保護者の憂鬱 (環境工学科三年 西沢春樹)

 春樹はるきは週に一度は柴田しばたと一緒に帰ることにしている。

 一部の仲間からは「犬の散歩だ」などと揶揄されることもあるが、柴田にとって精神の安定化に必要なことだと春樹は認識していた。

 週末には新入生の歓迎行事が予定されている。学科ごとに行われており、環境工学科校舎の一階ホールで一年生全員を相手に上級生の二割程度がもてなすことになっていた。その役員として春樹も加わっている。

 そのことを知って柴田も参加したいと言い張った。身の回りの誰かが参加していると自分も参加したくなるのだ。

 空気が読めないといわれる柴田だったが、意外に周囲の様子を観察している。誰かが何かをしていると自分もそれに興味をもち、同じことをしたくなるのだ。女の子に興味を持ったのも、そういう要因が加味されているのかもしれない。

 とにかく一年生の春は、受験からの解放ということもあって、すぐにでも交際相手をつくろうという雰囲気が蔓延していて、数少ない女子に男子が群がるという異様な時期だった。

 誰かが発した「彼女つくらなきゃ」などという安易な発言に感化され、柴田はクラスの女子をしつこく追い回すようになった。

 交際ということに関してどれだけ理解していたかわからない。下手をすると誤った情報をもとに関係を迫るという行為に及んだかもしれないのだ。

 去年も新入生を迎えた時期に、入学したての女子学生に興味を示したことがあったが、想いが高じる前に春樹がどうにかいさめた経緯がある。

 また同じことの繰り返しなのかと春樹はうんざりした。

 今年も環境工学科に十八名の女子学生が入ってきた。中にはすでに上級生が目をつけるような子もいるようだ。

 柴田が度を越える行動をしないか監視するという役目を、周囲は春樹に期待していたのだった。

 だから新入生歓迎会に柴田を連れて行くことに春樹は抵抗があった。しかし一旦言い出すとなかなか曲げることがないのが柴田の特徴だ。歓迎どころかずっと柴田に張り付いていなければならないかもしれないと春樹は覚悟した。


 大学近くの書店に二人で立ち寄った。大学指定の専門書を揃えているのでふだんから大学の関係者で賑わっている。

 放課後とはいっても五時過ぎという時間帯なので、知った顔も幾人か見受けられた。

 しかし彼らは春樹のそばに柴田を見つけると、途端に余所者のような態度になり、適当に挨拶するだけで離れて行った。

 完全に無視するわけでもなく柴田にひとこと挨拶はしてくれるので、柴田の方は彼らが避けているのだという認識をもたない。まさに最低限の配慮といったところだろうか。

 柴田は今日も一冊本を買った。入るたびに本を買う。それは専門書のこともあるが、文庫本のこともあるし、あるいは雑誌のこともあった。しかしとにかく何か一冊は買うのだ。まるで入ったからには何か買わなければいけないという強迫観念があるかのようだ。あるいは「毎度ありがとうございます」という年配の店主の声かけが彼の心に気持ちよく響くのかもしれなかった。

「今日は何を買ったんだ?」

 何気なく春樹は訊いた。

「『女の子にもてる十の鉄則』だよ」

 思わず絶句して柴田の顔をまじまじと見る。

「おもしろいのか?」とでも訊くしかない。

「まだ読んでいないからわからないよ。今日帰って読むんだ」

「な、何のために?」

「決まっているじゃないか、彼女をつくるためだよ。より良い大学生活に必須なもの、それは趣味とお金と彼女、だよ」

「お、俺はどれも持っていないけれどな」

 少し頭を冷やす必要がありそうだ。このテンションのまま新入生歓迎会に柴田を連れて行くのは正直辛いと春樹は感じていた。

「だめだよ、それじゃあ。僕が読んだらこれを貸してあげるから、ちゃんと勉強するんだよ」

 何でもマニュアルで勉強するのか。しかしそういう本は洒落で書かれているんだぞ。そう言いたかったが、柴田に洒落が理解できるか疑わしい。

 それに真剣な顔をしている彼に、思い込みを訂正するのが非常に困難であることを、こうして行動をともにしている春樹はよくわかっていた。

「わ、わかった。だから家に帰ってから読もうな」

 この分だと電車の中で一緒に見ようと言い出しかねない雰囲気だったので、春樹はしっかりと釘を刺しておいた。

 冗談ではなく柴田は色気づいたのだろうか。

 これまで柴田が女性に興味を抱くのはそれが若い時期に経験しておかなければならないことだと思い込んでいるからだと春樹は思っていた。しかし本能的に異性を欲しているのだとしたら、ちょっとやそっとのことではそれを抑えこむことは難しいだろう。

 どうしたら良いのだろう。柴田だって特別知能が低いわけではない、大学に入学できたわけだし、一緒に勉強していて講義に対する理解力はむしろ並以上だと春樹は思っている。実験だとか相手がものだったりすると難なくクリアしていくのだ。

 しかし人間が相手だとそうはいかない。特に女性の心は春樹でさえ理解するのに手に余る。マニュアル本の手順どおりにいけば自分も苦労はしないと春樹は思った。

 またも相談員に頼る時期に来てしまったと春樹は認識した。

 何か兆候が見られたら医務室か相談室に連絡を入れるように春樹はいいつけられていた。それが柴田の「保護者」としての役割なのだ。

 すべてにおいて彼には悪気がない。だから性質たちが悪いのだがそうも言っていられなかった。周囲の理解が必要なのだ。

 そしてここでの周囲とは殆ど春樹のことを指していた。何か問題が起こりそうな兆候が現れたら、それを未然に防ぐよう努力しなければならない。明日菅谷すがやに相談してみようと春樹は決めた。

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