医務室 ―迷える子羊と狼―

はくすや

医務室の業務 (保健師 安積佑子)

 大学の医務室というのは、病院勤務と比べてふだんは静かで穏やかで、悪く言えば人が来ず閑散としていて、時には時間が経つのさえ非常に長く感じられる夢のような職場だと、安積佑子あさかゆうこは、京葉工科大学医務室に嘱託職員として採用されるという話を友人の看護師に話したときに、揶揄されるかのように言われた。

 三年目の今となっては当たらずといえど遠からずといった心境だ。

 医務室の利用は殆どが応急的である。体育の授業で突き指した、捻挫したというものから、実験中にガラス器具が割れて怪我をした、薬品が目に入ったなどといったことが、毎日ではないがひと月のなかでは必ず起こった。

 それらに適当な処置を施すなり、近辺の医療機関を受診するよう指示するなりして定時の業務を終える。

 ただそれだけなら楽なことこの上ない。しかしそれで終わらないところが若者が集まる大学というところである。

 理工系の大学ということで、キャンパス内には学生と教職員を合わせると五千人を超える人間がいることになる。もちろん全員が登校していると仮定しての話だ。

 しかしそのうち医務室を利用する人間はごくごく限られる。応急手当を必要とするものを除き、定期的に訪れる者はおそらく数十名だろう。

 しかし医務室はまさにこの数十名のために存在しているといっても過言ではなかった。他人には大げさな話になるが、彼らにとって医務室はまさに生命の源であり、最後の砦であった。

 休養室として用意されたわずか三床のベッドには、決まった顔ぶれが順に集まってきたし、校医が在席している時間帯には薬をもらおう、話を聞いてもらおうという学生や職員が次々とやって来た。

 その利用状況を見るや、まるで近年の日本人が脆弱化していくさまを見せ付けられているようである。

 どうしてこうも人間は弱くなってしまったのだろう。それほどまでにストレスが増えたというのだろうか。そしてそのストレスに対する反応が年々過激になっていくようだ。


 特に年度の変わり始め、この四月、五月は要注意の時期だ。登校してくる学生の数が半端ではない。真面目に全員が出てくればこれほどたくさんいるのだと改めて思い知らされる。

 そして環境の変化に耐えられない新入生が医務室を訪れるのもこの時期がもっとも多かった。

 今年はさらに追い討ちをかけられるかのように、相方の看護師が新しい人に替わったのだ。

 この医務室は二人の看護師で業務を行っている。一日中一緒にいるわけで、訪室者がいないときは部屋に二人きりになってしまうから、世間話をするなどしてコミュニケーションをとる必要もある。

 前任者は年配の看護師で、少しペースが遅く、物忘れをするなど、任せっきりにできないところもあったが、話好きで面倒見もよく、先輩として教わるところもあり、安積佑子は安心して日々の業務に専念することができた。

 その年配の看護師が定年ということで退職し、新しくやって来たのがまだ二十四歳の、大学を卒業して二年の臨床経験しかない若い看護師だった。

 当然のことながら四十二歳の自分が何から何まで手取り足取り教えなければならない。最も気を遣う新学期の時期に新人の教育をしながら仕事をしなければならないことに佑子は格別なストレスを感じた。

 もはや日本人が弱くなったなどと言っていられない。それはまさに自分のことではないかという気分である。

 しかし新学期を向かえて一週間を過ぎたあたりから、少なくとも同僚については杞憂に終わりそうだという気がしてきた。年が離れているからそれなりにジェネレーションギャップを感じることもあるが、なかなか人懐こくて可愛い子である。一緒にいて間が持たないということはなかった。

 ただ必要以上に可愛く美しいというのが玉に瑕だった。それで余計な訪室者が現れる。若い美人看護師目当てに、何かと症状を訴えてやって来る不逞の輩が増えた。全く余計な仕事は増やさないで欲しいと佑子はときどき思う。

 今日も午前九時過ぎから学生課相談員の菅谷龍司すがやりゅうじがやって来た。


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