医務室を訪れる者 (保健師 安積佑子)
「のどが痛いんですよ、風邪をひいちまったみたいで……」
相談員の
「じゃあ、お熱を測ってみましょうか」と沙希が体温計を差し出す傍らで、佑子は菅谷に声をかけた。
「菅谷さん、午後に先生が来られるまで、薬はお出しできませんよ。二時以降にいらしてくださるかしら?」
「おっと、今日は校医の先生がいらっしゃる日でしたか。今日はどなたで?」
「
校医は週四日在室する。そのうち三日は大学近くのクリニックからの派遣だった。そこの院長南部医師が大学の校医をしている関係で、日替わりで医師が派遣されて来ていた。
「ほう、それは楽しみですね」
「残念ながら男の先生だと思いますよ」
しっかりと釘を刺しておく。クリニックから派遣される三人の医師はみな男性医師だ。唯一帝都大から派遣されてくる心療内科の医師だけが女医で、菅谷はその女医と顔を合わせるのも楽しみにしていた。
「まあ、菅谷さん、女医さんの方がいいんですかあ?」
藤田沙希は大きな口をあけて遠慮なく笑った。三十代後半の男を笑い飛ばす大胆なところが、接しやすいと余計に人気を呼ぶ。学生たちの間ではタメ口を利けるお姉さん看護師として早くも噂になっていた。
「女医先生もいいですが、ぴちぴちの看護師さんはもっと良いです」
菅谷はいつものように馴れ馴れしく言って沙希をさらに笑わせていた。
「それにしてもよく風邪をひきますね?」と佑子は口を挟んだ。
「何しろ喋るのが仕事ですから」
それは
「三十六度八分ですね」
検温を終えた沙希が体温計を見つめながら言った。
その顔をじっと見つめながら菅谷は言う。
「ぼく、平熱が低いんですよ、五度くらいかな。だから六度八分は微熱ですねえ」
訴えの多い男が言いそうな台詞だった。
「平気、平気、仕事をしていたら忘れますよ、そんなこと」
「やだなあ、安積さん、以前はもっと優しくしてくれたのに」
「何を可笑しなこと言っているんですか、さあ、早く仕事に戻ってくださいね」
雑談話をしているわけにはいかない。まだ九時過ぎ、今日の勤務は始まったばかりだ。春の健康診断に向けて準備が山のようにあるのだった。
「じゃあ、二時以降にまた来ます」
それだけ言うと、懲りない菅谷は出て行った。
やっと静かになる。
「菅谷さんて、本当に相談員なんですかあ?」
沙希はものを訊ねる時に語尾を延ばす癖があるようだった。男たちにはそれが可愛く感じられるのかもしれない。
「あれでもカウンセリングのときはもっと違う顔になっているのよ」
どうしてそれほどまで使い分けができるのかというくらい、菅谷は表情を変えることができる男だった。
「へええ、見てみたいです」
沙希は興味深げに呟いた。
「いずれ、すぐに見ることができるわよ」
それも四月中にねと佑子は思った。
それからほどなくして、ドアがノックされた。「はーい」という沙希の声に反応して、
初めて見る顔、あるいは新入生なのかもしれない。髪はセミロングで今風の茶髪、まだ寒い日だったので茶色の革ジャンにベージュ色のマフラー、黒っぽいシャツ、鮮やかな赤いミニスカートに黒タイツ、そして黒のスニーカーだった。
ちょっとアンバランスなところがあるが当世の女子大生といったいでたちだ。表情は硬いもののかなり可愛いのでキャンパスでは目立つだろう。
どうして良いのかわからない様相だったので、佑子は慌てて傍に歩み寄った。
「どうしたの?」
「あの、その……」と何やら口ごもっている。それも声が小さくて聞き取りにくい。
「どこか具合が悪いの?」
「はい、あの頭痛で、貧血で、その、しばらく、休ませて、もらえませんか?」
どちらかというと華奢な方だが、今の女子学生の平均的体格と比較してそれほど線が細いというわけではなかった。身長は百六十前後、体重は四十五キロ前後といったところか。しかし顔色は確かに蒼ざめていた。
「じゃあ、休んでいく? でも規程でベッドを使用できるのは一時間と決められているの。それでも良い?」
佑子が優しく訊ねると、女子学生はうんと頷いた。
沙希にマニュアル通りにカルテを作成させ、女子学生に氏名、学科、学年、住所、連絡先などを記入させた。
「授業はどうなっているの?」と訊ねると、先生に断ってから出てきたと答えた。
沙希が女子学生をベッドに案内して寝かせている間に、記入されたカルテを確認した。
それらを見ながら、何だか長い付き合いになりそうだと佑子は予感した。
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