第2話 初対面(2)
002
始業式当日は色んな意味で遅れを取っていたが、二日目である今日はその逆だった。なんなら昨日の分の遅れを取り戻せる程に正反対で、真逆だった。
昨日の帰り際、軍人先生に「初っ端から悪いけど日直の仕事を頼みたい」と言われてしまった出席番号一番の僕は、日直の仕事をする為に誰よりも早く学校に出向いているという訳である。にしても、あの教師は悉く唐突が好きらしい。
現在時刻は六時三十分。学校に侵入できる時刻で最速なのは同時刻であり、昨日のように生徒の姿は見当たらなかったがこれまた違う理由で今日は見当たらない。見当たらないということは間違いなく僕が最速であり、仮に教室に誰か居たとなれば、そんな輩は校則を知らない不躾者ということになる。
これまた昨日のように、庭園のような中庭を経由して昇降口まで闊歩した。早朝の澄んだ空気が美味しい。東京でも、朝の空気は気持ち良く感じるみたいだ。
この学校には上履きというものが存在しないので、僕は下履きのまま廊下を歩く。
昨日のように廊下を歩き、昨日のように階段を登り、昨日のように教室のドアを開け、昨日のように先客がいた。
は?
「誰だ…?」
咄嗟に出た言葉がこれだった。校則に従順な僕を尻目に『校則なんて知ったことか、やりたい奴だけでやってれば良い』なんて態度をしている。比較的感情を表に出すことの少ない僕でも驚く時は驚くし、ただ表に出ないだけなので顔は平静でも内心ビビりまくってる。
それにしても何なんだコイツ。開始二日目で校則を破るとは。...
確か、僕のクラスには僕以外の殆どの人間が学級委員長に立候補していたはず。ならばこういう模範的でない行動は控えるべきなんじゃないだろうか?
こんなにも言動が一致しない人間はそうそう存在するものじゃないが、生憎僕はこんな奴を見たことがある。それも昨日。二十二時間前くらいに。
「讒謗律蒼薇です。以後お見知り置きを」
「ちょっと失礼かもしれないが、君みたいな人をお見知り置いときたくないな」
素直な意見だった。
僕がこんな奴と仲良しこよしにやっていたら身体が持たない。元より、平和を望んでいるのに。
「それは困るわね。此方はお願いがあって貴方を待っていたのに、それじゃ無駄足というものです」
自分の事情を全面に押し出してくるタイプか。傲慢だ。
「僕を悪者みたいに言うなよな。...一応、聞くだけ聞いておくよ、僕が少しでも疑われる可能性は摘んでおきたい」
本当に一応、興味本位で質問してみた。正確に言うならば、興味本位と社交辞令とでも言うべきか。
態々願い事があるのにそれを言わないということは『ぜひ質問してください』と言ってるようなものであり、それを汲み取れないほど浅慮では無いし、それを敢えてしないほど性格は捻くれていない。
「私の協力者になっていただけないかしら」
そうきたか。
協力者というのは言わずもがな、学級委員長の件だろう。こういうものは個人競技だと思っていたが、案外そうでもないらしい。流石は先進校だなあ。
讒謗律は続けて語った。
「昨日の立候補者確認の挙手の際に、手が挙がっていなかったのは貴方だけでした。こういう競争ごとにおいて協力者は必要不可欠でしょう?別の候補者を説得させて懐柔するよりは、言ってしまえば無所属の貴方に協力してもらう方が手間が省けて楽なのよ」
慇懃無礼な奴だ、本当に。
それってつまり、協力者というよりは下男に近いんじゃ。...
