探りを入れる男 (環境工学科三年 安野康司)

 遥佳はるかと西沢のデートの様子を、安野は知りたくてうずうずしていたが、決して顔には出さず、偶然出くわしたかのように装って、中庭で遥佳をつかまえた。

「日曜日はどうだった?」

「うん、楽しかったよ」

 聞く方も答える方も具体的なことは口にしない。それで話は十分通用するし、安野は西沢がどこへ遥佳を連れて行ったのかなどということには全く興味がなかった。ただただ進展具合が知りたいだけなのだ。

「あいつ、手も握らなかっただろう?」

「うん」と遥佳は静かに肯いた。そこにはどこか物足りなげな様子が見て取れた。

「そういう奴なんだよ、西沢は。君もそういう奴だとわかっているだろう」

 予め西沢に施しておいた暗示が役に立ったと安野はほくそ笑んだ。

 たとえ遥佳が思わせぶりな態度をとったり誘惑するような素振りをみせても、それはお前を試すためにしていることだと安野は言い聞かせた。

 何があっても遥佳に触れてはいけないと教えたが、ここまでその約束が守られようとは想像以上の馬鹿だと安野は嘲笑した。

「私に気を遣っているのかしら?」

「それもあるが」と安野は思わせぶりなことを言った。次なる布石だ。

「何か他に理由があるの? 彼がまじめでおくてだからじゃないの?」

「もちろん、それもあるが……」

 あくまでもじらしてなかなか本題を語らない。我ながら策士だと安野は自賛した。

「おそらく、長瀬の影が西沢をも苦しめているんだと思うよ」

 その言葉に遥佳は過敏に反応した。遥佳にとって長瀬は忘れられない悲惨な過去。あのような男に振り回され、青春の一時期を壊されてしまったことを遥佳は決して忘れない。

「ひとつには、スキンシップをとろうとすると、長瀬のようなことをしていると思ってしまうんだな」

「そんなこと!」

「いや、これは西沢自身の口から聞いたことだよ。誰にも言わないでくれと言われていたんだが、こうなったら西沢のためにもあいつの心情を教えておく方がいいのかもしれない」

 遥佳は真剣なまなざしで安野を見つめた。

(そう、その目で俺を愛してくれ、西沢ではなくこの俺を)

「むやみやたらと女性の体に触れることを西沢は許せないんだ。それはあの長瀬がしていた行為だからな。だから長瀬を嫌ってこの一年と半年静かに生きてきた君に対して、西沢は指一本触れられないんだと思う」

 遥佳の顔が納得したような表情になる。こういうすぐ人を信じる素直なところが可愛い。女だから許せるところだ。これが男ならただの馬鹿野郎に過ぎない。

「でも俺には、そこにもっと深い意味が隠されているように思えるんだ」

「どういうこと?」遥佳はさらに食いついてきた。

「西沢だって、つい君に触れようとしてしまうことはあるらしい。その時長瀬の顔が浮かぶという。それは長瀬のような行為をする自分を責めるためだともいえるが……」とそこで言葉を切った。ひとつの演出だった。ここから先が肝心な内容なのだった。「君がかつて長瀬の彼女だったということを西沢は思い出してしまう、と思うんだ」

