光るほど目につく影② (環境工学科三年 西沢春樹)

 ゴールデンウィークは例年にないくらい陽気に恵まれた。それまでの冬を思わせる寒さがすっかりなくなり、初夏を思わせる暑さがのして来た。

 おそらくそういう他愛もない理由だったのだろうが、遥佳はるかは半袖シャツの上に薄手のカーディガンやパーカーを重ね着するラフな格好に白のミニスカート、黒タイツに茶系のショートブーツというスタイルで佐原の古い街並みを闊歩した。

 電車を使って行ける、あまり大学の仲間に出くわさないような少しマイナーなところ、そういう条件でデートに選んだのが佐原だった。

 利根川の向こうには茨城県がひろがる水郷の町。日本地図で有名な伊能忠敬ゆかりの地だった。街の中心部には蛇行する水路が流れ、それを挟む格好で隘路あいろや小江戸の街並みがひろがっている。いたるところに土蔵や蔵作りが見られた。

 こんな小さな街にも、訪れる観光客の数は多かった。

 遥佳とは相変わらず微妙な距離をあけてそぞろ歩く。並んで歩くと眩しい遥佳の顔をじっくりと眺める機会は少なかった。そのかわり春樹はるきの目に入るのは寄り添って歩く若い男女の姿。彼らはみなこれ以上ないくらい幸せそうに見えるのだった。

 自分たちはどのように見られているのだろう。もちろん二人で歩いているのだからそれなりの関係に見えるに違いない。しかしこの微妙な距離と、ぎこちない自分の顔から察して、まだつき合って間もない関係なのだろうと思われるのだろうかと春樹は考えをめぐらせた。

 しかし冷静になって考えようとすると、二人がこれで付き合っているといえるのだろうかという問いが頭に浮かんでくる。

 結局、春樹は遥佳に向かってはっきりと交際して欲しいと申し込むことはできなかった。その想いは顔に表れてはいただろうが、何度もふたりで会えたらいいなというようなことを伝えたに過ぎない。

 もちろんそれで遥佳は春樹の気持ちを汲み取ってくれたかもしれない。その結果としてこうして「デート」ができるわけであり、春樹にだけお洒落した二十歳の女の子という姿を見せているのだ。それは通りすがりの若い男たちがときどき振り返ってみるくらい可愛い娘の姿だった。

 有名なスポットの一つであるジャージャー橋に来た。さすがにこういうところには写真を撮ったりする観光客の姿が目立つ。その中には若い男女のペアも珍しくなかった。

 持ってきたカメラで遥佳の姿を写そうとする。ファインダーをのぞくことで改めて遥佳の全身像をまじまじと見ることができた。

 セミロングの茶髪は昼下がりの強い日差しで明るく輝き、欄干に手をおいて体を斜めに向けたときの胸のラインが重ね着をしているとはいえ意外に丸く前に突出している様子が強調される。

 そよぐ風によってふわふわと揺れるミニスカートからのびた脚は、黒タイツによってくっきりとそのラインが強調され、どちらかといえば太めではあるが足首のところで締まっているのでメリハリのある脚線を形作っていた。

 その全身像を撮り、バストショットを撮り、そしてにっこりと微笑む遥佳の美貌をカメラにおさめることができ、春樹は一時幸福を覚える。しかし次の瞬間、長瀬ながせもこの姿を目にしていたのだと思い、愕然とするのだ。

 長瀬は、遥佳のさらさらしたあの光り輝く髪をいじり、そのしっとりとした唇を吸い、そして春樹の前では秘められている丸みのある胸に触れ、そして清らかにも思える遥佳の大切な部分をも愛撫したはずなのだ。

 そう考えると春樹にとって純潔にも見える遥佳の愛らしい姿が突然色褪せ、悪意を持ってこの純情な春樹を誘惑する魔性へと変貌するのだった。

「ねえ、誰かにお願いして写真を撮ってもらいましょうよ」

 現実の遥佳の声が聞こえた。すでに遥佳は近くにいる年配の男性に声をかけていた。思い立ったらすぐ行動するのはふだんなら春樹の方だったが、今日のこの地では遥佳の方が積極的だった。

 並んで立つ春樹と遥佳にカメラが向けられる。年配の男性は何やら言っているようだったが春樹には聞こえなかった。おそらくはもっと近寄ってなどと言っていたのだろうが、十センチの隙間を縮めることはできない。こればかりはどうしようもないのだ。

 シャッターが切られるかという瞬間、遥佳が春樹の肩に向けて頭を倒してきた。

 風にそよいで数本の髪が春樹の頬に触れたかと思うと、次の瞬間にはほんのりと女性の香りが漂ってきた。

 遥佳の匂いを意識して嗅いだのはおそらくは初めてだったろう。それは特別に春樹の脳を刺激するほど官能的な香りだった。

 遥佳の肩に手をかけようと上がった手が、瞬時に止まる。すでにシャッターが切られ、カメラを受け取ろうと遥佳が前に出たときだった。

 その滑稽なほどの愚かな姿を誰かに見られたような気がして、春樹はたまらなく恥ずかしくなった。顔が火照り、それを遥佳に見せまいと川へと視線を泳がせた。

 こうしたがふたりのあいだでときおり生じた。それは何か話に夢中であったときとか、ふたりして感動する景色を見たときとか、本来なら最高に幸せを感じる瞬間であればあるほど起こるようだった。

 そうしたとき気まずくなるのは勿論春樹の方だ。遥佳は大抵気がつかない。あるいは気づいていてもそれは春樹の緊張によるものだと遥佳は思ったかもしれない、そう春樹は考えた。

 ゆっくりと昼食をとる場所がなかなか見つからないので、ふたりは途中で見つけた団子屋だとか、アイスクリームの店で軽いものを買って、立ち食いを繰り返した。そうして空腹を紛らわせた。

 しかし春樹にはそれらの味をゆっくりと感じる余裕はなかった。もっと極端にいうなら、何を買ったかも覚えることができなかった。

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