ここは、やんわり断るのが得策だろうか。
「皆皆が挙手してる中、一人だけ手を挙げない積極性に欠ける人間だよ、僕は。仮に協力することにしたって讒謗律さんの役に立つ可能性は低いかもしれない」
「積極性と実力の因果関係は無いでしょう?やる気がなくとも結果の伴う人は一定数いるはずよ」
「確かにそうだ。が、その一定数はごく僅かだよ。見た事ない訳じゃないが、一千人に一人とかそのレベル。まあ確率の話はどうでも良くて、僕はそういうタイプじゃないってことが言いたいだよ」
讒謗律は笑った。笑ったというよりニヤけたような顔だった。
「私は無知で無策なまま、貴方に直談判してる訳じゃないのよ」
そんなことを言ってこっちを睨んでくる。
そんなに睨んでも僕は動じないが、どんな知識や策があるのか気になったので続きを待った。
「中学の時は色々やってるみたいね。県内じゃ最大規模の暴走族の特攻隊長をやってたとか。その後は紆余曲折あって勉強に路線変更したみたいだけど、全国百位以内とは素晴らしいものね」
何故知っているんだろうか。地元の不良の情報なんて検索エンジンじゃ出てこない。それに模試の順位なんてものは受験者のプライバシー云々で公表されるものでも無いと思うが。仮に公表されたとしても塾内や学校内であり、第三者に漏れるだなんて事は確実に無い。と思う。そのはずである。
「脅しのつもりでやってるのか分からないが、何が言いたいんだ?」
「貴方の才能が欲しいのよ」
「....」
僕の才能?
やっぱり、コイツは僕を手駒にしようと企んでいるわけなんだな。人の下に着くというのは、それ相応の敬意とか、こちら側の利益だって必要だろうが、今のところそんな物はない。
それに、そもそもの話になるが、僕には特出した才能はない。落ちこぼれないように適当にいなしているだけだ。
「とにかくね、貴方に協力してほしいの。勘違いしないで欲しいのは『挙手してない余り票』だから協力してほしいわけじゃないってことよ。確かにさっきそうは言ったけど、ラストワン賞が大当たりみたいな感じで思ってくれて良いわよ」
なんだか例えが分かりづらい奴だな…。
随分と僕を買っているらしい。そんな出来上がった人間じゃないと思うが、他人からの評価というのは時に鬱陶しい。
まあ、ここで賛否を返答するのは正解とは言えないだろう。僕が協力するか否かだが、僕はあくまで自己中心的だ。他人のことなどは、多少の情は持っているにしても、初対面の人間などにかける情こそは持っていない。
しかし、ここで単に断るというのは『相手が交渉を持ちかけているのに譲歩もしない薄情な人間』と思われてしまうのだろうか。
心外だ。
そうすると、やはり議題はここになる。...
「僕にとっての大当たりはなんだ?」
「それは『こっちに得がない』という意味かしら?」
「言葉を選ばなきゃそうだな。はっきり言って、僕が協力して讒謗律さんが学級委員長になったところで僕に得なんて一つたりとも存在しない」
尽くしてあげる、つまり奉仕することに問題は無いと思うがそれと同時に僕がやるメリットもない。
讒謗律の言う通りに僕がやろうと思えば何でもできるタイプなのであれば、尚更僕に対して何も無いというのはおかしな話になってくると思う。
つまりは『僕を高く見ているようで低く見ているんじゃないか?』ということだ。
「同じ事を二度も言わせないで頂戴。私が無知で無策なまま貴方と話していると思わないで」
確かにそんな事を言ってたな。じゃあどんな知識を使いどんな策を弄しているのだろうか。
「貴方の願い事を、何でも十個叶えてあげるわ。私の目的に支障が出ない程度ならね」
「何でもじゃないじゃ無いか、そんな前提があるなら」
讒謗律は呆れたような目をしてこちらを見て来た。
「そういう野暮な事を言う人だったのね。まぁいいわ。学級委員になる事を辞めざるを得ない事以外なら何でも良いと言っているのよ。可能な限り叶えるわ」
深窓の令嬢だったり気品があるだったり、色々形容していたが、どうやら本当にお嬢様らしい。『金に物を言わせるタイプ』のようだ。
「僕が九個目まで願い事をしたとして、それで逃げたらどうするんだ。そうじゃない保証なんて、どこにもないだろ?」
「杞憂ね。しっかりとルールを設けてあるわよ」
これまた讒謗律はすこしニヤけた顔で説明し始めた。ニヤけた顔と言うよりは余裕ぶった顔と言った方が的を得ているかもしれない。
「貴方のお願い事が一つ叶うごとに、貴方は私に一割協力してほしいの。例えば貴方が一つお願い事を叶えてもらったとするならば、私の頼み事を十回に一回は聞いて欲しいのよ。簡単でしょう?貴方に人情というものがあれば成立するルールだと思ってるわ」
確かに理にかなっているが、一回でもお願いをして叶えられてしまえば大小問わず僕は協力せざるを得ないという事だ。はっきり言えば嫌だ。めんどくさい。
「じゃあ、僕に人情が無いとしたら?」
「それなら後悔するだけね。私がそういう人に交渉したことをね。ただ、忘れないで欲しいのは『貴方が中学時代どんな環境にいたか』を私が知っていることね」
それは、僕がコイツのお願いを聞かざるを得ないということじゃ無いか。いやしかし、人情を話に持ち出したには、コイツにだって人情があるのだろうからそんな非道なことはしないか...?
