次にうつ手 (環境工学科二年 長瀬和也)
毎週月曜日に
面談とはいってもこの一週間の行動や様子を輪島五月に伝えるだけの簡単なもので、それを聞いて輪島五月はふうんと満足そうな顔をするだけなのだ。
いい加減飽きてくると長瀬は感じていたが、この面談を続けることが復学の条件のように決められていたので、やむを得ずしているのだった。
医務室を訪れると、奥の診察室の扉が開いていて、何やら複数の話し声が聞こえたが、長瀬が医務室のドアを閉めると、慌てて
「ごめんなさいね、今、別の子の面談を行っていたの」
そういうことは別に珍しくも何ともなかったので、長瀬はソファに坐って待たせてもらおうとしたら、医務室の方から
何だ彼女の面談だったのかと長瀬はあっさりと見逃しかかったが、そのまま彼女らが別の相談室へ姿を消したので、これは何やら訳ありだと察知したのだった。
(さては、彼女が手紙の件を相談員に相談したな)
長瀬はそう睨んだ。東瀬麻美が体調不良で医務室をよく利用しているのは知っている。しかし今日ほどスタッフが取り巻いていることは珍しい。大抵医務室の看護師ひとりで対応できるはずだ。ということは何らかの相談を麻美が行ったと見るのが妥当だろう。
(予想通りではあるが、やっぱり今ひとつ面白みに欠けるなあ)
これは
(さて、どうしようかなあ)
思案していると、いつになく待たされることもなく、長瀬は輪島五月に呼ばれた。
いつものように診察室のドアが開け放たれ、話の内容は医務室にいる看護師たちに筒抜けのようになっている。慣れればたいしたことはないが初めての学生なら少し抵抗を覚えるだろう。
「まずはいつものようにこの一週間の様子を聞かせてください」
輪島五月が早速面談を始めたので、長瀬もいつものように答えた。特に目新しい体験はない。日常業務を淡々とこなしているという感じで、この一週間を振り返った。もちろんその中に野尻大地との交流は出てこない。彼のことは完全に秘密裡においていた。
ほとんど新しいイベントがないので長瀬の話は盛り上がりが欠けたまま終末を迎えた。
それに対して輪島五月は何の感動も見せず、いつも通りであったことをさも当然という顔で聞き終えた。
きっとイベントがない方が望ましいのだと長瀬は改めて思い知らされた。
そうなるとますます野尻大地を主人公にした物語を紡ぎ出したいという欲求が湧き起こってくる。これまで密かに彼をクリスチャン、東瀬麻美をロクサーヌ、そしてわが身をシラノに見立ててシナリオを描き、自己満足に浸っていたが、この創作物にも何らかの現実的な結末を描いてみたいと思うようになった。
ロクサーヌは最後にラブレターの書き手がシラノであることに気づくわけだが、この物語でも最後にはラブレターの書き手が長瀬であることを東瀬麻美に気づいてもらいたいと長瀬は考えるようになった。
一旦は野尻大地が手紙の送り主と思わせ、どんでん返しで長瀬が書いていたと知らしめる、そういう結末なら面白いだろう。その時麻美はどのような態度をとるだろうか。考えただけでも長瀬はわくわくしてくるのだった。
「毎日規則正しい生活で、慣れてくると刺激がなくなってつまらなくなったりするものだけれど、長瀬君は何だか楽しそうね」
輪島五月にそう指摘されて、長瀬は口が語るのとは別に内心でさまざまな思惑に耽っていたことを思い出し、顔に緊張を蘇らせた。
「先生とお話するのが楽しいからですよ」
「そう?」と輪島五月は一旦目を逸らしてから「では、また来週ね」とヒアリングを打ち切った。
何か見破られたかと長瀬はひやひやしたが、輪島五月はいつも通り安積佑子を呼び、それで長瀬はお払い箱のような形となった。
診察コーナーを出てソファのあたりで立ち止まると、いつものように輪島五月が手を洗いに行く。その細い後姿を漫然と見ながら透視するかのように体のラインをあれこれと想像していたところ、安積看護師が声をかけてきた。
「この間、建築学科の一年生の女の子のあとを追う学生を見たって言ったわよね?」
「はあ、そんなこともありましたっけ?」
「どんな学生だったか、はっきりと覚えている?」
「百八十超、百キロ超の
前回は野尻のことをそう表現したはずだと長瀬は思い出した。あの頃は野尻を利用して何か行動しようとは全く考えなかったから、尾行者がいるなどといった余計なことを医務室のスタッフに喋ってしまったのだった。
「やっぱり、そうなの」
落胆する安積看護師の様子から、東瀬麻美はラブレターについて相談しに来たのではなく、尾行者について相談しに来たのかもしれないとも思えるようになった。あるいは両方が同じ人物だと思っているのかもしれない。その通りなのだがと長瀬は思った。
「今度そいつを見つけたら、女の子のお尻を追い回さないように言ってやりましょうか?」
長瀬は軽い調子で言った。すでにそれについては野尻に忠告済みだ。東瀬麻美のあとを追うよりラブレターを書こうと提案したのは長瀬の方だった。
「いいの、そんなことしなくて」と安積看護師は大きく手を振った。間違っても長瀬には関わりを持たせたくないという様子だった。それほど自分は問題児でもあるのだと長瀬は認識した。
菅谷相談員の冷やかしも受けぬまま、その日の長瀬に対する面談は終了した。
呆気ないくらいの扱いに長瀬は拍子抜けし、今や自分は問題児ではあるものの、落ち着いているがためにそれほど重視されていないのだということがわかった。
昨年は煩わしいくらい菅谷や輪島五月の追及があったのに今年は通り一遍の話を聞いて終わりだ。菅谷にいたっては今日は姿すら見せない。
そうなるとへそ曲がりの性格を自認する長瀬は俄然反骨心が湧き上がって来る。ここは一つ彼らの注目を集めるようなイベントを計画しなければならない。この退屈なキャンパスに一つでも二つでも多く旋風を巻き起こさなければならないと考えたのだった。
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