新任看護師 (保健師 安積佑子)
予想外の時間帯に
案の定、長瀬はすぐに沙希を見つけ、何やら話し込んでいる。電話の応対で席を離れられなくなった佑子は、よからぬ方向へ展開しないか、成り行きを見守るしかできなかった。
幸いなことに、電話の用事が終わると、長瀬はすぐに面談の時間帯に再来することを宣言して退室していった。
彼の姿が消えるなり、笑顔で見送っていた沙希をつかまえて釘を刺した。
「彼に何を聞かれたの?」
「は? あの、名前とか、彼氏はいるのかとか、まるでナンパでしたね」
「注意してちょうだいね、彼は要注意人物なの」
「そうなんですか? 街によくいるナンパ師かと思いました」
「ちょっと問題のある子なの。交際相手に暴力を働いたり、ストーカーみたいにつきまとったり、あげくに事件にはなっていないけれどレイプまがいのことをしたこともあるそうよ」
「ええ! 見えませんね。ただの軽いイケメンじゃないんですか」
沙希の様子には緊張感が全く見られない。そういえば彼女は長瀬と楽しそうに話をしていたではないか。
「何かプライベートなことを明かさなかったでしょうね?」
「まあ、適当に、二十二歳のバージン、なんて言っちゃいましたけど」
へへへへと笑っている。こういう明るく愛くるしいところが人にうけるのだろうが、長瀬に気に入られるのは良くない。
「で、彼は何と言っていたの?」
「『僕に処女をください』なんて、真面目に言うんですよ。これってコントですよね? 彼だって本気で喋っていないですよ、ノリですよノリ」
この子にも話が通じない時があると佑子は頭を抱えた。「全く最近の若い人は」と言えば自分の年寄り加減を露呈することになるので、口には出さなかったが、沙希には注意を与える必要があった。
「携帯とかメアドとか教えていないでしょうね。教えたら大変よ、二十四時間攻撃だってありうるんだから」
それにはさすがに沙希の顔から笑みが消えた。
「そうなんですか?」と少し顔が蒼ざめる。ことの重大性に気付いたのかもしれない。
「今度聞かれたら、教えてしまうかもしれませんでした」
全く話にならないと佑子は呆れた。しかしどうにかまだ一歩も踏み出してはいないようだ。
「――だったら、これからは彼のことを問題症例だと認識してちょうだい」
そう言ってから、佑子は
安積佑子がこの大学の医務室に勤め始めた同じ年に長瀬和也は入学した。長身でアイドル顔の長瀬は大学のカラーとは明らかに異色の存在で、数少ない女子学生たちの間ではすぐに噂と羨望の的になった。彼はそれを良いことに早速同級生の女子学生と付き合うようになった。しかし一旦付き合うようになるとその態度は一変したらしい。
彼はもともと男子学生に対して人を見下したような態度をとって顰蹙をかっていたが、女子学生に対してはなかなかフェミニストな姿勢を見せていたのだ。それなのに付き合い始めると男子学生に対するのと同じ態度となり、横柄で、時には暴力を振るうようになったという。
挙句が他の女性に手を出したりと浮気を繰り返し、それが嫌で交際を解消しようと女子学生が話を持ち出すと怒り出す始末。結局その女子学生が相談員に相談して大学側に知れることとなった。
その時の和解のためには多くのスタッフが駆り出された。女子学生側には女性相談員の
こうしてはじめの交際相手の女子学生とは大学が介入することでどうにか話をつけたが、その後も和也は目立たないように行動していたらしい。二年生の春には、またも新入生の女子学生に手をつけ、その女子学生が相談に現れたことで同じことがまた行われているという事実が大学に知れることになった。
ここで再度大学側が介入する。そして校医の輪島五月が、長瀬の人格に何らかの障害があって、それが原因で同じことを繰り返すと鑑定し、その結果長瀬は休学することになったのだった。こうして半年ほど休学した長瀬は、この春から二度目の二年生を修めるべく登校を始めたということになる。
「とにかくナルシストで、思い込みが激しい性格なの。どんな女性も自分に惹かれているという根拠のない自信が溢れていて、自分さえその気になれば誰とでも付き合えると思っているのね」
「それは、こわーい、ですね」
真剣な内容に対しても、少し軽いタッチで返事をするのは、沙希の性格によるのか。彼女なら本当に長瀬を適当にあしらうこともできるのかもしれないと、佑子はやや楽観的に考え始めていた。
この沙希のキャラクターについては、まだまだ読めないところが多い。勤務してはじめの一週間ほどは猫をかぶっていたというわけでもないだろうが、おとなしく素直に従っていた。可憐な容姿と相まって、人事課の課長などは彼女がうまく勤まるか心配していたくらいだ。ときどき医務室まで様子を見に来て、まるで佑子が意地悪をしていないか監視しているともとれる様子だった。どうしてこう男たちは可愛い若い女性に弱いのだろう。そう考えると情けなくて仕様がない。
しかし二週目あたりからは沙希も地を出し始めている。特に学生たちと戯れに会話するのが楽しいようで、まるで弟たちに話しかけるような態度で接し、それがまた評判を呼んで彼女目当てにやって来る男子学生を増やす効果となった。
正直、体調不良の学生以外が医務室を訪れることは感心しないが、やって来る者には必ず禁煙指導と飲酒に対する指導、そして肥満対策を行うようにしているので、それを煩わしいと思わない学生たちには良い効果もあるかもしれないと考えていた。
「学生たちに誘われても、ほいほいついて行っちゃダメよ」
まるで母親のように言ってしまう。それが可笑しいのか沙希はいつも嬉しそうに笑うのだった。
「大丈夫ですよ、私って、見かけよりはずっと固い女です。何しろ二十二歳のバージンですから」
「冗談言っている場合じゃないのよ」
佑子は呆れて返す。沙希はぺろっと舌を出した。
沙希がどのようなライフスタイルを持っているのか全くわからない。ここの勤務は五時で終わる日も六時で終わる日も、ほとんど定時で下校している。他の女子職員と待ち合わせて帰る様子もなかった。
毎日のように彼氏とデートをしているのか。休みの日はどこかへ遊びに出かけているのか知る由もない。しかし毎日二人でこの医務室での時間を過ごすとなると、仕事の話ばかりで時間が費やされるわけにもいかない。
何かと私的な話をしていく必要もあろう。そうなればいずれプライベートなことも話が出るだろう。まだまだ四月半ば過ぎだ。そうしたことは、これからおいおい聞き出していこうと佑子は考えた。
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