第3話「ひらがなかけた」

「じゃあ、二年生最初の授業を始めます。みんなちゃんと聞くようにー」


 現代文の先生は女性の優しい先生だ。俺も真面目に授業を受けるつもり……なのだが、困ったことがあった。


『ねぇショウタ、これが日本語だよね? 私、ちょっと勉強してきたから分かるよ!』


 俺の隣から流暢なフランス語が聞こえる。空耳でしょうか。いいえ違います。ニコニコ笑顔のリリアさんです。

 机を俺の方にガッツリくっつけて、まさにお隣さんはご近所もご近所。ちょっと左を向くと目の前にリリアさんの顔がある……って、それはさすがに近すぎる。


『わ、分かったから、もうちょっと離れて……』

『そぉ? あ、ショウタ恥ずかしいの? 私が女の子だから?』

『い、いや、まぁ、それもあるけど……』

「綿貫くん、ごめんねー、リリアさんにはひらがなとカタカナのテキスト渡してるから、ちょくちょく見てあげてくれる? 私は英語もフランス語も分からないのよー」


 先生が優しい声で言った。現代文の先生は一年の時から変わらないから、まぁ俺のこともよく知っている……のはいいとして、うちの先生は英語もフランス語も分からない人多すぎないか。よく転校生でリリアさんを受け入れたな。


 ……そこまで考えて、どうでもいいと思い直した。とりあえずリリアさんを見ると、あ、い、う、え、お、と丁寧に一つずつ書いている。おお、勉強していたというのは本当みたいだな……あれ?


『あ、リリアさん、あとおが逆になってる』

『えっ、そうなの? なんか形が似ているから分からなかったよー』


 まぁたしかに、似ているといえば似ているな。なるほど、ひらがなに慣れていない人にとっては同じように見えるのかもしれない。他にもあるかも。

 ……って、いかんいかん、俺も真面目に授業を受けないと。


「――という、谷川俊太郎さんのこの詩にこめられた、彼の心情というものは――」


 先生が説明をしている。俺は黒板に書かれた文字だけでなく、先生の言葉もササッとメモをするようにしている。どこに何があるか分からない。授業は真面目に受けないと。


 ……しかし、この先生はあまり怒らないからか、クラスの中には寝ている者、違う科目の予習をしている者、こっそりスマホをいじっている者、そういう奴らがちらほらいる。まぁ他人はどうでもいい。そんなことをしている奴らには俺は負けるつもりはない。


「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」


 その時、隣でいきなりリリアさんが音読を始めた。書けたのが嬉しかったのか……じゃなくて、こ、声が大きい……みんながこちらを見て、そしてヒソヒソと話をしている。な、なんか俺も共犯と思われていないか……?


『り、リリアさん、もうちょっと小さな声で……いや、声は出さずに黙読を……』


 俺は慌ててフランス語で話しかける。


『あ、ごめんごめん、嬉しくてつい』

「あらー、リリアさん、さ行まで書けてるじゃない。ちょっと勉強してきたのかしら」


 先生がやって来て、リリアさんの字を見て言った。リリアさんは先生と俺を交互に見ている。おそらく日本語が分からなかったのだろうなと思って、先生の言葉を翻訳してあげた。すると、


「うん、わたし、すこし、べんきょう、した」


 と、日本語で言った。周りから「おおー」という声が上がる。な、なんか恥ずかしい気持ちになるのは俺だけなのか……。


『あと、ショウタにひらがな習った! ショウタ優しい!』

「あらー、そこはフランス語か、分からないわー、綿貫くん、なんて言ってたの?」

「……あ、お、俺が少し教えてあげて……優しいと……」

「そうなのねー、いいことよ。リリアさん、綿貫くんから優しく教えてもらってね」


 そ、それを翻訳するのも恥ずかしいが、リリアさんが俺を見るので、先生の言葉を伝えてあげた。リリアさんは『うん! ショウタ、もっと教えて!』とやる気を見せていた。


「よかったわー、綿貫くんが隣だったら安心ね、私は日本語しか分からないから恥ずかしいわー」


 だ、だからこの学校の先生たちは大丈夫だろうか、なんで転校を許したんだ……まぁ、ひらがなが少し書けて嬉しそうなリリアさんを見ると、俺も嬉しい気持ちになった。


 …………。


 いや待て待て、嬉しい気持ちってなんだ。もしかして俺はリリアさんの友……そんなものはどうでもいい。俺は俺らしく、今まで通り勉強を続けるのみだ。

 俺は心の中で気合いを入れ直していた。

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