恋文についての考察 (保健師 安積佑子)

 輪島五月わじま さつきが出勤してきた段階で、ふたたび東瀬麻美あずせ まみが呼ばれ、医務室の佑子ゆうこ沙希さき、そして相談員の美幌愛みほろ あいが顔を付き合わせた。

「これはラブレターの一種でしょうか」と輪島五月は差しさわりのない言い方をした。「とくにはっきりと交際して欲しいとは書かれてはいませんが、相談にのりたいと書く以上何らかのコミュニケーションを期待しているのでしょう。東瀬さんはこういう手紙を書く人物に心当たりはないの?」

 麻美は黙ったまま首を横に振った。

「この手紙の主がどういう人間か、これだけではわからないけれど、東瀬さんには、この人物と会ってみて、もし気に入ったら交際してみようかなという意思はあるのかしら?」

 麻美は再び首を横に振る。今度はさらに強く速くはっきりとした振り方だった。

 ラブレターを貰って嬉しい人間などいるのだろうかと佑子は思った。ましてや相手が誰だかわからないのだ。ひたすら不気味な感じを覚えるだけだ。そもそもラブレターなるものは出す人間にとってのみわくわくするもののはずだ。

「じゃあ、無視してしまいなさい。携帯のメルアドも可能なら変えてしまうのが良いわね。そうすれば送られてくることもないわ」

「それで相手は黙って引き下がるでしょうか?」美幌愛が珍しく食い下がるように言った。

「引き下がるかもしれないし、何か別の手を考えてアプローチを続けるかもしれないわね」

「それなら、いっそのこと……」

「相手と接触して、はっきりと断るという方法もあるわね。大学のスタッフが立ち会うことができるのなら、それも良いかもしれないわ」

 美幌愛は佑子や沙希の顔を窺った。愛の顔には協力を要請する意思が感じられた。

「この手紙の送り主はいったい誰なんでしょう? Nというのは苗字のイニシャルなんでしょうか?」

「さあどうでしょう。NOBODYのNかもしれないわね。心当たりはあるの?」

「先日、長瀬ながせ君が熊みたいな男が東瀬さんの後ろを歩いていたと言っていましたけれど、たとえばその男の子という可能性もありますし、あるいは長瀬君自身がイニシャルがNなので、長瀬君ではという可能性も」

「この手紙は」と輪島五月は麻美に送りつけられた手紙を手にとった。「中の便箋にはワープロで印字されているけれど、封筒は手書きになっているわ。『京野和葉』という女の子の名前と、東瀬さんの自宅の住所および東瀬さんの名前、いずれも女の子のような文字をまねて書いているのね。で、この『京』という文字、これは比較的個人によるバリエーションがいろいろある文字だと思うのよ。ナベブタの点の部分とか、『口』の部分の大きさとか、とめはねの部分とか。それぞれ人によって個性が表れると思うの。それでここにある長瀬君のカルテを見ると――」

 輪島五月は、本日面接が予定されている長瀬和也のカルテを手にした。

「――うまい具合に、『京葉』という彼が書いた文字があるわね。比較してみると確かによく似ているわ。ラブレターの方は女性文字らしく丸みを帯びて書いているけれど、『口』の部分が比較的小さかったり、ナベブタの取っ手の部分が鉤型になっているところなどそっくりね。だから長瀬君が書いた文字かもしれないとも言えるわね」

 言われて見ればその通りだとその場にいた皆が思った。

「ただどうかしらね、長瀬君の今までの行動様式を考えると、随分キャラが違っている気がしない? 彼ってラブレターを書くタイプかしら? こんなまわりくどい方法をとらなくても、彼ならもっとダイレクトな行動をとると思うのだけれど」

 佑子はその意見に賛成だった。長瀬の仕業には全く見えない。となると長瀬が目撃したという熊のような学生のしたことなのだろうか。

「いずれにしても、こんなところで考えていたって正しい結論には行き着かないわ。東瀬さんがこの手紙の主を相手にしたくないのなら、完全無視を決め込むか、会う手配をしてきっぱりと断るしか方法がないわね。そしてもし後の方をとるのなら大学も何らかのサポートをしてあげないと」

 男子学生を相手に話をするとなると、菅谷すがやの出番を必要とすると佑子は思った。しかし菅谷の手を借りるとなると菅谷にもある程度事情を話さなければならない。それについて東瀬麻美の同意が得られるかだ。

 そうした話をしている最中に、毎週恒例となっていた長瀬和也ながせ かずやの面接時間となった。いや面接時間が決められているわけではなく、長瀬がふらりとやってくるのだ。そして輪島五月との面接が始まる。

 その場にいた佑子、沙希、美幌愛、輪島五月の四人はそれぞれ複雑な表情で長瀬和也を迎え見た。

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