしまう。しかしそういう事情を野尻に理解させるのは難しいようだと考え、彼は敢えてそのあたりのことは口にしなかった。
「特に男性と話をするのが苦手だと俺は思うね。そういう彼女が誰か男と話をすることができるだろうか。Nという見も知らない人間であってもなくても、お前であっても、俺であっても、誰に対しても彼女は心を開かないだろうな。だから無理なんだよ。もう諦めな」
野尻は再び下を向く。それは半分は理解できても、あとの半分は納得できないという態度に見えた。
「わかっちゃいるけど、やめられない、って顔しているな」
長瀬は呆れるように言った。
おそらく長瀬に言われるまでもなく、野尻もその程度のことは理解していたに違いない。しかし彼女のあとを追うという行動だけはどうしてもやめられないようだった。それはまるでたとえ付き合えなくても、彼女の傍にいて彼女のことを見つめていたいという思いだけが野尻を動かしているようにも思われた。
「仕様がないなあ。じゃあ、いっそのこと彼女自身の口から、嫌いとか目の前に現れないで、とか言われた方が諦めがつくのかなあ」
野尻は覚悟を決めたかのように長瀬の顔を見た。
(おいおい、そんな目で見るなよ)
長瀬は、野尻がはっきりと拒絶されたくらいで今の行動をやめるとは思えなかったが、野尻自身の顔は最後に東瀬麻美の意思を自分で確かめたいと言っているようだった。
「そこまで決意しているのなら、一度彼女に面と向かって告白してみるか?」
勿論それは野尻に諦めを促すための手段に過ぎない。東瀬麻美が野尻を受け入れるとは到底思えなかった。むしろそんなことをしたら彼女はどういう反応を示すだろうと長瀬はあれこれと想像した。
「よし、では、お前は自分の口からは告白できないだろうから、また手紙の形にした告白文を俺が書いてやるよ。それを彼女に直接渡すんだ。それならできるだろう?」
野尻は頷いたが、その目には何か依願するような光が宿っていた。
「まさか、それにも俺に付き合えと言っているんじゃないだろうな?」
しかし野尻はそうだと肯く。とことん世話のやける奴だと長瀬は思った。
「わかったよ、こうなったら最後までお前につきあってやるよ」
長瀬は覚悟を決めた。
「段取りを決めないとな」
そう言って、長瀬は野尻に告白計画に協力することを約束し、その図面をいろいろと練り始めた。
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