いやまて。それにしたって、多分僕がずっと拒絶を続けてたとしても、この女は一生追いかけて来そうな感じだ。もしかしたら家を出たら待ってる、目覚めたら横に立ってる、なんてこともあり得る。
これは本人と話して初めて体感できる、分かるものなのでどれだけ綴ったとしても理解はして貰えないと思うが、とにかく頑固と言える。
…仕方がない。この方法は僕の評価も下がるし、あまり社会的に良い方法とは言えないが、こういうプライドの高い、誇りのある人間を折らせるには相場が決まってる。
お願いを叶えてもらうなら叶えてもらえないようなお願いをすれば良いだけ。
あくまでも、ルールに則っているだけ。
「それで?貴方は承諾してくれるのかしら」
「何でも、って言ったな」
「....ええ、可能な限りなんでもよ。お金でも何でも贈呈できるわ」
「そうか、お前の裸を今すぐ見せろ」
「…」
腐ってもコイツは女だ。流石に貞操観念たるものはあると思っている。プライドの高いこういう奴が劣情に屈するなんてことは万一に無い。物語の話じゃ無く、現実的に考えてこんな事を言われて実行する女はいない。火を見るより明らかである。
讒謗律は動揺してるのか分からないがキョロキョロしている。意外だがコイツにも有効打だったのかもしれない。いや、確信を持っての発言だったので『意外にも』というより『流石に』の方が正しいだろうか。
こんな事を言った直後なのであんまり凝視できるわけがなく、視界に讒謗律を入れないように口を開ける。
「残念ながら、『何でも』なんて言ったらこういう事になってしまう。讒謗律さんにどれだけの財力があって、どれだけ度胸があっても限界はある。僕は何を言われようと協力するつもりはないし、一回この話は白紙に——」
「もうこっちを見て良いわよ」
話を遮られた、と同時に。
目前には裸体の女性がいた。裸体の女子であり裸体の讒謗律が立っていた。
正真正銘の裸体であり、衣服の一つも着けていないのは勿論下着すら無かった。
万一の一を引き当てたらしい。
「………??」
流石に言葉が出てこない。なんて奴だ。力量を見誤った。
確かにやれと言ったのは僕だから、やっておかしい事はないだろうが、やったらおかしい事なのである。僕はこいつを過小評価していたのかもしれない——普通の女子高校生かと思っていたのかもしれない。
それは大きな勘違いで間違いだった。
「随分私を小さく見ていたらしいわね。あまり舐めないで頂戴、箱入り娘だなんて思わないことよ」
散らかった衣服の上から、そしてはるか僕の頭上から話してきた。敵わない、というのが正直な感想だった。
さっきのキョロキョロは周りに人がいないかの確認をしていただけだったのか。まるで見当違いな考察をしていた自分が恥ずかしくなる。
「堪能し終わったら教えてね。暦上は春だけど、まだ寒いから」
「も、もういいよ…」
少し食い気味だった。
「あら、あんまり見てないんじゃ無い?勿体無いと思うけど」
「もういいよっ!!」
今度は怒鳴り気味だった。
「そう」と呟いて、讒謗律は服を着用し始めた。普通の高校生はここまでやらないが、讒謗律は普通にやってのけた。讒謗律は普通の高校生じゃなかった。
顔色ひとつ変えず、動揺の一つも見せずに脱衣をするとは、どこまでぶっ壊れてる奴なんだ、讒謗律蒼薇という女は。流石の僕もシャッポを脱ぐ他ない。まぁ彼女はシャッポ以外にも全てを脱いだ訳だが。
