踏み出した一歩② (環境工学科三年 西沢春樹)
午後の講義はろくに聴くことができなかった。
何事も正直に誠意を持って動けばうまくいくという典型のようだった。
待っている時は長く感じられた時間も、いつしか過ぎ去っていて、気づいたらあっという間に放課後となっていた。
春樹は何食わぬ顔をして帰る準備をし、周囲に適当な挨拶をしながら駅へと向かった。もちろん後ろを振り返ったりして遥佳の様子を見たりすることはない。今はただ一直線に目的地へ向かうだけだった。
北総線を新鎌ヶ谷駅で下車し、近くにあるショッピングモールそばのファミリーレストランに入った。ボックス席が空いていた。入り口からもよく見えるし、ここなら他のシートとは少し距離が隔てられているから話す内容も聞かれないと考えたのだった。
コーヒーを飲んでしばらく心を落ち着かせる。そう考えていたがちょうどコーヒーが運ばれてきた時に、早くも遥佳は到着した。
二十年も生きてきて春樹は女の子とデートをした経験がなかった。いつも顔を合わせているとはいえ、こうして遥佳とふたりきりで向き合うと急に緊張し、何だかいつもの自分ではないような気になった。とても落ち着くことなどできるものではなかった。
「何か奢ってくれるの?
遥佳は余裕の振る舞いだった。ひとりメニューを睨んでにこにこしていた。
「パフェでもどうぞ」
そう言ってからそろそろ夕食の時間帯であることに春樹は気づいた。ここは何か食事をとるのが常識というものではないのか。
「それとも何か食べるか」
あわてて訂正をした。遥佳も同意する。今夜は西沢春樹と夕食をとることを決めてきたみたいだった。
グループで飲みにでかけたり、夕食をとったりしたことはいくらでもあった。その中に春樹も遥佳も当然のようにいた。しかしこうして二人で夕食を囲むことなど今まで一度もなかった。
春樹は女性と二人で食事をしたことがなかったし、遥佳も
学生だったのでランチに毛の生えたようなメニューしか頼めない。二人はハンバーグのセットを揃って食べた。
春樹は機械的に口に運んでいるだけで、ゆっくりと味わう余裕は微塵もなかった。ただ遥佳のいつになく陽気な顔が目の前に輝いているのを、じっくりと見つめることもできず、ときおりさらっと見遣るくらいで遥佳の話に耳を傾けるという情けない状況を続けた。
告白というものはどのようにするのだろうか。
ここにきて春樹は肝心なことを何一つ考えてこなかったことに気づいた。「ぼくとつきあってください」とでも言うのだろうか。
すでに楽しく談笑している状況下で、唐突にその台詞を言うことはかえって雰囲気をぶち壊すような気がした。そうなると遥佳の方から「大事な話って何?」と聞いてくれた方がきっかけとなる。しかし遥佳にその気配は全くなかった。ただ単純に春樹との食事を楽しんでいるようだった。
これでいいのかもしれない。すでにお互い十分付き合っているもの同士のコミュニケーションとなっているではないか。春樹はそうも思ったが、何事もけじめというものがあるだろう。このまま馴れ合いのように過ごしていることが良いとは思えなかった。それでは何ら進展しないではないか。
食事は終わり、コーヒータイムとなった。一時間は喋っていたと思うがあっという間の出来事のようだった。このまま何事もなかったようにお互いの家に帰ってしまうのか。それでは何のために意気込んでやって来たのかわからない。
「どうしたの?」
ふと声の方を見遣ると、にこにこ笑っている遥佳の顔があった。こういうあどけない笑顔を見た記憶はない。春樹は確かな手ごたえを感じていた。
「これからも、こうして二人で食事ができたらいいなと思って……」
遥佳はそれを聞いて目を丸くした。「できるじゃん、いくらでも」
それが精一杯の春樹の告白だった。どんなに「付き合って欲しい」と言えたらいいかと思ったか知れない。でもそれはかなうことがなかった。それでも遥佳には想いが伝わったように思う。
テーブルの上に置かれた遥佳の細い手を見ると思わず触れたくなった。
しかしまだそういう時期ではないと春樹は思いなおした。遥佳の傷はまだ癒えていないはずだ。ここで自分が普通の男のようにスキンシップに走ったら、遥佳はきっと引いてしまうに違いない。そう思うと春樹は遥佳をそっと見守ることを決意した。
自分はこれまでも女性と縁のない青春を送ってきた。あとしばらく禁欲的にプラトニックな恋に浸ることは容易いはずだ。しかし何らかの形で遥佳との間に繋がりがあるという証のようなものが欲しい。そう思った春樹は、毎回次に会う予定をお互いで決めるということを遥佳に提案した。次はいつ二人で会えるのか、それが確認できていれば心の安寧は計られる。
春樹は次の日曜日にデートをするという約束を取り付けた。
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