手紙の代筆に没頭する (環境工学科二年 長瀬和也)
二通目の手紙を出してさらに何日か経過したが、彼女に教えたメールアドレスに彼女からの連絡はなかった。まあ当然かもしれない。中にはこうした手紙に対して、毅然として拒絶するタイプの女性もいるが、
彼女はおそらく得体の知れない人物からの手紙に対してどう対応して良いのかわからず、何もできないでいるに違いない。嫌とはっきり言える人間なら、もう手紙を書かないで欲しいと断ることができるはずだった。
ここからが長瀬の腕の見せ所だ。三通目の手紙からは「自分」のことを書くことにした。まずは自らのプロフィールやふだんの様子、考えていることなどを麻美に知らせて、警戒心を解く。日記風につづれば親しみやすく、彼女のこころを捉えるかもしれない。
しかしそれを
いつから創作作家になったのかと思うくらい、長瀬は創作に没頭した。
<ゴールデンウィークはいかがでした? 旅行に出かけたり、何かアルバイトをしたりしていたのでしょうか? ぼくは正直なところ他人と接するのが苦手なのでアルバイトをしていません。同期の学生の中には大学近くのコンビニでアルバイトをしているものもいます。「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」とか、そういう簡単な挨拶さえ、ぼくの口からはスムーズに出てこないのです>
これは野尻の現実を端的に表していた。同時に野尻や長瀬から見た東瀬麻美の印象にもあてはまる。
麻美が他人とコミュニケーションをとることを苦手にしているらしいことは想像できる。同じようなタイプなら悩みも共感できるはずだと長瀬は野尻に言い、敢えて正直に自分のキャラを前面に出すことにしたのだった。
ただし現実の野尻のような極端な失語を明かすことはできず、あくまでもシャイなNを演じるに留めた。
<いつまでも親の脛をかじっているわけにもいかないので、いずれパソコンをつかったバイトができないかと考えているところです。東瀬さんは何かやりたいこととかないのでしょうか?>
ところどころ彼女にあてた質問を織り混ぜる。必ずしも返事を期待しているわけではなかった。だがこうすることで対話しているという印象を相手に与える効果があると長瀬は考えたのだ。
<アルバイトをしていない以上、親にお金を出してもらって旅行に行くということもできません。連休は実験レポートをまとめるのにすっかり使い切ってしまいました。東瀬さんはまだ一年生の前期なので実験などはないのでしょうね。比較的時間に余裕のある今のうちにいろいろとやりたいことは手をつけていた方がいいですよ>
東瀬麻美のやりたいこととは何なのだろうかと長瀬は想いを馳せた。おそらく野尻も同じことを考えているだろう。しかし野尻の思いは純粋な気持ちからくるものだろうが、長瀬のそれはいかに彼女の気を惹き、いかに彼女を動かせるかを考えるために必要なことだった。
<今思うと、ぼくは一年生のときに時間を有効に使うことができませんでした。あの時こうしておけばよかったと思うことがたくさんあります。一年の頃は本当にこんな大学に来て何をしたら良いのかわからないというのが本当のところだったのです。授業が始まってひと月もたたないうちから、これは違うと思うようになりました。どうもぼくは場違いなところに来てしまったという感覚に襲われ、ぼくは悩みました。悩んだところで何も解決はしないのですけれどね。おかげでたくさんの時間を無駄につかったと思います>
おそらくは麻美も直面しているであろう問題をさらりと語る。こうしたとりとめもない話が、いずれは麻美の気を惹くことに繋がるのだと信じて、長瀬はだらだらと書き続けた。
日常の瑣末とはこのようなことをいうのだろうと思えることを、それこそとりとめもなく書き綴る。ついうっかりと感情移入して長瀬自身のことを書きそうになることもあったが、校正の際にどうにか発見するよう努めた。
長瀬に限らず現時点で野尻だと特定できるようなことも書くわけにはいかない。二年生以上の学年だということしかわからないはずだ。少し気をまわせば麻美の属する建築学科ではないことはわかってしまうだろうが。
しかし創作とはいえ、のめりこむものだと長瀬は思った。徐々に楽しみが湧いてくるようだ。あるいは自分には小説家の素質があるのではないかと思うこともあった。日記風に出来事をつづり、それについて思いついたコメントを添える。まさに現代の清少納言。随筆家ではないか。
悦に入って四通の手紙を送ったあとに、東瀬麻美からメールが届いた。
<ごめんなさい、もう家には手紙を書かないで下さい>
ただそのひとことだけ。
(そうだろうなあ)
長瀬は失笑した。
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