浮かれる男は調子に乗る (環境工学科三年 西沢春樹)
春樹はすっかり浮かれていた。女の子とつきあうことがこれほど精神に幸福とゆとりと安寧を与えるとは思いもしなかった。
そうなると自然と他の人間に対してもおだやかでゆとりのある態度で接することができる。
クラスの女子学生に対しても軽妙に接することができる。事情を知らないクラスメイトたちは何があったのかと訝る顔をするものもいたが、明るい春樹は総じて評判が良かった。
今日の化学実験は「ゲラ」が春樹の相手だった。
顔は並よりは少し可愛い程度。美人の
しかし彼氏ができるというタイプではない。そういうセックスアピールは全く感じられない女子学生で、中学や高校のクラスでは必ずひとりはいるお調子者の女生徒だった。
その関本穂乃果が今日は一段と可愛く見える。実際至近距離で観察したことがなかったので、というより今まで全く問題外の女子学生だったので、穂乃果が化粧を施していることも、白衣の下に珍しく膝上丈のスカートを穿いていることも実験を始めてから初めて知ったのだった。
「関本君、今日の君、なかなかいけてるよ」
こういう台詞を吐いた記憶はない。どこまで自分はハイテンションなのかと春樹は思った。
「今日の君、っていうのは余計よ」
穂乃果はげらげら笑い出した。こうなるとなかなか止まらない。また始まったと呆れる一部のクラスメイトは、つきあっていられないという姿勢で実験に集中し始めた。
いままで遥佳ばかりに目を向けていたので、おそらく他の女子学生をじっくりと観察するゆとりがなかったのだ。
遥佳とつきあうようになって初めて他の女子学生に目を向けることができるようになった。そのお蔭で穂乃果の容姿を何気ないふりをしながらも隅々まで眺めることもできた。
こうして見ると遥佳には及ばないもののなかなか可愛い子だったのだ。いつも声を出して笑っているという印象しかなかった。いわばお笑い番組の客席女。そういう子がクラスの男たちに女として意識されることはないだろう。しかし今の春樹ならそういう目で見ることもできた。
(惜しかったねえ、遥佳がいなかったら、君に目を向けていたかもしれないよ)
春樹の脳内で、自信に満ちた春樹がそう喋る。いつから俺はそんなお調子者になったのだと冷静な春樹が諌めにかかろうとしていた。しかしハイテンションの春樹の暴走は止まらないようだった。
「ようし、てきぱきと進めよう。最高の結果を出して、レポートはAをとってやろうぜ」
海賊のノリを見せる。声には出さないが、手は「エイ、エイ、オー」とやっていた。
それを見て穂乃果がさらに笑う。もうどうにも止まらない。
「どうしたの、西沢君、頭壊れてるよ」
「もう五月だしなー」と全く訳がわからない調子だった。
穂乃果と二人でブレーキもかからず、まさに珍実験になろうとしていた。同時に同じことをやろうとして腰と腰が接触、その反動で穂乃果はずっこけたように床に手をつくはめになり、実験台のレポート用紙は床に散乱した。
「あ、ごめん、ごめん」春樹は慌てて拾い集める。
「もう、テンション高すぎよ」と穂乃果は春樹と組むのが楽しそうだった。
向かい合って落ちたものを拾いあう。春樹の目の先に、白衣の合わせ目からにょきっと顔を出した穂乃果の膝小僧があった。白っぽいストッキングに包まれていて意外に形も良い。ふうんとそのラインを辿っていたらスカートの奥まで達してしまった。
悪いと思って目を逸らすも、何度もそこへ視線が吸い込まれる。逸らしてチラ見、逸らしてチラ見を繰り返した。
(本物? だよな?)
白く輝いているように見えたのは、紛れもなく下着だった。
すべて拾い集めた時、すでに春樹の下半身は緊張していた。このまま立ち上がるとそこだけ突出していることに気づかれるのではないかと思ったが、白衣を着ているのでどうにか誤魔化せるだろうと考え、ゆっくりと立ち上がった。
穂乃果も立ち上がり、その体は元通り白衣に包まれる。スカートも奥に隠れ、脚だけが白衣の下から伸びていた。
身近な女性の下着を間近で見たのは初めてだった。同時にゲラこと穂乃果がひとりの女性であったことを思い出した。遥佳の顔が浮かんだ。つい浮気をしてしまったような罪悪感に襲われる。悪気はなかったんだ、つい出来心で、と春樹は心の中で頭を下げた。
急に春樹はテンションが下がり、いつもの穏やかな彼に戻った。穂乃果はそういうことにも気づかず、相変わらずゲラの特徴を出して、どじなことをした春樹をからかった。
今のエピソードの相手が遥佳だったらどうなったのだろうと春樹は考えた。
日光へ行った時、遥佳はふんわりとしたワンピースを着こなしていて、それが心地よい風に舞ってふわっと膨らんだりしたのを春樹は覚えていた。しかしぴったりとではないとはいえ、二人は並んで歩いていたから遥佳の全身像をじっくりと見ることなどできるはずもなかった。
距離があった時は遠くからゆっくり見つめることができたが、いざ近づいてしまうと相手の容姿を目で捉えるのは難しい。
日光では視線の先には景色があった。二人で見た景色だ。付き合うとは同じ景色を見ることだと春樹は思った。そしてつきあいが深まればお互いの顔を向き合うことになる。その時遥佳の目をじっと見ることができるだろうか。
またしても長瀬の顔が浮かんでくる。かつて遥佳の目には長瀬の姿が映っていたはずだ。遥佳の唇はかつて長瀬に吸われ、春樹がまだ目にすることもない遥佳の裸身を長瀬はぞんぶんに愛撫し征服したはずなのだ。
一つ一つ時間をかけて階段をのぼるようにステップアップして行こうと遥佳との合意が得られたとしても、それはすべて長瀬の後を追う自分を確認する作業にすぎないのではないかと春樹は感じた。
この精神の揺らぎがもどかしい。どうにか鍛錬できないものかと春樹は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます