解の章
***
顔を上げると、見知らぬ夜の遊園地にいた。
閉園後だというのになんだか騒がしい。
暗闇に目が慣れると、大勢のディレクターアシスタントが走り回っていることに気づく。
顔の痛みが引くにつれ、現状を思い出す。
これから心霊番組の収録を始める予定だったのに、出演者の一人が行方をくらませた。
アシスタント全員で園内を探し回っているのに、耳につけたインカムから望ましい報告が聞こえてこない。
僕もディレクターアシスタントの一人だが、迂闊に動き回ったりしない。
なぜならこれは罠だから。
あえて周りを見回して、発狂のもとを視界に入れる作戦なのだろう。
しかし詰めが甘い。行方をくらませたその人がすでに息絶えていることを僕は知っている。
だから足元に視界を固定する。そうすれば、目を合わせずに進められるから。
ここは夢の中だから、死人がでても僕には関係ない。
まずは自分の身の安全を優先して行動しよう。
いちおうコーヒーカップの内側を一つ一つ確認する。
さすがにこんなところに人なんているわけがないと思っていただけに、死体のように横たわる人影を見つけた瞬間、心臓が飛び跳ねた。
「朝香さん?」
コーヒーカップの中で朝香さんが体を丸めて横になっている。
高校生アイドルとして有名な彼女も、心霊番組の出演者だ。
しかしたび重なるライブによる疲労のせいで体調を崩してしまった。
ロケバスの中で休んでいると思っていたのに、なぜかカップの中でうずくまっている。
「この遊園地は全身真っ赤な人間がうろついているよ」
両手で目を押さえながら朝香さんは言った。
余計なものを見てしまわないように。
「皮を剥がされ肉がむき出しになったような赤い人間。見たら必ず不幸になる」
そう。
いつから出現するようになったのかわからないが、いつのまにか園内を赤い人間がうろつくようになった。
特徴として、その赤い人影は直接的な攻撃はしてこない。ただし目が合うと、帰りに原因不明の事故に巻き込まれ、運のない人は焼死してしまう。
だから遊園地の周りでは、謎の焼死事故が多発している。
しかも少しずつ遊園地に近づいている。
一週間前に、すぐ近くの駐車場が火の海となった。次に事故が起こるとしたら敷地内だ。
そこで、被害を食い止めるべく、実力のある霊能力者に退治を依頼した。
「沙希さんが祓ってくれます」
「祓う時に見るじゃん! ううん、違う。追い払うって考え方がダメだよ。土地が悪くなっているだけ。定期的にまつりごとをすればいいんだよ」
朝香さんは怯えていた。赤い人間のせいで、不慮な事故に遭った被害者は数えきれない。お祓いが妥当だと思っていたが、彼女は難色を示している。
「………沙希さんに伝えてみましたか?」
「人がさらわれた時点で退治一択になった。それに、やがてまつりごとは廃れるだろうから、一気にかたをつけたほうが早いって言っていた」
「怪異の件は沙希さんに任せるしかありませんね」
沙希さんは、これまで数々の怪奇な事件を解決してきた。きっと遊園地の不可解な問題もなんとかしてくれるのだろう。
それでもこちらの動きに勘づいて人間をさらってみせた敵の狡猾さを想像すると、簡単に退治できそうにない。
長い戦いになるかもしれない。
近くにいただけなのに、巻き込まれて命を落とすかもしれない。
せめて僕らは自分の無事を第一に考えて行動しよう。
「朝香さん。あなたは一度でも赤い人影を見てしまいましたか?」
「……見てない」
「よかった。では、そのまま目を瞑っていてください。僕が手を引いて車まで連れて行きます」
「……」
おそるおそる伸ばされた手をとり、彼女を立ち上がらせる。
朝香さんがつまずかないように、慎重な足取りで出口へ行く。
そんな僕らをカメラマンが撮影する。
ディレクターである朱美さんの指示によりカメラを回している。あとで編集してテレビ放送するつもりだ。
「ほらね、中止にしていればあの人は無事なまま返されたんだよ」
薄目を開けて下を向いていた朝香さんが、とつぜん感情のない声を放った。
なんのことかわからなかった。しばらく歩いていると、ようやく意味がわかった。
観覧車の下に人だかりができている。
彼らは同じ方向を凝視して固まっている。
灯りの下で年老いた男性が仰向けに倒れていた。
外傷は見当たらず、コンクリートには血液が流れていない。
しかし直感で死体だとわかる。
見れば見るほど違和感を刻み込まれるから。
これは生きていないと本能で判別しているのに、違和感の正体が掴めない。
やがてその理由に気づく。ぺたんこだ。
中身を抜き取られて、皮だけの状態だ。
これでは、救急車を呼んでも意味がない。
「おう、おつかれさん」
司会役を務めるお笑い芸人の男性が近づいてきた。
彼はあまり動揺しておらず、普段通りの態度で朝香さんの体調を気にかけている。
きっと彼は受け入れられないでいる。心霊番組のロケというのはでっち上げで、実はドッキリを仕掛けられているんじゃないかと信じたいのだ。
もちろん目の前の惨劇はフェイクではないのだが、彼の精神的安定を考えると真実を告げるべきではない。
「この状況なのにまだカメラを回している。
「なるほど。そういう考え方もありますね」
そうか、この人は知らないのか。
視聴率も大事だが、遊園地にお客さんを呼び戻すために、ディレクターは何がなんでも沙希さんの活躍をカメラに収めてやろうと躍起になっている。
本当にでるせいで運営の危機に瀕した遊園地でふざけたドッキリをしかけるような不謹慎な性格ではない。
「とにかく亜紀さんはそのまま朝香さんを外へ連れ出して」
「わかりました。行きましょう、朝香さん」
「ううん。あたしもここにいる。人が多い場所の方が安全な気がする」
朝香さんは注意深く周りを見回している。
誰もが死体に目が釘付けになっているなか、彼女だけは人殺しの脅威に怯えている。
注意すべきは帰り道、と思っていただけに、早すぎる襲撃は無残な死体を見た全員の度肝を抜いた。
「でも燃えた形跡がない」
「だからといって、人間が肉や骨を抜き取ることなんてできるのか?」
「別の怪異の仕業か?」
この亡骸は謎が多い。
だから肝心な疑問がおじなりになっている。
せっかく貴重な皮を手に入れたのに、捨てられている。
「皮剥ぎなんて今までなかっただろ? どうなっている……?」
ディレクターの朱美さんは頭をかきながら舌打ちをする。
捜索を他の人に任せたあと、彼女は沙希さんと話し合っていた筈だ。なぜ一人で行動している?
「おい! このなかに沙希さんを見かけた奴はいるか?」
「さっきすれ違いました」
ディレクターアシスタントの一人が手を挙げると、朱美さんはギロリと睨みつけた。
怯えているような訝しんでいるような目つきで、アシスタントを凝視している。
「すれ違った? 他に誰と会った?」
「いえ、誰にも……。沙希さんから『なにかあったらミラーハウスへ逃げろ』と忠告されただけで……」
「そうか……。何を追いかけているんだ?」
なんとなく察しはついた。
沙希さんは園内にいる良くないものを追っている。
このまま退治してほしいところだが、取れ高を見逃せば朱美さんは不機嫌になるだろう。
「なんでミラーハウスなんだろうな?」
お笑い芸人の男性が気になっていたので、僕はそっと教えた。
「悪夢を見ている時は鏡を覗き込むといいからですよ」
「悪夢? おれたちは悪夢を見せられているのか?」
「とにかく、鏡を覗くことをすすめます。鏡は魔除けとしてもうってつけです」
「亜紀さんは詳しいね……」
朝香さんが具合の悪い顔を下に向けている。
指先がかすかに震えている。
「ここにいるべきじゃないよ。何かが起こる前でも安全な場所へ避難したほうがいいと思う……」
「あ、そうか、今からでもミラーハウスに行ってもいいですね」
「じゃなくて、遊園地から出るべきだよ。ミラーハウスは全員入りきれるわけじゃない。目が合わないうちに外へ出るべき──」
「ごめん朝香さん!」
うつむく彼女の頭上から、ゆっくりと何かが落ちてきた。
布のようなものが朝香さんに覆いかぶさってきたので、急いで繋いだ手を引っ張った。
それは沙希さんの着ていた着物だった。
いや、着物だけじゃない。目があった。
沙希さんが落ちてきたのだ。
でもおかしい。
なんだか布が広がるように着地した。
驚愕の表情が、なんだか平べったい。
似たような死体を見たあとなので、状況を把握するまでに時間はかからなかった。
中身を抜かれて皮だけになった沙希さんが降ってきた。
僕らは瞬時に理解した。
頼りにしていた霊能力者が敗北した。
そしてなにより、脅威が僕らの上に居る。
なにかあったらミラーハウスへ逃げろ。
みんなは一斉にミラーハウスへ駆け出した。
出口までは遠すぎるし、外へ出ても不慮な事故に巻き込まれると本能で気づいていた。
敵は外から徐々に仕掛けてきた。だったら、まだ安全な園内のどこかへ避難しようと考えるのは当然だ。
アシスタントとぶつかって、朝香さんと離れてしまった。
朝香さんの名前を呼ぶ。返事は聞こえない。
僕と朝香さんの間をアシスタントが次々と通過していく。
この状況で一人になるほうが危険なので、おそらく彼女はミラーハウスに向かうだろう。
合流できることを望んで僕も走り出そうとミラーハウスへ体の向きを変えた。
ちょうどそのとき、不安を煽るような着メロが鳴り響いた。
足元に見覚えのある折りたたみ式の携帯電話が転がっている。
ぶつかったはずみに、ズボンのポケットから転がり落ちたのだ。
電話がかかってきたので、僕は通話ボタンを押して耳に当てた。
『きみにとってここは夢なんだから、ミラーハウスは他の人に譲りなさい。そしてきみはさっさと目を覚ますんだよ』
緊張感のないおっとりとした声が聞こえてきた。
寺尾だ。
この前、首のない死体として登場したばかりだというのに、今度は電話でアプローチをしかけてきた。
またお告げか?
『さーて、きみに電話をかけた人物は本物かね? 偽物かね?』
「だから、僕は本物だって信じるって。それよりなに?」
電話ではこちらの危機的状況を把握できない。今回は無駄話に付き合える心の余裕は持ち合わせていない。
早くミラーハウスに行って朝香さんの無事を確認するべきだ。
僕は早く電話を切りたくて用件を促した。
『なんで、そんなせかせかしているの? 落ち着こう? ほれ、深呼吸』
「あのね、あなたこそのんびりしすぎじゃない? ごめんけど、そろそろいくから」
『この夢だときみが亜紀さんになっているんだよね。亜紀さんと話せない時点で目を覚ましてよかったのにさ、なんで付き合うかね?』
電話越しに呆れたようなため息が聞こえてきた。
次の瞬間、雰囲気が変わった。
『まさか本当に行くつもり? 冗談だよね? そんなの笑えないよ』
責めるようなキツい言い方ではないのに、氷水を浴びたように心臓が引き締まった。
歩きながら電話をしていた僕は、ミラーハウスの手前で足を止めた。
戸はない。四角い入口の向こうから一息つくみんなの声が聞こえて来る。
数歩進めば、僕も安全な場所へ行ける。
しかし寺尾の声が引き止める。
『危ないって分かってるよね? 軽々しく入ろうとして……もう。呆れるわー』
「危ない? 新たな怪物がミラーハウスにいるとか?」
『うんや、そういうことじゃなくてね……そもそも夢の中で鏡を見たら精神をきたすでしょ』
「そうなの?」
知らなかった。というか初耳だ。
やばい夢を見た時こそ鏡を覗き込めばいいと聞いたことがあるのに。
どっちが正しい?
夢の中での鏡の役割がいくつもあるのなら、どちらを選べばいい?
「でも、鏡を覗くことで、自分についている良くないものを追い出せるでしょ?」
『それ夢の話? それこそ初耳よ。それ教えた人、信用できるの?』
「オカルトに詳しくて、ネットから怖い話を仕入れている。でもネットだから嘘の情報を鵜呑みにしているのかも……」
『そういうことではなくて……ごめん忘れて。きみが信頼しているのなら、友好的な関係なんだろうね。その人に嫌われているわけでははいのなら、それでいいから』
「…………」
質問の意図に気づいた瞬間背筋が凍った。
つまり寺尾は、陥れるために嘘をつかれたのではないかと心配している。
いや、陥れるってなんだ?
教えたところで本気で実行する保証なんてないのに。
おそらく本気で陥れるつもりなんてない。
たまたま覚えていて、本当に実行したらどうなるのだろうくらいにしか考えていなかったはずだ。
本人は面白半分のつもりなのだろう。
でも実際はどうだ?
忘れないうちに夢の中に鏡がでてきた。
電話をとらなければ、鏡だらけの空間に足を踏み入れていた。
一度疑惑を抱くと、さまざまな偶然が重なっただけとは思えなかった。
一つ一つは小さな偶然でも、緻密な計算によって僕は導かれていたのかもしれない。そう、僕は思ってしまった。
どうしてこんな目に遭っている?
森井に会わせてくれないから?
『陥れているとしたらこの夢よ。確実に鏡のある場所へ行かせようとしているよね』
三度目にして夢の悪意が直接的になっている。
夢を見る回数が増えると、はっきりとした罠が発生するなんて聞いていない。
『とにかく目を覚ましてごらん! のん気に寝ている場合じゃないよね』
「うん……」
『せっかくだし、話し合ったら?』
「え?」
「おい! いつまで電話してんだよ!」
「早くこっちへおいで」
会話を遮られた。
入り口から、無数の手が伸びて、僕は引きずり込まれた。
急いで視界を遮断したが、これからのことは直感で理解した。
深層心理や思い込みで悪夢になることがある。
自分から悪い方向へ転がり落ちてゆくことがある。
わかっているのに踏みとどめられない。
抱いた疑心によって、ミラーハウスの中には別の怪物が潜んでいることとなった。
これから待ち構えていた怪物によって身体が破壊される。
夢の人物として縛られていた僕は解放されて現実に戻る。
そして向き合わなければならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます