復学した男② (環境工学科二年 長瀬和也)

 窓口で名を告げると、すぐに奥から菅谷すがやが現れた。そのまま菅谷に連れられて二階の面接室へ移動する。

「どうだ、元気にやっているか」などと菅谷はすっかり中学の担任のような口の利き方だ。

 全くこの手の連中は言葉遣いからしてなっていない。俺を誰だと思っているのだと和也かずやはすっかりしらける気分だった。

「毎日何をしている?」

 安物のスチール椅子に腰掛けるなり、菅谷は話しかけてきた。仕事熱心を装っているがこいつが遊び人だということはよくわかる、そもそも相談員など柄ではないのだと和也は思っていたが、そういうことは一切表に出さず答えた。

「週に三日大学へ出てきます。それ以外はアルバイトと、ジムに通って体を鍛え、あとは勉強して、寝るだけです。食事はもちろん三度とっていますよ」

「本当か? 優等生だな。何か気晴らしはしているのか?」

「だからジムで汗をかいていれば大抵爽快になれますよ」

「そうか、なら、いいんだ」

 相変わらず遠まわしなやり方だと和也は思った。早く聞きたいことを訊けばよいのに。

「で、その、最近、そっちの方はどうなんだ」

「そっちの方、といいますと?」

 和也は意地悪な聞き返しをした。ようやく本題に入ろうとしているようだった。

「ま、その、女性関係だな、今付き合っている子はいるのか?」

 少し唾を飲み込むような仕草をしてから、菅谷は訊いて来た。

「特定の子はいませんよ」

「なんだ、そうなのか、君くらいイケメンならいくらでももてるだろう」

「もてることと、俺が好きになることは別でしょう。今は日々バイトで稼ぎ、ジムで汗を流し、遅れた勉強を取り戻す、それがライフスタイルになっています」

 自分でも調子の良いことを言うと思ったが、気にせず和也は答えた。それくらいでないと菅谷はなかなかこの話から離れないだろうから。

「でも、気になる子くらいはいるんじゃないのか?」

「何だか刑事の取調べみたいですね、いませんよ、少なくとも学内にはね」

 それを聞いて菅谷は少しほっとしたような顔をした。彼はそれを聞きたかったに違いないと和也は確信している。要するに大学内で問題を起こされてはかなわないというのが菅谷の本音なのだと和也はすっかり理解していた。

 和也にとっては今まで問題を起こしたことなど一度もない。すべては遥佳はるかをはじめとするたちが別れたあとにあれこれと誹謗中傷のうわさを流したことにあるのだ、俺は悪くない、と和也はいまだに思っていた。

 とにかく大学というところは事勿れことなかれ主義だ。学生間のプライベートなことは一切関知しないというスタイルをとっておきながら、一方で自分のようなもてる男に釘をさすというような姑息なこともする、と和也は冷ややかに見ていた。だからここで何か疑われるような煩わしいことをするつもりはない。それにレベルの低い女しかいない大学にはもはや興味はなかった。

 その後菅谷の話は数分続いたが、ほとんどが世間話のような内容で、これ以上話をしても意味がなかったので、最後の方、和也ははただ首肯するだけに終わった。


 実験が始まる一時二十分にはまだ少し間があった。そこで医務室へ少し顔を出すことにした。校医は不在だが看護師の安積あさかくらいはいるだろう。

 ドアをノックしてそのまま中へ押して入ると、安積看護師はやはりいた。となりに見慣れない若い看護師がいる。それもこの大学には似つかわしくない目の覚めるような美人だ、それに可愛いと和也は心の中で手を打った。

 突然の訪室で、安積は戸惑いを隠せないようだった。「まだ先生は見えていませんよ」などと校医の不在を説明する。

「知っていますよ、今菅谷さんのところにいって、ちょっと時間があいたから覗きに来ただけですよ」

 相手が構えないように穏やかに話す。それで安積も落ち着いたようだった。

「あの、そちらは?」と早速、目に入ったキュートな看護師のことを安積に訊ねた。

「あ、こちらね」と安積はまた別の驚きをもって和也と若い看護師を見遣った後、「この春入った新しい看護師さんよ、藤田ふじたさんというの」

「藤田です、こんにちは」

 藤田看護師は、明るく笑ってお辞儀をした。

 まだ二十代前半ではないのか、こんなところにいるなんて勿体無いと和也は余計な心配をした。

「環境二年の長瀬和也ながせかずやです、よろしくお願いします」とフルネームで自己紹介をした。気に入った相手にしかフルネームは言わない。

 男ばかりで色気のない大学内に美人の教職員は、人事課の安彦由美あびこゆみ、学生課相談員の美幌愛みほろあい、応用化学の米家聖子よねいえせいこなど数名しかいないが、その中でこの藤田看護師は、たった今和也にとってナンバーワンになった。これなら医務室も目の保養に意味がある。

 ちょうど電話が入り、安積看護師が対応している。藤田看護師が近づいてきて、和也に訊ねた。

「どこか具合が悪いの?」

 どうやらマニュアル通りの行動らしい。さきほど「ちょっと覗きに来ただけ」と言ったはずなのに覚えていないのか、それとも天然? と和也は思ったがもちろん顔には出さない。

「大丈夫です、今日校医の先生と話をすることになっていて」

「二時からなのよ」

「知っています。だからまたあとで出直してきます」

「そうしてね」

「それより、下の名前、何て言うんですか? 教えてくださいよ」

「え、私? 沙希さき」と藤田看護師は紙に字を書いた。

 ナンパだったら成功しやすいタイプだと和也は思った。これが路上なら速攻勝負なのにと残念な気分になる。

 受話器を持ちながらこちらを気にする安積看護師の顔を見ないようにして、藤田看護師にそっと囁く。

「彼氏とかいるんですか?」

「あら、随分積極的な子ね、いないわよ」

「別れて間もないんですか?」

「ううん、ずっといないの」と藤田看護師は目を合わせたまま笑った。

「歳いくつです?」

「そういうこと聞かないの」

「教えてくれたっていいでしょう、減るもんじゃないし」

「二十二」

「彼氏いない歴二十二年ですか?」

「そうよ、まだバージン」

 嘘に決まっている。藤田看護師の顔は笑っていた。年齢も詐称の可能性大だ。しかしそういう扱いには慣れている。

「じゃあ、僕に処女くださいよ」

「いやあねえ、十年早いわ」

「待ちますよ、十年でも二十年でも」

 和也は藤田看護師とのお喋りを楽しんだ。

 間もなく安積看護師が電話を終えたので、二人の会話は中断されることになった。

「じゃあ、また輪島わじま先生がいらっしゃる時間帯に参ります」

 和也は、敬礼のような姿勢を安積看護師に送って、呆れる彼女の顔に背を向けた。

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