正直、今の時点で彼女以上に学級委員長の器として相応しい人間がいるかどうかと聞かれれば、僕には『いない』と答える他無いだろう。こんな頭のイかれた奴が学級委員長とは片腹痛いと思う人もいるかもしれないが、僕が常々言っているように人間は自己中心的なエゴイストである。
だからこそ自分の利益を優先したがるわけだが、仮に自分に有益だとしても少し踏み入れた先に損があるとすれば躊躇するのが普通の反応だ。ただ讒謗律は普通じゃない。普通のタガが外れてしまっているしセーフティーガードはどこかに捨てて来たらしい。
どんな損でも、きっと彼女にとっては瑣末な事に過ぎず大いなる目的の為には厭わないというのが彼女にとっての普通なのだ。常人とは違う。
これは見方を変えれば、言葉を変えれば、学校をよくするという目的の為なら、誰かの為に何でもできる人間という素晴らしい模範生に生まれ変わる。つまりは学級委員長に相応しいという事だ。
学校を良くすることが自分に得だと仮定した場合の話だが。
「ねえ」
と、讒謗律はワイシャツを着ながら一言。
先程までの彼女とは違うような、何か大きなものと話してるような気がしたが、少し落ち着いて動揺を鎮めた。鎮めたと言うかは平静を装っているだけだが。
「貴方が私の裸体を見た事に対して罪悪感を抱いているかもしれないけど、それは私が設けたルールに則っての事だから後悔する必要は無いわ。それに、貴方にルールを守る意思があるなら対等でしょう?一方的に罪悪感を持たれるとこちらが申し訳なくなってしまうのでやめて欲しいのだけど」
「…わかったよ」
平静を装っているからこんな事を言ったが、内心ではそんなことできるかと突っ込みたいところである。確かに一理あることだが、所詮机上の理論は想像でしか無いんだ。実行可能か否かは別問題である。
「ところで早速私から貴方に頼み事があるのだけれど、先に言っておきたいのよ。私は貴方の罪悪感に託けて無理難題を言うつもりはないわ。私達は対等だから。貴方は十パーセントの確率で私の頼み事を聞いてくれれば良いの、分かった?」
僕は首肯した。言いたい事は十分に伝わった。
讒謗律の落ち着きように感化された訳じゃ無いが、少しばかりこちらも平静を装うだけでは無く本当に落ち着いてきたりした。
まあ、あくまでこれはルールだ。そういう設定の元、僕はお願い事をして彼女はそれを実行したまでだ。『私達は対等だから』というのを理解しなければ讒謗律に申し訳ないというところだ。
かと言って、この罪悪感が払拭し切れるというわけでも無いので、どんな事であれ僕は頼み事を聞くことにした。
「ありがとう、じゃあ言うわね」
と、妙にかしこまって息を吸って。そして吸った息の代わりに言葉が出て来た。長く息を吸ったなぁ。
「私の執事になってくれない?」
「私の奴隷になってくれない?」
「私の召使になってくれない?」
「私の従僕になってくれない?」
「私に忠実な友達になってくれない?」
「私の良き理解者になってくれない?」
「私の目的の付添人になってくれない?」
「私の目的の介添人になってくれない?」
「私に忠誠を誓ってくれない?」
「私の下僕になってくれない?」
成程そう来たか。
一割協力するという契りを、讒謗律は上手いほどに使って来た。僕のように野蛮に使う事なく、それはもう上品に使って。
先程、讒謗律蒼薇は頭上の人と言ったが、やはり僕はコイツを見誤ってるらしい。
讒謗律蒼薇という女は天上の人、つまりは雲の上の人だった。
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