光るほど目につく影③ (環境工学科三年 西沢春樹)

 どうしてこうも自分は固くなっているのだろう。その答えはわかってはいても、そう自分に問いかけざるをえなかった。

 言葉こそいつものように口から出ている。大学の話もした。こういうところでわざわざすることもないのにと思いつつ、何を喋ったらいいのかわからなくなったとき、そして微妙なが生じたとき、春樹はるきは助けを求めるように大学の話題を遥佳はるかに振った。

 遥佳はそれに対して何の疑問ももたないような顔で答え、クラスメイトの噂をしたりして笑った。

 しかしその笑顔がつくりものであるかもしれないという疑念に春樹はとりつかれるようになった。遥佳はすべてを見通していて、自分の緊張を解きほぐすために付き合い笑いをしているのだと思うようになった。そう思うとすべてがわざとらしく感じられてしまう。

 そして遥佳の積極的な動きがさらにその可能性が確かであるかのように春樹を惑わし、彼女は何もできないでいる小心者の自分を憐れみ、自らリードする立場をとっているのだと思わせた。

 遥佳のひとつひとつの動きが、もっと自分に触れて欲しい、としてスキンシップをとって欲しい、何ならこのままあなたの好きにしてくれて良いのよ、と言っているかのような錯覚を起こさせた。

 髪が触れんばかりに頭を動かす。袖の方から体臭を撒くかのように腕を上げたりする。たまたま彼女の方に顔を向けたときにじっと目を見つめるなどという行為はまだ序の口だった。

 それらは徐々にエスカレートして、胸が春樹の肘に触れそうなくらい接近しはっとさせられることもあったし、土産物屋に立ち寄ったときは、スカートの端が地面につくくらいしゃがみ込んで下の方にある小物に手を触れ、「これ、どうお?」と上目遣いに見ることもあった。

 そういう時、春樹は思わず脚のラインをスカートの奥へと辿ってしまう。黒タイツなので下着が見えるはずもないが、太ももからその付け根にかけての丸いラインが無垢な春樹を誘っているかのようだった。

 これらの所作は女が生まれつき持ち合わせているものなのか。それとも自分の単なる妄想なのか。

 春樹は表に出さないよう努めながら惑った。そしてここでもまた長瀬ながせの亡霊が春樹を襲った。この遥佳は長瀬がつくりあげたものかもしれない。男を惑わすすべを長瀬が教えたかもしれないと。

 春樹は、遥佳が気に入ったと思われるアクセサリーを記念に買った。みやげものなのでたいした代物ではないし、高価であるはずもない。遥佳に対して初めてプレゼントするものとしてふさわしいものではなかったろうと春樹は思ったが、この雰囲気、この展開を重視する気持ちがそれを可能にした。やはり自分は遥佳が喜ぶ顔を見たいのだと春樹はあらためて思った。

 長いのか短いのかわからない佐原でのデートがそろそろ締めを迎える時刻となった。ローカル電車で来ている身だったので、行動はおのずと制限される。ふたりは駅へと向かった。

 遥佳の体に触れる自然なチャンスは何度もあった。いやこうしてふたりで歩いているのだから、いつどこで触れても良かったのだ。しかし春樹にはその勇気がなかった。仮に長瀬という存在がなかったとしても、女性とつきあった経験のない春樹に、そうした大胆な振る舞いをさらりとする度量はなかった。

 写真に撮られるときでさえ、春樹の体は固まったのだ。その理由を春樹は、男性不信に陥っていた遥佳に配慮したとか、長瀬の幻影が邪魔をしたとかいったことで説明したかったが、ようよう考えてみると、すべては自分が小心な故によるものだということに気づき、頭を抱えた。その様子を遥佳はきっと見ないふりをしていたに違いない。

「久し振りにたくさん歩いたね」

 遥佳が笑顔を向ける。その表情にはすべてが春樹の妄想であり、彼女には何の計算も洞察もないことがはっきりと浮き出ているようだった。確かに遥佳の足取りは初めの頃より少しよろめいて、片足を引き摺っているようだった。あるいは靴擦れでもできたのかもしれない。

「大丈夫?」と春樹が心配をあらわにした瞬間、遥佳は「平気」と言おうとして足をもつれさせ、道端に手をついた。

 転倒こそ免れたが、両手両膝を地面についてお尻を突き出すような格好になってしまった。

 慌てて顔の高さが同じになるくらい体をかがめ様子を窺う。このとき春樹は思わず手を差し出して今にも遥佳を立ち上がらそうとして、そう行動する自分の姿を瞬時に思い浮かべた。

 遥佳も同じ瞬間に春樹に手を貸してもらおうとしていた。すでに右手がすっとあがりかけていたのだ。ところが遥佳が片膝をたてた瞬間、春樹の目の中に遥佳のスカートの中の様子が飛び込み、その暗黒の領域が春樹の体を凍りつかせた。

 あとで冷静になって考えれば、それは単なるタイツの黒だったに過ぎない。しかしその時の春樹には自分を惑わす黒々とした魔性の世界への入り口に見えたのだった。

 やはり遥佳は長瀬によってここまで穢されている。わずか零コンマ何秒かの瞬間に春樹の頭にそれらのことが鮮明なイメージとなって過ぎった。

 気がついたとき、春樹は手を引いていた。そして遥佳も差し出そうとした手を引っ込め、自らの力だ立ち上がったのだった。

「まるでおばさんね」と遥佳は照れたような笑いで誤魔化そうとしたが、その表情が引き攣っていたように見えたのは春樹の考えすぎでもあるまい。

 その顔には、ここまで指一本触れないとは本当に徹底しているという非難の様子が滲み出ているようだった。

 手が出なかった自分が本当に情けないとずっと思いながら、春樹はその日のデートを終えた。ただ表向きふたりの様子には何のすれ違いもないかのように。

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