第7話「いつもの朝がちょっと変わった」

 俺は学校に行くために家を出た。

 いつもの朝、いつもの通学路。何も変わらない。それが心地いい……と思っていたのだが、ちょっと困ったことがあった。


『ねぇショウタ、昨日ね、ママに日本語教えてもらったんだー! だいぶ言えるようになったよ!』


 流暢なフランス語が隣から聞こえる。何度も言うがここはフランスではない。日本だ。

 リリアさんが朝からご機嫌だ。ニコニコ笑顔で「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ……」と、さらに先まで日本語を話す。ま、まぁ、楽しそうで何より……。


『そ、そっか、リリアさんのお母さんって日本語話せる人なのか?』

『うん、ママは日本人なんだー。今まではあんまり日本語教えてくれなかったんだけどね』


 なるほど、お母さんが日本人だったか。なんとなくリリアさんがハーフっぽい顔立ちなのもうなずける。今日も明るい栗色のショートカットが可愛く見えた。


 ……ちょっと待て。そんなことはどうでもいい。リリアさんがフランス人なのか、ハーフなのか、俺には関係ないことだ。

 そしてなぜ俺はリリアさんと一緒に登校しているのか。まぁ家のマンションが一緒だったというミラクルはあったのだが、別に一緒に登校する必要はないような……たぶん電車の乗り方も分かっただろうし。

 でも、ちょっと気になったことを訊いてみることにした。


『あ、リリアさん、なんで俺の家が分かったの? 三階なのは知ってたとは思うけど……』

『ああ、パパとママに訊いたんだよー、わ、わた、ワタヌキ? ってお家どこ? って!』


 ああ、なるほど、お父さんとお母さんに訊いたのか。うちのマンションは一応下のポストに各家庭の名字が書いてあるし、表札にもきちんと名字が書いてある。お母さんが日本人であるならば、綿貫と聞いて分かったのもうなずける。


『そ、そっか、まぁお母さんが日本人なら、分かるか……』

『うん! それでショウタに会いたくて、朝から突撃しちゃった! あ、もしかしてショウタ、寝てた?』

『い、いや、俺は朝早いからな、勉強して朝ご飯を食べて、のんびりしてたところだ』

『ええー! ショウタ、朝から勉強してるの!? 偉いなぁ、私も真似しようかなぁ』


 そう言ってリリアさんが、「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」とまた楽しそうに言っていた。ま、まぁ、言葉を覚えたら言いたくなる気持ちも分かる気がする。


 ……ちょっと待て。やはり俺は待ってばかりだな。そんなことはどうでもいい。うちが分かったとか、言葉を覚えたとか、俺には関係ないことだ。やっぱり俺おかしいんだな。体調には気をつけておこうと思った。


 結局、リリアさんと一緒に学校まで登校することになってしまった。な、なんか他の人にちらちら見られていたような気がするが……まぁ、どうでもいい。


「リリアさん、おはよー!」


 席の近い女子が登校してきて、リリアさんに挨拶をしていた。リリアさんも笑顔で手を振る。女子は俺には何も言わない。そりゃそうだ、俺はひとりぼっちだからな。

 さて、予習でもするかと教科書を取り出していると、


『ねぇショウタ、おはようって日本語でどう言うの? さっきの挨拶?』


 と、リリアさんが俺に訊いてきた。あ、おはようか、そういえばリリアさんと日本語で挨拶したことなかったな。


『あ、おはようはこう言う』


 俺はフランス語でそう言った後、「おはよう」と続けて言った。


『あ、なるほど! オハヨウ、か! 覚えたかも!』


 リリアさんは笑顔になって、「おはよう、おはよう」と繰り返していた。なんだかそれも可愛らしいなと思った。


 ……ん? 可愛らしい? 何を考えているのか。そんなことはどうでもいい。とにかく今は予習だ。一時間目は地理だったな。俺が教科書に目を通していると、


『ショウタ、勉強してる? あ、これフランス! 私住んでたよ!』


 と、リリアさんが教科書を指さして言った。ああ、やはりフランスに住んでいたのか。まぁフランス語を話しているからそうかなとは思ったが。


『あ、そっか、やっぱりフランス出身だったのか』

『うん! えっと、リヨンって街に住んでたよ。中心部じゃなくて、ちょっとだけ離れていたから、なんかのんびりしたところ!』


 リリアさんが嬉しそうに話す。リヨンか、たしかフランスで三番目に人口が多い都市だったか。なんかのんびりしたところか、きっと日本とは違う街並みなんだろうなと思った。


 それからリリアさんがフランスのことを教えてくれた。まぁ、俺には関係ないが、外国のことを知れるのはいい機会だ。俺は心の中でそんなことを思っていた。

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