女性相談員 (保健師 安積佑子)
東瀬麻美がいなくなってしばらく平穏な時間帯になり、佑子は沙希と無駄話をする余裕があったが、やがて学生課から女性相談員の
「さきほど、建築学科の新入生で
「頭痛と貧血とか本人は言っていましたので、しばらくベッドで休んでもらいました。体調が悪いようなら午後の医師診察に来ると思います」
「実は今朝方、千葉ニュータウン中央駅の係員から大学の方に連絡がありまして、うちの女子学生らしき女の子が泣いているということで――」
「それが彼女なんですかあ?」
「はあ、そのようです。何でも改札口で延着証明を出して欲しいとごねたようです」
それだけ聞いても状況は全くわからない。
「とはいっても電車は全く延着していないので、証明は出せないと駅員が説明すると、突然泣き出したということでした。それで駅の方ではすっかり困ってしまって、本人に京葉工科大学の学生であることを確かめた後、大学の方へ連絡を入れてきたということです。駅員さんも親切な方たちで、ちゃんと登校したかどうか先ほど確認の連絡を入れてきましたよ」
「じゃあ、彼女は今朝遅刻してきたのですか?」
「はい、まあ、五分ほどのようですが」
「それで延着証明を欲しがったと」
「そういうことになりますね」
「もっと早く起きられなかったのかしら」と佑子は独り言のように言った。
「いや、電車の時刻には間に合ったようなんですが、駅員に語ったところによりますと、混んでいて乗れなかったそうです」
それを聞いて佑子は絶句した。確かに都会のラッシュアワーは相当なものだ。華奢な女性だと上手く乗り切れなかったり、男性の体がひしめく間に割り込むことに抵抗を覚える者もいるだろう。
「彼女は地方の出身者なのでしょうか?」
「いえ、東京です。出身校は三田女子学院ですね」
帝都大に一人二人合格者を出すレベルの進学校で、高校と中高一貫を併設する女子校だった。
「電車に乗れないというわけはないと思います」
美幌愛は付け加えた。あまり感情を込めずに報告するように語る。
「もし午後姿を現すようなら、呼んでいただけます? ちょっと話を聞いてみようと思うので」
美幌愛はそう言って退室していった。
新学期早々、サポートが必要な新入生のお出ましだと佑子は溜息をついた。それを興味深げに見る沙希に対して説明をしておく。大学生にもなって小学生並みの庇護が必要な子が必ずある種の確率で存在するということ、数少ない彼ら彼女らに対して自分たち医務室看護師と学生課相談員がかかりきりになってしまうということ。そして時には親が登場して不条理な要求をつきつけてくることがあること、などだった。
「大変なんですね」と沙希は他人事のように言った。
それを聞いて、実感のないこの子に理解してもらうには、それなりの現場を経験してもらうしかないのか、と佑子はどれほど労苦を必要とするだろうと途方に暮れるのだった。
「カウンセリングをする相談員は、菅谷さんと美幌さんの二人だけなんですか?」
「そうなのよ」
沙希の素朴な問いに、佑子は困ったような顔をして答えた。
これだけ大勢の学生と教職員がいて相談業務はたった二人で対処しなければならない。いわば大学の困難事例がすべて彼ら二人のところに集約されてしまうのだ。
もちろんこの医務室でもフォローはするが、佑子も沙希も常勤ではなく嘱託看護師であるから、時間外に勤務を拡大してまで対応する義務はなかった。
「どのように割り振っているんですか?」
「二人在室している時は、男子学生を菅谷さん、女子学生を美幌さんが担当することになるわね、でもどちらかが席を外していたりすると残った方が対応しなければならないわ」
「菅谷さんと美幌さんでは、何か、こう、タイプが違うというか、カウンセリングのやり方まで違う気がするんですけれど、そういうのでいいんでしょうか」
「仕方ないのよ、こればかりはどうにもならない。カウンセラーの裁量にすべて任されることになるわね、何しろキャラそのものが違うから」
菅谷は三十代、カウンセラーとして十年余の経験をもつ。愛想を振りまきにこにこしている外面は接しやすさを周囲にもたらす。やや女性的とも思えることばかけや仕草を見せることがあり、それを嫌う学生もいるだろうが、すべての人間に好かれるわけにはいかないだろう。
美幌は二十代半ばで、京葉工科大の相談員としては二、三年目といったところか。かなり真面目である。自分から冗談を言うことはまずない。余計な口を挟まず、人の言うことに耳を傾けることに関しては出色だった。
少し線が細く、美幌自身が精神的に不安定になる傾向があるのが佑子の気にかかるところだ。しかもこのところ胃が痛むだの頭痛がするだの訴えが多くなっており、ストレスが溜まっている様子が窺われる。
四月五月は彼女自身の体調も悪化する可能性があると佑子は心配していた。
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