 遥佳はしばし凍りついたような顔になった。理解するのに時間もかかっているのだろう。もう少しわかりやすく教えてやる必要があった。

「西沢は長瀬に対して人一倍対抗意識を持っていた。もちろん俺も長瀬には対抗意識はあったさ。しかし西沢のそれは尋常なものではない。それは単に一人の女をめぐる対抗意識だけではないんだ。長瀬はあの通り頭の回転が良くて、勉強もよくできるし、ディベートも得意だった。およそこの大学に入ってきたこと自体が不思議なくらい、できる存在だった。それだからこそ常に周りの奴らを見下していたよな。俺も相当頭に来ていたくらいだ。しかし西沢はそれ以上に長瀬のことに怒りを覚えていたんだ。西沢はあの通りこの大学が好きだし、クラスの仲間も大事にする温厚な奴だ。そういう西沢の目から見て長瀬は自分の棲んでいる世界を否定する極悪非道な存在だった。もはやそれは口では説明ができないくらい特別な嫌悪の気持ちなんだ。温厚な男ほどいざ怒りを覚えると途轍もないパワーでそれを発散させるものさ。先日長瀬が休学明けで登校してきて、君と西沢が一緒にいるところに出くわしたらしいね。その時のことを長瀬が俺に会った時口にしたんだ。『あの二人は付き合っているのか?』とね。その頃はまだ君と西沢ははっきりとした態度を示していない仲だったと俺は思っていたから、『違うよ』って答えた。そうしたら長瀬は笑ったよ。『何遠慮してるんだ、西沢は。もう遥佳は俺のモンじゃない、あんなのでよければくれてやると西沢に言っておけ』ってね。ごめんよ、これはあくまでも長瀬の台詞だからね。俺も君の耳には入れたくなかったんだけどな……」

 遥佳の顔は徐々に蒼白となっていった。自分の知らないところでそのようなやりとりがされていたとは思いもしなかったという顔をしている。遥佳はもはや俺の脚色に全く気づいていないようだと安野は思った。

「この話をありのままに西沢に伝えることはできなかったけれど、ある時西沢は泣きそうな顔になって訴えていたよ。夢にまで見たらしい。長瀬が出てきて、『お前のようなうすのろには、俺のお古がお似合いだ』ってね。あいつ、決して口には出さないけれど、君が長瀬の元カノというところに唯一ひっかかりがあるんだと思うよ」

 すでに遥佳は何も聞こえていないような顔になっていた。ちょっと刺激が強すぎたかなと安野は思ったが、予定通り最後の締めをする。

「本当のところはわからない。西沢に面と向かって聞いたところで、あいつはああいう奴だから君のことを慮って何も言わないだろうしね。だからこれはあくまでも俺の想像だと思って欲しい。西沢が君のことを好きなことは間違いないわけだし、君さえしっかりしていればあいつもいつかはふっきれると思うよ」

「わたし、どうすればいいのかな?」

 遥佳は少し現実に戻れた様子で、涙目ながらに安野に訊ねた。

「君も気づいているかもしれないけれど、西沢は女の子とつきあったことがない。ある意味潔癖な奴なんだ。だからそういう意味でもなかなか君に触れようとはしないかもしれない。でもあいつもあれで男なんだし、相手の女の子にまで同じ潔癖を求めるつもりはないと思うんだな。そうでなければ長瀬の彼女だった君と付き合おうとは思わないよ。だから君の方からあいつを導いてやるしかないと思う。君も男性不信に陥っていて、なかなか自分から男を導くなんてことできないかもしれないけれど、それを続けるよう努力していけばいつか西沢も応えると思うよ」

 安野は遥佳に西沢を挑発、誘惑するようアドバイスした。これは完全なる賭けだった。現時点で西沢には遥佳とプラトニックな関係を築こうという意思しかない。そこへ遥佳にその関係を壊そうとする働きをさせるのだ。下手をすれば西沢が遥佳の色香に負けてしまうおそれもあったが、安野はある程度勝利を確信していた。西沢は遥佳に決して惑わされない、その結果遥佳はどうにもならない自分を発見するのだ。

「北見、これは君自身の問題でもあるんだ。長瀬につけられた傷を癒したいのなら、自分で努力もしなければならない。西沢に正面からぶつかって、長瀬のことはもうトラウマでも何でもないことを教えてやれよ。あいつをまっとうな男女交際の世界に導いてやれよ」

 遥佳は何か答えを導き出したような顔になって、安野から離れた。次の段階に入る。

 今度は西沢にひとつサジェスチョンを与える必要があるなと安野は思った。

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