復学した男① (環境工学科二年 長瀬和也)

 春の気候は暑くなったり寒くなったりと目まぐるしく変化するので体調管理が難しい。今日は暖かい陽気だという予報だったので、長瀬和也ながせかずやはTシャツにチェック柄の綿シャツを上着のように引っ掛けるだけの格好で登校した。

 久し振りに眩しい日差しだった。こうして少し冷たい空気の中、暖かい陽を浴びて歩くのは爽快だ。キャンパスの正門をくぐった後しばらく続く林道を和也は新しい気持ちで眺めながら、ゆっくりと歩いた。

 月曜の昼という時間帯は、登校する学生と下校する学生、ちょっと駅の方へ遊びに出る学生などが入り混じり、ひとり静かに森林浴を楽しみたかった和也の心をひどくなぶった。

(うっとうしい奴らだ)

 体ばかり大きくてをとる学生が多いのが、ここ京葉工科大学の特徴だった。彼らに体を鍛錬するという意識はないのかと和也は睨み見た。

 和也自身は百八十を超える長身で、ふだんからジムに通って体を鍛えている。キャンパス内では数少ない運動系のクラブに所属する学生たちと比較しても相当目立つ体格だった。もっともそれは週に三度ばかり登校すればよいという今の身分が可能にすることだった。

 二年生の時に半年ほど休学したから単位不足で今年も春から二年生をやり直すことになった。足りない単位をとるだけだから毎日来る必要はない。この大学は教養の二年生までは無条件に進級できるが、専門の三年へは単位が足りないと進級できないのだった。

 新年度が始まって二週間、和也はまだ登校四度目だった。ほとんどが実験系の単位なので午後からの「社長出勤」ですむというお目出度い身分だ。

 一学年下の連中とはまだそれほど話をしていない。顔と名前が一致しない者ばかりで、向こうも和也のことをどう扱ったらよいのかわからない様子だった。それは和也の姿を見つけると、さっと空気が変わり、まるで腫れ物に触るような様子になることからもわかる。

 まあ仕方があるまいと和也はひとり納得した。自分のような有能な人間が一期下の学生たちに混じって実験をしているのだ。彼らも戸惑うに違いない。ここはひとつ俺のほうから声をかけてやるか、とさえ思いつき、ひとりでほくそ笑んだ。

 しかし見渡すと、このキャンパスの学生たちには活気が全く見られない。根暗で口下手なオタクの集まりというのが和也の印象だ。

 それも仕方あるまい。所詮この大学は二流大学なのだ。そう思うともう一度帝都大学を受験しなおすかとさえ和也は考えた。

 今なら受験にそなえて勉強する時間はたっぷりとある。特に数学は大学で線形代数や微分積分を難なくこなしたのだから、文系の科目さえ得点できれば合格は容易だと思える。そもそも一次選抜という「足切り」にさえあわなければ自分は帝都大には合格できるのだと和也は思っていた。

 そうだ、そうしよう、それは良い考えだと和也は自分に言い聞かせた。自然と顔がほころぶ。今日は家に帰ったら受験勉強だと和也は意気込んだ。

 林道が途切れ、キャンパスの校舎がいくつも姿を現した。同時にうろうろ歩いている学生たちの姿も多くなる。その中に顔なじみのグループを見つけたので、和也は声をかけた。

「よオ、久し振り」

 和也が接近したのは男女入り混じった数人のグループだったが、その中の一人の女子学生は、声の主が和也だと認識すると顔を強張らせて男子学生の後ろに身を引いた。

 一年だった頃はそういう反応に苛立ったものだが、あれから二年近く経っている。今では笑い事で済ますくらい過去のことだ。

 女子学生は紛れもなく北見遥佳きたみはるか。和也がこの大学で最初に付き合った相手だった。

「何だ、長瀬、か」

 そう答えたのは遥佳を隠す形で立つことになった西沢春樹にしざわはるきだ。打ち上げなどのパーティーでリーダーシップを発揮するクラスのまとめ役のような男だった。

 頭脳は自分の足元にも及ばないと和也は全く相手にしていなかった。

「体は大丈夫なのか?」

 必要以上に強がったような口調で西沢が訊いてくるので、和也は可笑しくなった。   

 こいつらはすっかり自分を恐れている。和也は完全に優位に立った気がした。

「大丈夫だから来ているんだよ、これからは後輩としてよろしく頼むぜ」

 気が大きくなった和也はそう言えるほど余裕ができていた。

 奴らは自分の休学を病気だと信じている 。しかし和也にしてみれば、あれはちょっとした青春の暴走による停学のようなものだと認識していた。そういう事情を彼らは全く知らないのだ。

 遥佳が西沢の袖を引く様子が見えた。自分とは関わり合いになりたくないことはよくわかる。西沢もその雰囲気を読んでいるようだったので、「じゃあ、俺は用事があるから」と和也の方から彼らから離れることにした。

 和也は自身のふところの大きさに満足していた。

 俺くらい大物になるとああいう庶民にいつまでもプレッシャーを与えてはいけない、だから解放してやったのだ。

 それに比べて遥佳はどうだ。俺が女にしてやったのにあの態度は。まあ幹事くらいしかできない西沢とはお似合いだな。

 ひとり満面に笑みを湛え、和也は学生課のある四号館に入っていった。

 医務室で二時から校医の面接がある。その面接を月に一度受けることが復帰の条件だった。

 全く下らないと和也は思ったが、ここは一つ相談員の菅谷の顔をたて、その条件をのむことにしたのだった。これほど寛容な学生はいるまい。

 校医は曜日によって異なり、全部で四人ほどいるらしかったが、和也は月曜日の担当医と面接すればよいことになっていた。ちょうど午後から実験があるので時間があいた時に抜け出して五分か十分話をすればよく、都合が良かった。

 それに担当の女医は去年からすっかり顔なじみだが、外見は二十代後半に見える年齢不詳の細身の美人で、ちょっとハスキーな声が脳髄を刺激する。帝都大の准教授らしい。

 やはりこれくらいのインテリジェンスがないと俺の相手はできないなと和也は満悦していた。何なら夜の相手もしてやってもいいぜと心は常に準備万端だった。

 しかし、まずは相談員の顔を見ないとな、と和也は学生課を訪れた。


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