繊細な女性相談員 (保健師 安積佑子)

 美幌愛みほろあいに連絡を入れると、彼女は東瀬麻美あずせまみが一時間の休息を終える十分ほど前に医務室へ姿を現した。

 まずは降旗ふるはたに挨拶し話を聞こうという姿勢だと佑子は解釈した。

 佑子は美幌愛を連れて降旗のいる診察室へ入った。

 美幌愛は米家聖子よねいえせいこ藤田沙希ふじたさきらと同年代の若い女性なので、降旗に何か興味を示す様子を見せないかと佑子は若干心配したが、意に反して彼女は冷静だった。

 それ以上に降旗を見るなり、畏れとも警戒ともとれる戸惑いの表情を浮かべ、降旗がソフトに東瀬麻美の病状が内科的には全く問題ないことを語り始めると、すぐにもとの無表情な顔に戻って耳を傾けた。

 考えてみれば美幌愛は、男性が八割以上を占めるこの大学内にあって、異性と積極的にコミュニケーションをとる方ではなかったと佑子は思い出した。

 特に初対面の男性に対しては何らかの壁をつくってしまうようだ。顔を向け、耳を傾けてはいるが、心はどちらかというと閉ざしている。

 彼女が本当の意味で打ち解けられる相手は女性であってもごく一部に過ぎないという印象を佑子は持っていた。

「事情はわかりました」とだけ美幌愛は降旗に答えた。

 美幌愛は二人だけにしてほしいと佑子に言い、東瀬麻美が休んでいるパーティションと扉で仕切られただけの個室に入った。そしてひそひそと話を始めたようだった。

 こうしたやり方は彼女独特のものだと佑子は思う。もちろん相手に配慮して第三者をなるべく介在させずにカウンセリングを行っているのだろうけれど、同じ相談員でも菅谷の場合は声も大きいし、医務室でカウンセリングを行う場合はある程度ようなやり方をしていた。

 それが美幌愛の場合は様子が違う。時には首をひねるような方法をとることもあった。

 今日のような場合でも、全くこちらに何も聞かさないという方針なら、別の相談室でやってもらいたいと佑子は感じていた。

 佑子は別に美幌愛に対して反感だけを抱いているわけではない。むしろ彼女の、すべて自分に身を任せなさいといわんばかりのやり方が、彼女自身を壊していかないか心配しているのだ。

 実際、カウンセリングをしたり、学生の話を聞いた直後に美幌愛の様子がおかしくなるケースを佑子は何度か見てきた。顔色が真っ青になって、胸が苦しいと訴える彼女を見て、学生の心の痛みを自ら負っているのではないかと思ったくらいだ。このような自己犠牲的なやり方で果たして続くのかと大いに心配している。

 そのあたりのことは、心療内科担当の輪島五月わじまさつき医師に何度か相談をしているが、輪島五月は「私に任せて」と言って美幌愛が体調不良の時に診察やカウンセリングはするものの、少なくとも目に見えた効果は認められない。これで果たして良いのだろうか。

 こうした状況を目にすると、自分たちの身分が中途半端なものであることを佑子は自覚する。正規職員ではなく嘱託の身分である以上、大学に対してどこまで強い態度で職員の健康を守るよう訴えるか疑問だ。

 職員の体調管理はまずは人事課に相談すべきことなのだろうが、人事課の態度は医務室と校医に完璧に丸投げしているといった状況だ。

 校医は南部クリニックの院長であったが、激情型の院長は何かと事務方を糾弾して話をこじらせる傾向にあり、とても相談できる相手ではなかった。

 かといって心療内科で非常勤医師としてやってきている輪島五月は机上理論や第三者的な見方を示すだけで遅々として進まないというのが現状だった。

 そこで今日新たに非常勤医師として来た降旗が、精神科を専門としていたと聞いて、少しは期待したのだったが、あっさりと断られてしまったようだ。

 第一印象は若い女性の心を捉えたようだが、佑子には今ひとつの姿勢に映り、少しがっかりとしたというのが本音だった。

 やがて美幌愛と東瀬麻美との話は一段落がついたようで、二人揃って医務室のフロアに出てきた。

 ちょうど麻美の休息時間が終わったこともあり、彼女を連れてきた友人二人も姿を見せ、女子学生三人揃って下校することになった。

 東瀬麻美は少し元気が出たようなかすかに明るい微笑を湛えているようにも見えた。

 彼女たちが退室した後、美幌愛は佑子に報告をした。

「毎年春という季節は体調が悪くなるようです。特に今年は大学生になったこともあり、新たに人間関係を築かなければならないというプレッシャーが重くのしかかってきた、という言い方をしていましたね。週に一度心療内科の女医が見えているので一度相談に来たらどうかと言っておきました」

「そうですか、いろいろお疲れ様でした」

 佑子は、とにもかくにも美幌愛に対してねぎらいのことばをかけた。

 これから東瀬麻美の対応については彼女が大きな部分を占めることになるのだ。ガラスのように脆い心身をもつカウンセラーにまた一つ厄介なケースを背負わせてしまったと佑子は感じていた。

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