深縹
「
暗闇の中、ゴソゴソと動く音がする。何かを探すようにゆっくり手が伸びてきて、よそよそしくこの手と重なった。触れ合う指を絡めとって、声を聞こうと寝返りを打つ。なんとなしに視線が繋がった。彼は大きく数回瞬きをすると、そわそわと視線を泳がせて繋がった手をぎゅっと握る。
「その、もし、喋れそうだったら。すこしだけでも話がしたくって」
「もちろん。あなたのお話、聞かせてくださいな?」
「君の話も聞きたい」
「いくらだって」
私がそう返すと嬉しそうに微笑んだのが、薄暗くとも手に取るようにわかる。またガサゴソという音と共に手が伸びてきて、夫の手はそっと妻の頬を撫でた。
「ありがとう。…………どうしよう。でも何から話せばいいか……」
「そうしましたら、そうですわね……あっ!お歌……、あの松原のお話を聞かせてくださいまし」
「えっ!あ、あれ?!」
「ダメなんですの?」
頬に触れた手にそっと上から自分の手を重ねて、上目遣いで訊ねる。ぴくりと指先が震えて、恥ずかしそうに目を泳がせる背の君。――おかしいわね、もう四十過ぎてるはずなのに、こんなにも可愛らしいなんて。
「ダメじゃないけれど、いや、その……」
「素敵なお歌でしたわ〜、あなたがそんなにも恋しく思ってくださっているなんて、もう私、嬉しくて嬉しくて」
「恥ずかしいや」
「でもそれ以上に心配で……」
「はえっ」
夫は素っ頓狂な声を出して、二、三度ぱちぱちと大きくまばたく。
「だってあなた、今でこそ立派な見た目になられたけれど、中身は変わらず寂しがりだから。また変なこと考え出してあらぬ方向行ってないか心配でしたのよ」
「そ。そんな、大丈夫だったよ!……たぶん」
頬をふくらませて、でも自信なさげにそう言う夫。それがあまりに愛らしすぎて、ふふふと微笑む妻。
「そんなこと言うけれど、君だって寂しかったんだろう?」
妻の様子を見て安心したのか、今度は何故か夫の方が自慢げな顔になって言う。
「僕と一緒に、見たかったんだろう?雪」
「これからいくらだって見れますわ」
「僕と一緒に?」
「ええ。だけれど、あなたと一緒でしたらあったか過ぎて、溶けてしまうかも」
「それはいけない。雪じゃなくて雨になっちゃう。降り落ち終わった雪を一緒に見るだけなら、いくらでも取りに走らせるんだけど……」
「あんまり官人たちを困らせないの」
「はぁい」
夫は親に諌められた子供のように気の抜けた返事をすると、仰向けに戻って瞳を閉じた。絡まりあった指は、そのままにして。
妻はそんな夫の様子を見ながら、何かを決心したような凛とした表情になって彼を見つめる。
「ねぇ、あなた。これからどうするおつもりなの?」
「どうするって?」
「本当に、こちらに遷都なさるの?」
「……うん。まだ何にも出来てないけど、そのつもり」
「そう……」
「あとね、考えてることがあるんだ」
ゆっくりと目を開くと、じっと天蓋を見つめたまま、隣に語りかける。
「春にさ、行っただろう?河内の……」
「えぇ、あの、大きな仏様の」
「うん。あれを……造りたいんだ、僕も」
「あら」
「まだ、誰にも言ってないけどね」
ちらりと妻の方を見ると、驚いたような、分かっていたというような、えも言われぬ微笑みを浮かべて夫を見つめていた。夫は照れ臭そうにまた天井を見ると、少し目を伏せて、呟く。
「今は皆の心が、バラバラだ。皆疲れて、苦しくて、悲しくて、下を向いてる。だけれど、皆で力を合わせて見上げるまでの仏様を造れば、きっと見上げて……ひとつに……って思うんだ」
思わず繋がっている手に力が籠って、今にもぎりりという音がしそうになる。されど妻は微笑んで、寧ろ灯台に揺らめく一筋の明かりのような優しい光を宿して目の前の彼を見つめている。
「とても……とても良いお考えだと思います。私も勿論、あなたをお支え致しますわ」
「ありがとう。まぁ、まだなんにも決まってないんだけどね」
夫は朗らかに笑いながら妻へ向くと、目の前の妻も鏡で写したように柔らかに微笑んだ。須臾、頭の後ろにびりりと鈍痛が走る。吸い寄せられるように、この両腕が彼女の背にまわって行く。彼女はまるで"ここが在るべき場所"とでも言うようにこの胸の内にゆったり収まって、その熱を胸から胸へ伝えてくる。抱きしめたまま深呼吸すると、幸せな香りで満たされて、苦しい。決して傷つけたく無いのに。我が思いのままに、その瓣を散らさせたくなる。
「………ぁぁ…あすかべ……」
「ふふ……なんですの」
「やっぱり、君が居ないと、駄目だ」
「はいはい」
同じように我が背に回された手がゆっくりとその場所を叩く。幸せそうに目をつぶって、この胸に頬擦りする。堪らなく愛おしい、我が妻。
どうか、明日の朝日が少しでも寝坊して昇る事を願って。
「おやすみ、安宿」
「おやすみなさい、あなた」
再開の夜 木春 @tsubakinohana12
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