相談員の面談① (保健師 安積佑子)

 医務室がいつになく賑やかなのは、環境工学科の学生たちがすっかり占拠してしまっているからだった。

 静かにするよう佑子ゆうこがいくら言っても、一時の効果しかない。

 医師不在の診察コーナーで相談員の菅谷すがやと三年生の西沢春樹にしざわはるきが話をしている。

 医務室内面接室では相談員の美幌みほろがやはり三年生の北見遥佳きたみはるかと面談を行っていた。

 賑やかにしているのはその取り巻きとしてついてきた連中だった。男子学生三人と女子学生二人でぺちゃくちゃやっている。

「私に任せてください」と頼もしいことを言った藤田沙希ふじたさきも、いつの間にか彼らに取り込まれていた。歳が近いから話が合ってしまうのだ。

 三対三の合コンのような雰囲気になり、佑子は呆れて注意するのも馬鹿馬鹿しくなった。相談員が注意のために出てこないのは、適当にうるさい方が中の話が外へ洩れ聞こえなくてちょうど良いからだと思うことにした。

「本当に環境の学生さんは明るくて賑やかねえ」沙希が楽しそうに笑っている。

「他の学科が暗すぎるんですよお」

「俺たちっち、京葉工科の愚か者って言われてるっす」

「やあねえ、それじゃあ一人残らず馬鹿みたいじゃない」

 確かに陽気さにかけては他の学科と比べ物にならない。それを自覚しており、なおかつ悪びれず思いのままに行動するのが彼らの特徴だった。

 それを考慮すると、今相談に来ている西沢春樹や北見遥佳は環境工学科のカラーに似合わないくらい真面目で優等生に思われる。どこの群れにもこうした人種がいると何となく救われる気がするものだ。

「今度の金曜日に環境工学科校舎で新歓コンパをやるんですよ、藤田さんにもぜひ来て欲しいなあ」

「そりゃあ、良い考えだ。大歓迎で招待しますよ」

「絶対来て下さいね」

 まさに引く手数多の藤田沙希だ。建築学科にも招待されている。建築学科は美男美女の代表がペアで現れ、スマートに招待状を持参し、しっかりカンパのお願いをしていった。行き当たりばったりの環境工学科とは少しばかり違う。学科の違いは明らかだろう。

「困ったわ、建築学科とダブルブッキングしているわ」

 沙希は両手を頬にあてて少女のように振舞った。こういうわざとらしくカワイ子ぶるところが環境工学科の学生たちの歓心をいよいよ買うのだった。

 やがて診察コーナーから菅谷と西沢が出てきた。

「何を騒いでいるんだ」と菅谷は、当惑したように学生たちを見回した。

 沙希はぺろりと舌を出してその場を離れた。抜け目なく、すぐにお茶を入れる準備を始める。

長瀬ながせ君のことでしたの?」と佑子はつい菅谷に訊いていた。

「いや、こっちは別件です」菅谷は答えた。「柴田しばたのことですよ」

柴田真宏しばたまさひろ君?」

「そうです。どうも春という時期はいろいろと彼を刺激するようで、新入生を迎えて彼もまた一つ先輩になったわけですし、浮ついた気分になるのも無理のないことでしょう」

「新歓に出るっていう話じゃないか」男子学生の一人が西沢に問い質した。その口ぶりから柴田が新歓行事に参加することを良しと思っていないことは明らかだった。

「俺が出るから、あいつも出たいと言い出したかもしれないんだ。だから俺、参加を取りやめにしようかとも考えているんだ」

「今さらそういうことを言ったって、柴田は『どうして? どうして?』と繰り返して、かえって話をややこしくするぞ」と菅谷は異を唱えた。「参加しない理由を聞かれたら何と答えるんだ?」

