難題を抱え込む男② (環境工学科三年 西沢春樹)

 柴田しばたは思ったことをつい口にする。浮かんだ疑問を放たなければ気がすまなかった。そこには相手に対する配慮は全く感じられない。「どうしてそんなに太ったの」とか「どうして顔にぶつぶつができているの」などという外見に対する質問を平気で口にする。「ズボンがずり落ちそうだよ」などと声をかけて「うるさい」と返されたエピソードを春樹はるきも目にした。

 彼には余計なお世話という概念がないに違いない。そしていろいろなことに関してこだわりが強かった。時間に対する厳格さはクラス一だ。一分でも予定が狂うとそれを指摘する。大雑把だとかあいまいとかいったことがほとんど理解できないようだった。

 ちょうど長瀬ながせが目立った行動を始めていたのでその影に隠れることになったが、一年生の夏休みに入る前には、柴田に関してある種の発達障害の病名を囁く声が聞かれ始めた。

 もちろん病気に詳しくない者が勝手にそういうことを言ったりするのは良くないが、春樹でさえも柴田が何かふつうと異なる感覚の持ち主であり予期せぬ行動をとる人間だと思うようになった。

 そうなってくると、この変わった感覚の持ち主をからかおうとする不心得者も出てくる。屁理屈問答で柴田を負かすことで鬱憤を晴らすものがいたり、何かと柴田を焚きつけるものまで出てきた。

 ちょうどその頃柴田も春樹たちと同じように女の子に心ときめく年頃になっていた。柴田のお気に入りはもちろん何かと目をかけてくれる北見遥佳きたみはるかだったが、その時遥佳はすでに長瀬の彼女となっていたのでさすがに柴田もそれを理解して、男性として遥佳に近づこうとはしなかった。

 しかしすぐに別の女子学生を気に入り、猛アタックを始めたのだ。誰か不心得者が、柴田に彼女が気があるとでもそそのかしたに違いなかった。

 その彼女がやんわりと断りを入れても柴田は理解できない。周囲がやめておけというのも聞かずに彼女に付きまとい、クラスの仲間は徐々に見ていられなくなっていった。

 はっきりと言わなければ通じないことを理解した彼女が、あなたとは付き合えないと言っても、「彼氏はいるの? いないのなら僕とつきあってよ」「ねえ、どうしてダメなの? 僕のこと嫌いなの?」と粘りつく有様で、しまいには彼女もどうして良いかわからなくなり泣き出してしまった。

 クラスの連中は男女を問わず怒り心頭になり、「お前のこと嫌いって言ってるのがわからないのかよ」「どうして嫌いなの」「しつこいんだよ」「好きな人に好きって言って何が悪いの?」と毎日不毛の押し問答が繰り返され、相談員の菅谷すがやが間に入る事態となってしまった。

 どうにか菅谷や校医、看護師らの説得で柴田を納得させることができたが、それ以来完全に柴田は孤立している。誰も彼と関わろうとはしなくなり、彼にクラスの情報を伝える役目は春樹に一任されることとなった。

 他の同期のものたちは柴田と挨拶を交わすことはあっても、上手くやり過ごす術を身につけ、休憩時間を一緒に過ごすものは皆無となってしまった。

 それでも空気が読めない柴田はそのまま平然と図書館へ行ったり、近くにいる人間に声をかけたりしてキャンパスライフをそれなりに楽しんでいる。彼に自覚がないのが幸いだと春樹は思っていた。

 ところが話はそう簡単には収まらなかったのだ。柴田を毛嫌いするグループが、打ち上げなどに彼を呼ばないよう画策したりして陰湿に仲間はずれを敢行するようになった。

 はじめは柴田自身が気づかないために何の問題にもならなかったが、ついに実験の慰労会に呼ばれなかったことが露見して柴田の追及が始まった。

「どうしてぼくに連絡が入らなかったんだよ」

 珍しく興奮する柴田に、のけ者扱いを仕組んだ首謀者は始めこそ「ごめんごめん、つい忘れちゃったんだよ」などと惚けていたが、それが理解できない柴田に執拗に咎められて、ついに逆上し、「お前が来るとみんな鬱陶しいんだよ。酒もまずくなるし、雰囲気ぶちこわしだよ。みんなお前のこと相手にしたくないんだよ」と暴言を吐いた。

 突然地獄に落とされたような心地になった柴田は半狂乱になってその首謀者に掴みかかり、周囲の男子学生たちが四人がかりでやっとのことで止めるまで殴り続けたという。

 この問題は長瀬の問題に続いて大学で処理されることになったが、結局スマートな解決には至らず、菅谷相談員と医務室のスタッフがフォローし、同じ学科の学生たちは柴田の特異性を理解した上で冷静に対応することが取り決められた。

 しかし実情は春樹ひとりが柴田の面倒を見ている状況である。

 春樹には自分しかいないという状況におかれたら、ついそれを引き受けてしまうという損な癖があった。今回もそれが発動したわけだ。

 身近の仲間は傍観しながらも春樹を評価し、よくやっているよと声をかけてくれる。それを唯一の励ましとして頑張るしかないだろう。

 長瀬の件ですっかり男性不信になっていた遥佳が、自分のことを何かと気にかけてくれるようになったのだけは得をした気分だと春樹は思うことにしている。

 実際、あれほど憧れていた遥佳がかなり身近な存在になった。毎日一度はことばを交わす。一年以上をかけて地道に活動し、今ようやくその努力が報われて花が咲きそうな気配だ。あとは春樹自身の決断次第で、遥佳は当然のように春樹のもとに舞い降りてくるだろう。

 そろそろ思いを伝えても良い頃だと思っていた矢先だった。長瀬が復学したのだ。このエピソードが春樹の心に迷いを生じさせることとなった。

 長瀬の出現に遥佳は怯え、春樹に縋りつくような態度を示した。一気に急接近というところまで来た印象だ。

 彼女を守るためにも春樹は態度をはっきりとさせなければならなかった。しかし春樹の頭の中で、もう一人の春樹が悪魔のように囁くのだ。「お前は長瀬の元カノを彼女にするのか?」

 女性と付き合った経験のない春樹だったが、相手の女性に処女性を求めるほど頭が固いわけではなかった。遥佳が過去に交際経験があっても構わない。しかしその相手があの長瀬和也だという事実が春樹のプライドにひっかかる。

 さんざん大学とその学生たちを馬鹿にしつづけてきた長瀬を、春樹はどうしても許せなかった。

 長瀬に対する対抗心は並大抵なものではない。彼には何一つ負けたくないという激しい闘志を、春樹は穏やかな外面の中にこっそりと秘めていたのだった。それが故、忘れていた長瀬の登場が、遥佳の肖像に傷をつけた。

 長瀬のことをどうにかしないと、自分も遥佳も未来がないとまで春樹は思うようになった。

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