昼休みの安寧を乱すもの (保健師 安積佑子)

 連休明けの五月は遊び疲れもあって、気だるく何事にも集中できないと安積佑子あさか ゆうこは毎年のように感じる。

 それは若い頃からそうだったので、今の学生たちが疲れた顔をして大学に登校してくる様子を見ると、自分もそうだったなと、それなりに共感を覚えてしまうのだった。

 今年も、多すぎる人と車に圧倒されつつ家族で行楽地に出かけた。まさに恒例のひとときであった。

 その土産を持参して医務室に出勤すると、同じように土産を抱えた藤田沙希ふじた さきがいた。こうして菓子類の交換会が始まる。事務系の職員たち――主として女性職員だった――が次々と医務室を訪れ、菓子を置いて喋って行った。

 そのようにお菓子や女性職員が集まるのを嗅ぎつけてやって来るのが菅谷すがやだった。

 彼が女性とお喋りをするのが大好きなのを佑子はよくわかっていた。

 ただでさえ藤田沙希がこの医務室に勤務するようになって菅谷の出現頻度は増えている。それに加えて、学生課の安彦由美あびこ ゆみだの、応用化学科の米家聖子よねいえ せいこなどが来ていると、なかなか帰ろうとしなかった。

 その日も昼休みになり、佑子と沙希が安彦由美と米家聖子と一緒に弁当を食べていたときも、すでに昼食を済ませたはずの菅谷が現れて、食後のデザートに適したものがあまっていないかと覗きに来た。

「おや、みなさん御揃いで」

 調子の良い口の利き方をするときはすでにおねだりモードであり、少なくとも仕事中の彼とは全く別人となってしまう。

「いつもいつも良い鼻していますね」と安彦由美は顔だけにっこりとして辛辣に扱おうとしていた。由美は学生課で菅谷と日常的に顔をあわせるのですっかり身内扱いをするのだった。

「どうぞ」

 こういう時天使のような顔をして何か食べ物を恵むのはいつも米家聖子だった。安彦由美の「甘やかしちゃ、いけないわ」という冷たい声を笑顔で流し、菅谷の相手をしてやっている。

 癒しの美女などと呼ばれる所以だろうが、菅谷の二つの顔を知る佑子は何もそこまでしなくてもと思った。

 何はともあれ平和な一日だと佑子が感じたのはその時までだった。

 扉が開き、美幌愛みほろ あいが相変わらずにこりともしない無感動な顔のまま入ってきた。

 後ろには全く存在感が薄くなってしまった東瀬麻美あずせ まみがいた。予想外に多くの人間の視線を浴びた麻美はおどおどとしてますます小さくなっていくようだった。

「おお、どうした?」

 菅谷は先輩カウンセラーとしても威厳のある顔になって美幌愛に訊いた。

「はい……」ととりあえず即答はしたものの美幌愛の眉がわずかにつり上がるのを佑子は見逃さなかった。

 このふたりの関係は必ずしも良くはない。少なくとも美幌愛は菅谷を忌避していると佑子はみた。

「東瀬さんから相談があり、その件で医務室と輪島わじま先生にも相談にのってもらおうとやって来ました」

「ふうん」

 菅谷はただ肯くだけだった。さすがにその場の雰囲気は読める。これは自分のような男性職員が関与する状況ではないと考えたようだった。

「先生は二時前にならないといらっしゃらないわ」

 佑子がそう言うと、愛は百も承知という顔をした。

「予め話を医務室にも聞いてもらおうと思いまして」

「じゃあ、俺はこれで消えるわ」

 菅谷は席を外すことを宣言した。そして米家聖子と安彦由美がそれぞれ意味ありげな微笑で見送るのを名残惜しげに見て、手を振りながら退室していった。

 愛と麻美は無人の診察室に入って待機することになった。とても早食いはできそうもない佑子ら四人は、それでも精一杯急いで弁当を平らげ、聖子と由美は「じゃあ、またね」と愛想良く手を振って出て行った。

「いったい、どうしたの?」

 佑子はまず美幌愛に訊ねた。本当は愛もまた米家聖子に誘われてここで一緒に昼食をとることになっていたのだ。それがなかなか姿を現さないと思ったら、仕事をしていたのか。

「東瀬さんのところに、当大学の男子学生らしき人物から変な手紙が何通も届けられているんです」

 手紙と聞いて佑子も沙希もすぐにストーカーのようなものを連想した。

「いったいどんな内容なのかしら?」

 愛が麻美に促すと、麻美は背負っていたディパックから三通ばかりの手紙を取り出した。

 それはいわゆる若い女の子が愛用しそうなデザインと色の封筒で、宛名は東瀬麻美、差出人は京野和葉となっていた。

 中の便箋にはワープロで印字されていて、自分はNという男子学生であること、麻美をそっと見守っていること、ふだん考えていることなどがとりとめもなくつづられていた。

 しかし学生を特定できる手がかりは殆どない。名乗ってはいないし、大学での様子も学科を特定することすら困難となるように具体的なところがカットされていた。パソコンで使われるメールアドレスが書かれていたが、おそらくそれは匿名で簡単につくることができる類のものだろう。

「それであなたはどうしたの?」

 佑子はゆっくりと麻美に訊いた。

「もう、家に送ってこないで下さいとメールに返事してしまったんです」

「それからは手紙のかわりに彼女の携帯にメールが来るようになったんです」と美幌愛があとを引き継いだ。「うっかり相手にメールしてしまったものだから、それでメルアドを知られたんですね。それで、来たメールを受信拒否にしても、次々と向こうもメルアドを変更して送りつけてくる。もうこうなったら今のメルアドをなくしてしまうしかないと彼女は考えています」

「困った人ね、その男子学生も。いったい誰なのかしら」佑子は呟くように言った。

「Nっていうのは、実際のイニシャルを使っているんでしょうか?」沙希が問いかける。

「さあ、どうでしょう。これについては輪島先生にも相談して、相手の心理だとか分析してもらおうかとも考えているんですが」と愛は答えた。

「Nって、長瀬ながせ君でもいいわけね」

 沙希が不気味そうに言った。その名を聞いて佑子も愛も、「ううん」と唸ったり首を傾げたりした。ただ麻美だけが「長瀬君」を知らないのできょとんとした顔をしていた。

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