「それは……」と西沢は答えに窮した。

 結局のところ、西沢が終始柴田の傍にいるしかないようだった。彼には可哀相だがそれがいちばん良い方法だと佑子は思った。

 西沢と男子学生三人は、北見遥佳が出てくるのを待たずに男たちだけで退室していった。

 そこには何か暗黙の申し合わせがあるようにも見えた。遥佳の連れの女子学生ふたりは小さく手を振って彼らを見送った。

「僕にもコーヒーをいただけるでしょうか?」

 突然菅谷がそれまでの威厳のある態度から一変して、媚びるように沙希に依願した。

「はーい」と沙希はふだん通りに笑顔で対応する。

 その様子を女子学生ふたりは笑いを堪えて見守り、互いに目を合わせて口を覆っていた。

 沙希が用意している間に、女子学生たちと少し距離を置いて坐っている菅谷と、佑子は向き合った。

「何か問題がありまして?」

「西沢が気にしているのは」と菅谷は声をひそめて話し始めた。「柴田が女の子にもてるための本を買い込んだとかいうことで……」

「まあ」と佑子は大きな反応をしてしまう。

「柴田だって、そういう年頃ですからとやかく言うことじゃないですが、毎年のように新年度の学生たちの顔ぶれが変わって、しかもキャンパスに学生が多い時期に女の子をしつこく追い回すということをしていますから、西沢もそれを気にかけているんですよ」

「去年の夏頃にはそれも収まったと窺っていましたのに」

「ええ、そうです。しばらく女の子への興味はすっかり失せてしまって、他に何か没頭するものがあったのでしょうね。それがまた今の時期になって、おそらく見慣れぬ女子学生の顔ぶれを見たり、あるいはキャンパス内に浮かれた雰囲気が蔓延しているのを、彼なりに何となく察知したのでしょうね。いくら空気がよめないと言われていても、全く読めないわけではないですからね。それでまた柴田が何か奇異な行動をしないかとクラスメイトが心配しているようなんですよ。でも西沢以外の男子学生が心配しているのは柴田の問題行動かもしれませんが、西沢が心配しているのは、また柴田が仲間はずれにされたりとか、いじめを受けたりとか、そういったことが再燃しないかどうかということなんですよ」

「せっかく落ち着いていて、最近は柴田君の話も出てこないなと思っていましたのに」

「そうなんですよ、どうにかクラスで彼を見守る土壌ができつつあったわけですし、ここにきてせっかくの今までの努力がまたも水の泡になるなんて考えたくもないという様子でした」

 沙希がコーヒーを二つ用意して運んできた。

「あ、どうも、ありがとう」菅谷の顔がすっかり変わる。相好を崩すといった感じだ。

 こいつはどっちが本当の顔だと佑子は呆れた。

「じゃあ、私も監視役として参加しましょうか」と沙希が、すっかり話を聞いていたような自然な形で合流した。

「え、本当ですか? それは頼もしい」と菅谷は一旦は笑いかけたが、すぐに真顔になる。「しかし注意はした方がいいですよ、柴田は結構藤田さんみたいなタイプも好みですからね」

「私みたいなタイプ?」

「美人のお姉さん」

 それはお前の好みだろうが、と佑子はまたも突っ込みを入れたくなった。しかし黙って顔だけで冷ややかな感情を菅谷に向けた。

 もちろん彼が気づくはずもない。菅谷の顔はすっかり沙希だけに向けられているからだった。

「あら、そうですかあ」とまたも沙希は両頬を挟むように手をあてて困った顔をした。「でも、その柴田君ていう子はそれなりに道をわきまえているんですよね? 私に彼氏がいると言えば彼の対象からは外れるんじゃないですか?」

「え? 彼氏、いるんですか?」

「私だって、彼氏のひとりやふたり、いますよお」

 菅谷はがっかりしたような顔になった。妻子もちの癖に、いつまでも男子学生と同じ感覚でいるに違いない。これだから男は信用できないと佑子は思った。

「まあ、確かに、相手がいる女性にまで、彼は手を出そうとしないでしょう。それは彼の中では法律のような守るべきルールとなっていますから」

 それからの菅谷の変貌は、見ていて哀れなくらいはっきりとしていた。引き攣った笑顔しか浮かべることができず、なぜか冗舌になる沙希の顔を呆然と見るだけで、話は耳に入っていない様子だった。

 しかし少しは薬になったのではなかろうか。医務室の若い看護師を勝手に癒しの対象にして、天使のように崇め、頻繁に通っていたのだろうが、これで少しは出現回数も減るだろう。若い女性を見て鼻の下を伸ばす男ほど見苦しいものはない。

「じゃ、今日はこれで……」

 それから程なくして、菅谷は帰った。


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