監視される男は周囲に目を光らせる (環境工学科二年 長瀬和也)

 校医の輪島五月わじまさつきとの面談はあっけなく十分ほどで終了した。この一週間の行動を報告し、それを輪島がふんふんと聞いているだけなのですぐに終わってしまうのだ。

 話の内容に女が出てこなければ全く何も質問が来ない。適当に嘘を言っても通用するようにも思えるが、あいにく事実がそうなのだから仕方がなかった。

 もっとも、相談員の菅谷すがやから、輪島わじま医師はたとえ嘘を言ったところでそれを追及することなく、嘘だと思ってもただ黙って聞いているだろう、しかし記録にしっかりと残るので下手な真似はしない方がいい、と釘を刺されていたから、輪島の能力がまだ未知数の間は、和也かずやもできるだけ本当のことだけを語ることにしている。

 和也はにこやかな表情でたんたんと報告だけを行った。それでいて輪島のことも隙を見て観察することを怠らない。

 相変わらず年齢不詳の女だと和也は思う。帝都大の准教授という肩書きと、化粧が少し濃いことから、やはり三十は超えているのだろうが、ぱっと見た目は二十代だ。白い顔に切れ長の目、長い睫、はっきりとしたアイシャドウにルージュ。和也の周囲にはあまりいないタイプの大人の女性だった。体の線は細い。手首の細さ、首の細さを考慮してかなりやせている感じだ。体重は四十キロくらいなのではないか。スカートは穿かず、白衣からは黒のパンツを穿いた細長い足が伸びていた。

 過去に付き合った女たちの体を思い浮かべながら、想像で輪島五月の体を推定する。胸板がなくバストは八十を切るだろう。それでもカップはBくらいあるかな、などと想像する。腰の辺りは括れているだろうが、下腹の方に年齢から来る脂肪のたるみが意外にあるかもしれない。そして薄い体毛、棒のような腿。セックスの時はどのような顔で、どういう声を出すのか。妄想を続けるだけで下半身が緊張するようだった。

 診察コーナーの扉が開け放たれていて、見えないものの少し離れたところに学生課の課長と看護師二人がいることをわきまえていたので、和也の妄想はそれ以上進むことはなかった。

「結構です、では、また来週同じように報告してください」

 あまりに淡々と語るので、もう少し感情をこめて接してもらいたいと口にしたいくらいだった。しかし黙って引き下がる。週に一度、こうして拝顔できるのだ。それだけでもありがたいと思わなければならないだろう。和也は帝都大ブランドに心酔していた。

 医務室を退室するときに、学生課課長や安積あさか看護師から声がかかる。適当に相槌を打って、藤田看護師に手を振り、にこっと笑う彼女の顔を見て安心し、和也は医務室を出た。

 実験の合間に出てきたから、実習室へ戻らなければならない。そろそろ電気泳動も終わっているころだろう。次の手順に移ることになる。

 授業時間帯ですっかり人気ひとけが少ない。それでいて何人か歩いているところが大学なのだが、校舎と校舎の間を歩いていると、先日から何度か見かけて気になる一年生らしき女子学生の姿を見つけた。

 セミロングの茶髪、前髪が目のあたりまでかかっていてちょっと表情が読みにくい。茶色のジャケット、ブルーのミニスカート、黒のタイツというスタイルはお洒落な今風のもので、街中だと目立たないが、この京葉工科大学キャンパスでははっきりと目立つ。

 あたりを憚るように目だけきょろきょろさせて歩く様は少し変わり者に思われた。そして和也が見かけるときは大抵人が少ない時間帯にひとりでいる。

 普通なら声をかけたいところだが、ひと目でそれが適さない相手だと和也は睨んだ。

 最近の工学部にも垢抜けた明るい女の子や、派手なスタイルの目立つ女の子が見かけられるようになったが、それと同じくらいの頻度でおどおどした他人と接するのが苦手なタイプだという空気を発散した女子学生がいる。

 そして今目の前方をこちらに向かって歩いている彼女もそういうタイプだと和也は判断していた。まさに周囲から声がかかるのを警戒している様子である。

 そういう女性をナンパしても結果が得られないことを知っていたので、和也はたびたび見かける彼女をスルーしていたのだった。しかし無視できないくらい可愛い子ではある。おそらく今年の新入生の中で五本の指に入るのではないかと思う。大学にマークされていなければ手を出したかもしれないと和也は遠くから眺めるだけにした。

 彼女は明らかに和也とすれ違うべきかどうか悩んでいるようだった。

 あまりプレッシャーをかけては可哀相だと判断し、和也の方から少し道を外れて、彼女との距離を保った状態で歩くことにした。その結果、和也は彼女の後ろから少し離れて彼女を追うように歩いている男子学生の姿を見つけることができた。

 それは明らかに彼女と同期した足取りである。たまたま同じ方向を歩いているというのではない。視線は常に彼女の後ろ姿に向けられていた。

(あいつは……)

 よくいるタイプの大柄肥満の男だった。すぐに「ストーカー」ということばが頭に浮かんだ。

(この俺でさえ、ストーカー扱いされたんだ。あいつなら完全にストーカーだろ)

 菅谷に教えてやろうかという考えも浮かんだが、しばらく様子を見てやろうという気になった。

 大柄肥満の彼は、とぼとぼと歩く調子で、十メートル以上離れて彼女の後ろを歩いていた。

 やがて彼女が建築学科の校舎に姿を消すと、しばらく佇み、諦めたような顔をして重い体の向きを変え、もと来た道を歩き始めた。

 今の行動で大体の想像がつく。彼女は建築学科の新入生、そして大柄男はそれ以外の学科。和也も見ない顔だからおそらく環境工学科でもないのだろう。タイプからして応用化学科か機械工学科あたりだと和也は睨んだ。

 不器用な学生が増えたものだと和也は苦笑した。この大学レベルではそれも致し方ないか。興味を失った和也は、実験の続きを行うべく実習室へ戻った。

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