難題を抱え込む男① (環境工学科三年 西沢春樹)
予期していなかった出来事に
ただでさえ今自分たちは人間関係で問題を抱えている。そこへ長瀬のような厄介な男が復学してきたとなると話は余計に複雑になっていくのだ。
事実、
思い起こせば二年前、この大学に入学したての頃から短い期間だったが、遥佳は長瀬と付き合っていた。あの頃、環境工学科百人の中での美男美女カップルとして誰もが当然のなりゆきのように見守っていた。
春樹も当初から遥佳に惹かれてはいたが、何しろ女性と付き合った経験がなかった彼は、遠くから羨望の眼差しで見つめることしかできなかった。それがひと月もたたないうちに長瀬に遥佳をもっていかれ、他の同期の男子学生たちと同じく指をくわえて羨んでいたのだ。
まさか長瀬があれほど自己中心的で、女性問題を起こす男で、夏になる前に遥佳が逃げ出したくなるとは夢にも思わなかった。長瀬を遥佳から引き離すためにどれだけのクラスメイトの力が必要だったか知れない。
その長瀬は、ようやく遥佳から離れたかと思うと、次々と別の学科や学年の女子学生に言い寄り、同じような問題を起こすようになった。
目をつぶっていた大学側もついに動き出さざるを得なくなり、彼は病気という理由で休学扱いになった。
いっそのこと退学してくれれば良かったのにと春樹は正直思っている。
二年の秋から半年ほど顔を見ず、すっかり忘れていた悪夢の存在の復帰に、春樹をはじめ遥佳やクラスメイトたちはたちまち緊張を漲らせたのだった。
「大丈夫か?」
春樹は遥佳を案じた。
声もなく頷く姿は本来の遥佳ではない。はきはきとしていて誰に対しても思いやりのある遥佳はクラスでは学級委員的存在だった。講義や実習内容について教職員と交渉するパイプの役割を果たし、何か催しや連絡事項があるときは遥佳が連絡網の出発点になっていた。
その遥佳が声も出ないのだ。また相談員のところへ連れて行かなければならないのだろうかと春樹はこれ以上ないくらい心配した。
不幸中の幸いは長瀬が一学年下に留年したことだ。毎日顔を合わすことはない。
長瀬の方も先ほど会った印象では落ち着いていて、少なくとも昔のことを蒸し返そうという意思は感じられなかった。あとはこのままこちらに矛先が向かないことを願うだけだった。
春樹は、ずっと一緒にいたい思いを堪えて、遥佳を同期の女子学生たちに預け、自分はクラスですっかり浮いてしまっているもうひとりの問題児、
長瀬の顔を見るまでは彼こそが環境工学科三年の難物だった。
図書館へ行くと、閲覧室の机に柴田真宏はいた。
「おそいよ、二分の遅刻だよ」と柴田は春樹を非難した。
「ごめん、ごめん、ちょっと人に捕まって」
「誰?」柴田は思った疑問は必ず口にする。
「実は、長瀬がいたんだ」
一旦嘘をつくと、次々と嘘をつかざるを得なくなるから、春樹は正直に話した。
「長瀬和也くん? もう病気は治ったの? 良かったねえ」
柴田は長瀬の休学の事情を理解していない。理解力が乏しい柴田にまわりくどい説明はできなかったし、空気が読めない彼に遥佳ら女子学生の心情を察してそっとしておくという対応を期待できなかったから、彼に対してだけ長瀬は病気で休学したと説明されているのだった。
「また一緒に勉強できるね」と柴田は機嫌が良かった。
「それがね、彼、半年ほど休学しただろう? だからもう一度二年生をしなければいけないんだ」
「え、そうなの?」
「うん、彼も休んでいた二年生をもう一度やりたいと思っていると思うよ。ひとつひとつクリアして次の学年にすすむんだ」
噛んで含めるように説明する。もはやこれができるのは今のクラスで春樹だけだった。他のものにはもう柴田の相手は無理なのだ。
「そうだね、やっぱり二年生はちゃんとやった方がいいよね」
柴田は納得したようだ。
この男の扱いでクラスは二分するくらい激論を戦わせた。その結果今や積極的に関わるのは春樹だけになった。大半が関わりを避ける傍観者、そして一部の学生たちは柴田を完全に無視している。
はじめは少しおかしな奴くらいの認識だった。京葉工科大学の学生気質はおとなしくて根暗と巷間で囁かれているが、その中にあって環境工学科は唯一賑やかで、ある意味やんちゃ坊主が揃っていた。長瀬のようなナルシストがいても不思議ではない土壌だったのだ。
だからこそ柴田の特異性に気づくのに多少の時間を要したのだった。誰彼構わず話しかけるような学生は他にも多数いる。医務室や図書館で騒いだりして注意を受けるのも環境工学科の学生だった。偏差値が最も低い学科などと揶揄されていても気にしないくらい破天荒な学生が多かった。
一方で北見遥佳のような花を思わせる優等生がいたりして、春樹には愉快な学科であり、他の学科の連中が何を言おうと自分たちは自分たちだという自負があった。
それなのにクラスのまとまりが深まるにつれ、はみ出していくものが出始めた。長瀬は女性問題を起こし、そして柴田はおかしな言動でどんどん浮いていった。
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